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調整役【久松湯@練馬駅・桜台駅】(1/2)

 僕は以前に広告代理店に勤めていたのだが、いわゆる”ブラックな営業会社”で育った方々がボードメンバーの中心核だったためか、社内の雰囲気は比較的和やかではあったものの、評価基準については営業職が贔屓される仕組みになっていた。要するに、案件を受注した分だけ、売上を作った分だけインセンティブとして営業担当者の給与に直接反映されるのだ。
 たしかに営業の仕事は売上に直結するし、数字でも成果を可視化しやすいため、会社への貢献度を定量的に計測することができる。しかし、その結果どうなったのかというと、営業担当者は会社のためというより個人のインセンティブを稼ぐために案件を無作為に受注するようになってしまったのだ。

 そもそも、その会社の業務フローというのは、まず営業担当者が事業会社に対してマーケティング支援の提案を行い、条件が折り合った時に契約が締結され、数ヶ月から数年単位でそのクライアントの課題解決に向けて共に取り組んでいくわけだが、ここで大切な職種がディレクターである。クライアントとの連絡窓口となるのは基本的には営業担当者なのだが、受注された案件を契約内容通りに滞りなく進行管理し、数人から数十人の関係者たちを取りまとめてプロジェクトを推進していく役割を担っているのがこの仕事だ。
 ただ、ディレクターは案件を運用する上で必要不可欠な存在であるにも関わらず、表に出ることがほとんど無いため非常に地味で目立ちにくい上に、会社への貢献度を可視化することが難しいのである。
 そのような経緯で、この会社ではディレクターの評価基準をまともに設定しようとせず、さらに営業担当者がディレクターの状況を把握することなく無作為に案件を受注していたため、営業担当者の評価や給与は上がるものの、ディレクターの稼働時間や精神的負担は利己的な営業担当者によってどれほど増やされても評価や給与には反映されにくい状況になってしまった。

 運良く僕は新規事業部に所属していたため営業担当者ともディレクターとも仕事で直接関わることがなく、常に中立的な立場で物事を捉えられていたのだけれど、だからこそ僕が苛立ったのが、ある意味で”おいしいとこ取り”をしている営業担当者が、ディレクターの存在や価値を軽視していたことだ。「売上を作っているのは私で、私がディレクターたちの飯を食わせてやっている」、そんな心の声まで聞こえてきた。
 すると、会社にとって必要不可欠で、とても重要な仕事を任されているはずのディレクターを務める社員たちのストレスは膨れ上がり、ほかのどの部署よりも離職率が高まってしまった。これがこの会社の方針であり、価値観であり、ルールなのだと言われてしまえばそれまでだけれど、傍から見ていてどうも納得感が持てなかった僕自身も、しばらく経ってから会社を辞めることとなった。
 会社員にとって、仕事において何が大切にされるのか、誰の存在が重要視されるのかは経営者によって大きく異なるし、それについて正解や不正解があるわけではない。強いて言えば、仕事は「結果を出せた人が正解」ではあるのだが、どのような経営方針であれ、そこにあるのは文化や価値観の違いだけだ。しかし、僕はどうも会社の状況を俯瞰的に捉えた時に、「表面的な部分だけを見ても本質的な価値は見えてこないのではないだろうか」などと考えてしまうようになった。

 先日、これと似たような話をたまたま別の方から聞いた。その方は両親や親戚の家族問題に巻き込まれた挙句、その流れで父が営む会社を継がされることになったそうだが、経営者人生の大半は常に周りの関係者たちの調整役だったらしい。その話というのが、ドラマや小説の世界ではないかと錯覚するほどフィクションに限りなく近いノンフィクションで、聞いているだけで疲労を感じてしまった僕は、心をほぐしに近くの銭湯に向かうことにしたのだった。

ーー後編に続く

(written by ナオト:@bocci_naoto)

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