日常の創造性 〜現代風金継ぎ〜
ぼくの目は、割れた器と破片の間をつないだ。
人生を豊かにするものは何か
建築や都市について考える日々だけれど、日常の小さな出来事の積み重ねが、そこに創造性ががあるかどうかが人生の豊かさにつながる、と思う。
金継ぎと出逢った
やちむんが割れた。
少し前から興味があったことだけど、何かカタチをつくりたい欲求にかられて、金継ぎをやってみた。
現代風金継ぎ、というやつだ。
深い。繕うということは、機能を復元する意味を超えて、新しい生命を吹き込むことなんだと感じた。
人がつくった器が、落としたりして割れることがある。そのカタチは、偶然のようだけれど、力学的にはある意味必然で、重力がつくり出した自然のカタチ。
新しく何かをつくり出すことには想像力が必要だけれど、繕う、再生する作業にもまた想像力が必要。
使い続けるために、何度も何度も繕う。
人がつくった器に自然の力が関与したその器は、より自然へと近づいていく。
人も自然の一部であるはずだけれども。
人工物である都市やまちも
日々、自然と対峙している
都市やまちは、人間の活動と自然の脅威にさらされて、欠けたり、割れたり、ほころびができたりする。
それらを繕うことが、自然へと近づき、生活をより豊かにしてくれるのかもしれない。
未来のためにできること。
それはひとりひとりが日常に繕いを取り入れて、想像力を働かせ、そこから得られる豊かさを享受すること。
モノを使い捨てることがない、モノを抱えすぎることもない、いい塩梅でモノを持つこと。
そもそも繕うことを前提としたモノの循環ができること。
金継ぎが気づかせてくれたのは、モノだけで満たされることでは得られるない、豊かさで満たされた日常を取り戻すことかもしれない。
しばらくは、この金継ぎの沼から抜け出せそうにない、な。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?