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連作短編「おとなりさん」#4

第四夜「うそつき」

 お腹空いてるでしょう?
 返事を待たずに私は食卓をお皿で埋め始めた。バターで炒めた三種のきのこに醤油と一味、旬の魚のカタクチイワシはからっと素揚げ、季節を問わず食べたい数の子、じゃがバターに刻みにんにく、カプレーゼはミニトマトを大葉とスライスチーズで巻いてオリーブオイルを。たくさん食べてよね。
 お肉? あるよー。あとでステーキ焼くから。なんて一方的にまくし立てながら、大渋滞のテーブルに余白を作ってビールとコップをふたつ。最初はやっぱりビールよね。
 飲むときはいつもビールだった。
 久しぶりの親友との二人飲みに腕は奮うし、なるべくなら安く上がるように考えてるし、機会があったら「お料理上手で経済感覚もしっかりしてる、気立てのいい私の親友」なんて、素敵な男の人に私のことを紹介してよ友達でしょう、なんて、策略とユーモアを頭の上に思い浮かべて、私は友人の訪問を歓迎していた。
 彼女はおしゃべりな私を、相変わらずだと言って笑って、それからふたりで「元気にしてた?」と、再会をよろこび合おうとグラスを掲げた。乾杯。麗しき我が友。君と出会えた人生よ。
「お互いがいる幸福に」
 向かい合うと照れ臭い。隣同士に座って、今夜も私たちはお隣さん。ずっとそうだった。私たちは肩を並べて講義を受けて、二人並んで寄り道をして、夜になったらお酒だって飲んでいた。それはきっと黄金時代。私たちは誰より自分たちをよろこび合った。
 卒業後は以前のように会えなくなったけれど、私たちは大親友。
 会いたかった。ずっと、会いたかったんだ。
「これ、けっこうイケるよね」
 初めての素揚げ。カタクチイワシって早口言葉みたいよね、高知産なんだー、なんて、四国がどこにあるのかも怪しい私たちは、なんでもないこと、ありふれ過ぎたことでさえ、どんなときも笑っていられた。
 よね? 私たちは変わらない。これから、ずっと。
「そうだよね?」
 コップのビールを飲み干して、そこにプリントされたカバのような妖精だか精霊だとか、なんだかそんなイラストを睨んで、これってムー民とか言うんだよね、このきざな鼻でか帽子はなんていうんだっけ。早く酔ってしまいたい。私は空になったコップにビールを注いで、注ぎすぎて、こぼれた泡が弾けて消えてゆくのに気づいて、何も残っていない口の中のなにかを飲み込もうとして、ごくんと喉の奥が鳴る。慌ててテーブルをティッシュで拭う。
「なにか言ってよ」
 ぽつりが部屋着のふとももにこぼれ落ちる。続いて、頬をつたう、なんだか訳の分からない滴がいくつも落ちた。
 聞こえてないよね。
 聞こえるはずなんてない。
 聞こえてくれたらいいのに。
 ねえ!
 私は狭い部屋の低い天井に叫んでいた。賃貸マンションの、きっと安いであろう、天井の壁紙。その上にも、その上にも生きている人が食事をしたり、誰かと抱き合ったり、そして二人で眠ったり、くたくたになって帰ってきて、ごはんを食べて、いまの私たちのように友達とビールを飲んでいたりする。そこまで思い出して、それから、どうしようもなく、泣く。あふれる。さっき飲んでいたビールも流れちゃう。一人でこんなに食べられないよ。手つかずのままのお皿が冷えてゆく。
 いつからだろう。
 私は一人の夜に限って、死んでしまった親友をお隣に迎えて、お酒を飲むようになった。たった一人の、私の友達。一生、一緒にいようと笑ってくれた、私のお隣さん。うそつき。
「どこにいたって、私たちは友達だよ」
 あの日、そう言ってくれた。目を閉じて思い出す。そのたび、私のなかに風が吹く。一緒に行った、太平洋の大きな海。その水平線から走ってくる潮風。
 その波打ち際で拾った貝をペンダントに加工して、私たちは「一生のお守りに」と交換したんだ。あんなに元気で、笑って、手を繋いで、同じ道を二人で歩いたのに。うそつき。
 震えていた。自分を止めることができない。またたく間にティッシュがなくなって、私はかばんのなかのポケットティッシュとか、テーブルを拭くためのウェットティッシュとか、周囲にあるあらゆるもので、目や鼻を擦る。その痛みでまたも泣く。そして疲れ果てる。言いたいことはひとつしかない。
「あいたい」
 そうこぼした声はカーペットに吸い込まれた。もう会えないことは私が一番よく知っている。知ってはいるけど、その現実は、私の思いを掬ってはくれない。願いは願いとして生き続けているのに。
 うそつき。
 テーブルに頬を溶けさせて私はあぶくを吐き出した。一生、友達だって約束したじゃんか。まぶたにあの子が蘇る。懐かしい海。太平洋。私は首に下げているペンダントを握る。やっぱり、あの子は笑っていた。
「いまだって友達だよ。あんたは私のことを思ってくれる。私もあんたのことを思ってる。会えなくても友達。当たり前でしょう?」
 聞き慣れた、あの声。思わず目を開ける。やっぱりそこには誰もいない。私のお隣にいてくれた、大好きな人はこの世にはいない。
「私はいまもあんたのそばにいる。約束したでしょう? すぐそばにいる」
「行かないで。行くなら、私も連れてって」
 ぐちゃぐちゃになっても、私はあの子の手を取りたい。こんなにぐちゃぐちゃなんだよ。私を連れて行ってよ。
「だめ。あんたは生きてるんだから。いつか、私が迎えに来るよ。ね?」
 そして、お隣さんはふと消えた。そして、相変わらずの現実が続く、私の部屋がいつものように、ある。泣き止めない。そうしようとも思わなかった。
 生きてくよ、君がいない世界を。そう伝える前に、あんたはもう、いなくなっていた。お隣さんは、天上にて、相変わらずの私に微笑んでいるのだろう。
 君のいない世界を生きている私を、いつか、うそつきと言って欲しい。


 ここまで、本文、2231文字。

#ほろ酔い文学 には文字数の規定がないみたいなんですが、 #2000字のホラー には文字数制限があるんです。「2000字を目安に」と。しかし、「自由とは制限のなかにある」と思ってもいる。2500以内なら、規定内に入るはず。ディテールを削るのはやっぱり難しかった。
 削るの辛かったー。いつか、バックアップのあるフルバージョンの「うそつき」も読んでくださいね。

artwork and words by billy.

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