映画「梅切らぬバカ」を観て
1月22日、「梅切らぬバカ」という映画を観た。2021年の日本映画で、和島香太郎の作品だ。
キャストは、山田珠子役の加賀まりこ、山田忠男役の塚地武雅、里村茂役の渡辺いっけい、大津進役の林家正蔵などである。
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あらすじは、
老婦人の山田珠子は、知的障害のある息子の忠男と二人で暮らしていた。隣家に越して来る里村一家。奥まった里村家に続く路地には、山田家の梅の枝が大きく張り出し、邪魔になっていた。梅の枝を切ろうとすると、忠男がパニックを起こすことを知る里村一家。
高齢の珠子は、49歳になった忠男の将来を案じ、近所のグループホームの世話になることを決めて別居した。知的障害者ばかりが暮らすホームは、町の人々から煙たがられ、郊外への移転を求められていた。夜分にホームを抜け出し、母の家に帰ろうと無心に歩き出す忠男。
里村家の息子で小学生の草太は、塾帰りの夜道で顔見知りの忠男と出会った。忠男を誘い、遊び始める草太。乗馬クラブの可愛いポニーを連れ出し、引いて歩いていると、厩務員に見つかり、忠男だけが捕まってしまった。
忠男の騒ぎのせいで、グループホームの移転問題が加速した。責任を感じ、自分だけ逃げたことを両親に打ち明ける草太。草太の父の茂は親としての責任を感じ、山田家に謝罪に赴いた。そこには、息子の草太と妻の英子も来ていた。日ごろ、家のことを全く省みない茂が、謝罪に訪れた姿を見て、夫を、父を、見直す英子と草太。忠男は実家に戻り、珠子の寂しい一人暮らしも、とりあえず終りを告げた。
といった内容。
で、観終わっての感想。
現実と制度の狭間で生きる人々
この映画、実に様々な問題提起をしてくれている映画だ。
シングルマザーとなり、知的障がいの子どもを育ててきた母。
その母と息子の二人暮らしは、母が若かった頃はまだ何とか生活が保たれていた。しかし、母も次第に老いてゆく。息子も同じである。
気がつけば50代?になっている。
いつまで続くかわからない生活の中で、次へのステップを進もうとしたときに起きる、極々氷山の一角とも言える出来事なのである。
近隣の反対する人々の理由
物語は、息子(ちゅーさん)が、グループホームに入ってから、動き出す。
グループホームでの生活中に、近所の乗馬クラブの馬を逃してしまう事件が起こる。それが、ちゅーさんの責任にされてしまう。
近隣との話し合いの中で、「怖い思いをした。」とか、「土地の値段が下がる」などという意見が上がる。
その時に、母が発した言葉が、何とも重みがある。
「お互様なのではないですか。」
行政の事なかれ主義
これまた、よく描かれているのが、行政の対応だ。
FAXでの苦情を、施設長が持ってゆく。
行政は、「住民とよく話し合ってください」の一点張りで、問答集を渡そうとする。さらに、行政は中立の立場ということを強調する。
施設長は、「この程度の問答集であれば、こちらでもすでに用意しております」と突き返す。
そして、束になった苦情のFAXを渡すのだ。
高齢者が、高齢化した障がい者をみる現実
この物語は、終わりが無い。
最終的に、ちゅーさんは自宅に帰ってくる。
母は、「ちゅーさん、ありがとう。」と言葉をかけるが、
その横を廃品回収車が過ぎてゆく。
この先、この親子はどうなってゆくのだろうか。
いずれ、母は動けなくなる日が来るだろう。
その時、高齢化した息子は、この町で生きて行けるのだろうか?
ほのぼのしたように見えるこの映画には、大きな問題提起が散りばめられている。
ボクは、福祉の仕事で、このようなケースで、
最後にとても悲しい結末を見ている。
だから、見終わったあと、笑えないのだ。
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