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【17km歩いて友達を尋ねたけど留守】でも雨に濡れた草が綺麗だからヨシ!心が美しすぎる丘為の漢詩



「ずっと行きたかったカフェに来たけど、臨時休業…」

そんなとき、すごくショックですよね。
旅行先だとなおさらです。
私はそんな経験が何度もあります。

現代は多くの連絡手段があり、
友達と行き違ってしまうことは
ほとんどありません。

だからこそ、なのか、
少しでも予定が狂ってしまうと
かなりストレスを感じてしまいます。
広い海から情報を得られるようになった代償として
心が狭くなってしまったのでしょうか。

漢詩が発展した中国・唐の時代の連絡は
(ちゃんと届くかわからない)手紙でした。
物事が予定通りにいく方がおかしい、
そんな時代だったのかもしれません。

「行き違い」が日常だった唐代の人々は、
どんな心持ちで日々を送っていたのでしょう。
丘為きゅういの漢詩から考えてみます。


寻西山隐者不遇
丘为きゅうい

↓読み上げ音声です。


【白文】
绝顶一茅茨,直上三十里。
叩关无僮仆,窥室惟案几。
若非巾柴车,应是钓秋水。
差池不相见,黾勉空仰止。
草色新雨中,松声晚窗里。
及兹契幽绝,自足荡心耳。
虽无宾主意,颇得清净理。
兴尽方下山,何必待之子。


【書き下し文】
西山の隠者を尋ねて遇わず

絶頂の一茅茨いちぼうし
直ちに上る三十里
関を叩けど僮僕どうぼく無く
室をうかがえば唯案几あんき
柴車さいしゃに巾するに非ずんば
まさに是れ秋水に釣りするなるべし
差池しちとして相見ず
黾勉びんべんとして空しく仰止ぎょうし
草色新雨のうち
松声しょうせい晩窗ばんそううち
の幽絶にうに及びて
自ずから心耳しんじを蕩するに足る
賓主の意無しといえど
すこぶ清浄しょうじょうの理を得たり
興尽きてまさに山を下る
何ぞ必ずしもの子を待たむ


【日本語訳】
西山の頂きに茅屋あり
麓からまっすぐに三十里
門を叩いても僮僕は居らず
部屋をのぞけば机があるだけ
柴車にほろかけて遊びに出たのか
それとも秋の川で釣りをしているのか
かけちがって会うことができず
ぜひにと慕って来たが空しかった
降ったばかりの雨に濡れる草の色
暮れゆく窓にひびく松風の音
この幽静な境地にあうことができて
私は心耳を洗う思いがする
主客相見るよろこびは無かったが
些か清浄の趣を悟りえた
興つきて山を下りれば
必ずしも主に会うまでもない


【解説】
西山に隠者を尋ねたが、遇えなかった。
しかしこの幽静な境地にあうことができて、
楽しんで帰る。
必ずしもその人に合わなくても、
充分興を尽くすことができた。

丘為は継母に仕えて孝をつくし、
96歳まで生きました。
非常に謙虚でおとなしい人柄で
この詩もその風格が滲んでいます。




「直ちに」は現代日本語の「すぐに」ではなく、
「ずっと」「まっすぐ」という意味です。
丘為が長い時間をかけて来たことと、
ずっと会いたいと慕ってきた隠者への想い

が伝わります。
ちなみに、唐代中国で三十里は約17kmです。

ですが隠者は留守。
さらには雨まで降り出しますが、
丘為は心が洗われ、
のびのびとした気持ちになったと詠っています。
さらに、私が美しいと感じたのは以下の2句。

【草色新雨中】
雨に濡れる草の色

【松声晚窗里】
夕暮れの窓に響く、松を揺らす風の音

17kmも歩いてきたのに会いたい人は留守で、
雨にも打たれている状況で、
こんな美しい感情が生まれるでしょうか?
連絡手段がいくらでもある今日では、
相手が少しでも待ち合わせ時間に遅れただけで
心が乱れてしまいます。


「約束をすっぽかされたけど、穴場のお店をみつけた」
「待ち合わせ時間になっても友達が現れないけど、可愛いネコに出会えた」


ストレスの種になってしまいそうな出来事は、
丘為のように心を広く前向きに捉えてみましょう。
怒りで解決することはほとんどありませんからね。

丘為の長寿の秘訣は、
心穏やかに暮らすことなのかもしれません。
100%ポジティブ思考になる必要はなく、
遭遇したトラブルの中から1%でも自分にとって
楽しい要素があれば良いのだと思います。


生きているとつらいことも多いですが、
心が洗われる言葉・情景に気づくことができるよう
ゆっくりと生きていきましょう。


参考書籍
中华书局经典教育研究中心:唐诗三百首诵读本(插图版) (Chinese Edition)

この記事を読んで、
漢詩に興味を持ってくださった方は、
ぜひこちらも見ていってくださいね。

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