身体感覚から考える〜目は口ほどにものを言う
〜目は口ほどにものを言う〜
ぼくらの日常生活において、コミュニケーションの方法には、バーバル(言語)とノンバーバル(非言語)の2種類がありますね。
人間同士、話せばわかる??
話さなければ、わからない?
話しても、通じないことも?
もしかすると、
わかったつもりで誤解をしているかも?
現に、対話の後で、からだのどこかしっくりこない、ことがあります。
一方、顔の表情や身体の反応を見れば、伝わることもあります。
言葉とは裏腹に、表情で伝わってしまう本心、なんてね。
なるほど、コミュニケーションも、なかなか思い通りにはいかんもんですな。
言語表現に長ける人もあれば、非言語表現に長ける人もある。それらを、体癖論的に観てみると、各種どんな傾向がありそうでしょうか。その辺りを入り口に、、
実のところ、その身体の本音はどうなんでしょうね。
興味ありませんか?
そんな人間理解を深める入り口が、ここにあります。
23年の12月師走は、ねじれ型を主軸に据えながら、各型各種との相関、人間関係、自身について理解を深めていきます。身体さえあれば、いつからでもどこからでも始めることができます。
昨今、内実の伴わない美辞麗句、あたかも本質をついているようで、その実、実体験の伴わない言葉(概念)だけが氾濫しがちやねと、思っています。
手軽で、便利だもんね。お茶濁しの、エンタメとして。
端的に、身についているか、いないか。あるいは、何が身についちゃっているか。見る人が見れば、一目瞭然です。
入り口が軽快な分、また自分自身を偽ってる分、後々ズブズブに成ります。本当に必要なものがわからなく成り果ててしまう前に、お気づき下さいますように。
ぼくらの生活実感として、物事の全ては身体に根差してないなら、それがどれだけご大層な肩書きや、なんだか有難そうな教え、あるいは、みんな一緒で楽しい的な言語・概念で装飾しようが、所詮、虚構は虚構に過ぎません。
あそびは、私があそぶものです。あそばれてどうする。
自分の身体を軸に据えれば、容易にココロ扇動などされるわけもなく。たとえ一時、自身がすごく弱ることがあっても、やがて快復する力は、そもそも自分自身にすべて備わっていることを、きちんと理解して欲しいと思います。
どうせ学ぶという姿勢をとるなら、頭(身体論まがいの精神論)で、わかった気になることに時間とお金を浪費し続けるよりも、自分の身につく学びをした方が、後々、自分は自分に対して嘘のない人生を過ごしてきたという経験から、自身の内側に、なんとも形容し難い充実感・幸福感をひしひしと感じられることは、間違いありません。
それがスポーツであれ、芸能であれ、他文化活動であれ。
くれぐれも、社会的肩書やその言葉に騙されませんよう。
それらを測るのも、結局、自らの身体感覚です。
だからこそ、精々慈しみ、育てていきましょう。
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