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誰と一緒にいるか【ウェルビー名駅@愛知県】(1/3)

 僕が以前に勤めていた会社は、表向きには評判が良いのだけれど、内情を知る者からすると問題が山積みで、その根本的な原因は明らかに経営陣にあった。利己的な価値観を持っており、とてもではないけれど人として尊敬できるような対象ではなかったのである。
 そのことをうまく隠せており、見せかけのブランディングに成功しているからか、優秀な社員が集まってくるにも関わらず、そういった人材ほど入社後に経営陣たちの人間性を見抜いて辞めていく。かくいう僕も、優秀かどうかはさておき、仕事をしているうちに経営陣たちと意見が合わなくなり、大手企業から転職後2年も経たずに退職してしまった。
 したがって、その会社を辞める理由はだいたい共通しているため、皮肉にも「敵の敵は味方」といわんばかりに元社員たちの結束力や信頼関係は非常に強固なものとなっていて、会社を辞めてからも頻繁に連絡を取り合っているし、お互いに仕事を紹介し合う仲になっている。そもそも、僕が把握している退職者たちの大半が転職ではなく独立し、それなりの生活を送っていることからも、やはり本人たちの能力は十分に高かったのだ。

 ただ、この経営陣が絶対的に悪いかというと必ずしもそうとは限らない。実際、経営陣に不満を抱える社員がいる一方で、やりがいを持って働き続けている社員もいないわけではないからだ。また、僕自身もそのような経験や出会いを通して多くのことを学んだからこそ、独立しても生活に困らない程度には仕事をいただけているのである。
 つまり何が言いたいかというと、僕や他の退職者と経営陣との間にあったのは「善か悪か」ではなく「価値観の相違」だったわけだ。正義の反対には別の正義があるだけで、僕は自分とは違う正義をどうしても受け入れることができなかったのだった。おそらく「このような人にはなりたくない」と自分の中の正義が相対する正義に抗っていたからかもしれないのだが、人間というのは、それほど「誰と共に過ごすか」で人格が形成されたり行動変容を促されたりする生き物なのかもしれない。

 実際、心理学に関する本で紹介されていた、イギリスで行われた実験の結果がそれを物語っていた。どうやら目の前で献血に協力している人を見た場合と見ない場合とで献血に協力する人の割合が変わるらしく、前者ほど協力的だったそうだ。つまり、僕たちは知らず知らずのうちに、近くにいる人の影響を受けてしまう生き物なのである。
 ということは、自分がなりたい人物像や憧れの存在がいるのであれば、そのような人の近くで過ごすことが効果的である可能性は非常に高い。「類は友を呼ぶ」なんて諺もあるけれど、”友が類になる”と考えるほうが本質をついているのかもしれないのだ。

ーーやっぱり、今の働き方が自分には合っているのかもしれないな。

 そんなことを考えながら、僕は仕事で名古屋に向かっていた。

ーー後編に続く

(written by ナオト:@bocci_naoto)

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