【他人との比較】勝ち組・負け組は分けなくていい 変わらない価値観からの解放【無意味】

勝ち組・負け組は分けなくていいという話をしたい

勝ち組・負け組の本質は他人との比較

ひとつの基準で他人と比較しているだけで分けることに何の意味もない。学生だったら、テストの点、受験生であれば、偏差値、大学生はどのランクの大学か、就活生はどの程度の企業に入ったか、社会人は収入といったひとつの基準で無理やり分けている。たった1つのルールの中で成功失敗とかはあまり関係ない。小さな話だと思います。抜け道探した方が賢い。

自分が良ければ、それでいい

自分を基準にすれば、勝ち組・負け組もない。私は仮に今の状況が悪くても、成長して状況が改善して、少しでも良くなればいいと思っている。比較するなら、過去の自分としましょう。

世間的には成功していても、本当にいいとは限らない

受験に落ちて、希望の大学に進めなくても、滑り止めの大学で頑張れば、道は開ける。落ちてしまったら、浪人すればいい。希望の就職先に入れたとしても、ブラック企業だったということもある。大きい有名な会社に入ればいいかというとそういうわけではない。新卒の約3割は3年以内に辞めると言われている。自己分析とか、業界、企業研究とか言っているが、正確ではない。さらに、東大を出ても、全員が希望の就職先に入れるわけではない。早稲田でも4割程度と言われている。最後は自分次第なのだ。他人と比較する必要はない。他人と比較せず、自分の価値観、軸で生きよう。

不景気な時代でも変わらないロールモデルのせいでもある。

いい大学に入り、いい企業に入り、結婚して、子供2人、年収500万以上で、車と家を買うというロールモデルが存在する。景気のいい時代にはお金を使う余裕があったので、この生き方も可能だった。しかし、今の時代はこの生き方は合理的でもないし、実現可能性も低いし、無駄なお金がかかる。ロールモデルだけが残り、独り歩きしている。ロールモデルから判断して、いい大学出ないから負け組、いい企業では無いから負け組、独身だから負け組、賃貸だから負け組、年収が低いから負け組ということになる。お金を多く使わせるための洗脳なので、こんなロールモデルは無視すればいい。昔は負け組と言われていたことが今となっては合理的ということもたくさんある。結婚せず、独身でいることは合理的だと思う。生活コストを下げられる。教育費もかからず、車や持ち家も必須ではない。モノを持たないミニマリズムの考え方にも沿っている。収入も自分が生活できて、趣味や自己投資、貯蓄に回すことが出来ればいいので、高くなくても問題はない。子供が心から欲しいのでなければいらないです。持ち家より賃貸の方がいい。ローンは金がかかりすぎる。土地や家への税金もない。引越しもしやすく、変化の大きな時代にも対応している。「家賃とより安くローン代が払えます。」はほぼウソです。新築の家、新車も買ったら、中古で価値ダダ下がりです。就活で中小企業に入ったら、負け組という人もいるが、大企業に入れても、会社は安定しているが、会社の駒・兵隊である社員が安定しているかは怪しい。ほとんどが区分的には中小企業で働くので、ほとんど負け組になってしまいますね…。視野狭すぎです。お疲れ様です。会社での収入が少なければ、その時に転職なり、副業なり、独立なり、行動すればいい。盲目的にならず、他の手段を探せばいい。

まとめ

マウントを取られても、ムキにならずに、軽く流すか、相手をお膳立てして、穏便にすませましょう。他人との比較は無意味です。時代遅れのロールモデルは無視しましょう。経済が停滞しても、価値観は変わらず、人々を苦しめている。幸せは「普通の幸せ」をあきらめることから始まる??

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