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「サイドミラーに映る死神」

16歳になり、真っ先に原付バイクの免許を取得した。村田とは別々の高校になったが週に2度の空手道場で汗を流した後、2人で原付バイクをを走らせた。
道場のない日は、アルバイトをした。
私は、学校が終わると急いでバイト先に向かう。アルバイトは17時から22時までで、天ぷらがメインの和食居酒屋のような店だった。
帰り道は15キロほどの距離だったから、原付バイクでも充分に通える距離だった。
ある日、3つ上の板前の先輩が、
「清水、今日ワシの車が納車したんや、ちょい乗っていかんか?」
と、言ってくれた。
慕っていた先輩からの誘いに私は喜んで、原付を店に置いて車に乗った。
スカイラインのGTR。
当時の憧れの車を、先輩は18歳の若さでタップリローンを代償に購入した。
助手席に乗ると、エンジン音に鳥肌が立った。
まるでサーキットを疾るレースカーのような重低音が、居酒屋の駐車場に轟いた。

車は小道から大通りへと進み、峠道を抜けて、スナックに辿り着いた。
「清水、一杯やっていくぞ」
私は、先輩についていった。
先輩はヘネシーのVSOPをボトルで入れていた。私は先輩と同じものを注文すると、ブランデーの水割りが出てきた。
「あら、まだ若いんじゃない?」
茶髪のチーママが先輩に言った。
「清水はワシの弟分や、なんか文句あらんか?」先輩の一言で私はその店で顔パスになった。
宴は深夜1時まで続いた。
先輩はベロベロのありさまで、車は代行タクシーが呼ばれた。
先輩が会計を済ませると、「清水わりぃ、今日は家まで送ってやれん、店まで送るからバイクで帰れ」と、言われた。

店まで代行に送られた私は、バイクを走らせた。
16歳の当時の私は、酒があまり美味しいとは思えなかったから、数杯飲んだ後は、お茶やコーラで誤魔化していた。
そのためか、身体はジワリと熱いが頭はスッキリとしていた。
深夜を過ぎると大通りすら車は疎らで、私はスロットルを全開にした。
少し酔った顔に風が心地よかった。
その寺町の交差点を右折すると、自宅までの片側1車線の道路だ。
私はラストスパートをかけた。
随分と先に、停車しているブレーキライトが見えた。おかしい、信号もない道路で停車とは。
事故でもあったのか?
いや、覆面の警察車両か何かで、違反車両の取締りか?
私はスピードを減速させて、ゆっくりと慎重にバイクを進めた。
テールライトの車種や、停車している場所からして、警察車両ではなさそうだった。
なんだ、驚かせんなや、私はそうぼやいた。
徐々に白いトヨタのセダンだと分かると、静かに近づいて行った。
曲がり角もないのに、車が幾分右に傾いているのが気になった。
運転手が死んでいるのかもしれない。
私の想像は膨らむばかりだった。
セダンの背後までくると、もはやバイクを足で漕いだ。慎重に静かに運転席に近づく。
薄く車内からカーステレオから音楽が流れていたが、それが一体なんの曲だったかのかは覚えていない。
私は空き巣の泥棒のように車内を覗きこんだ。
すると、そこには30代らしき男の姿があった。
運転席でシートを倒した男が眠っている。
死んではいないようだ。
その証拠に、口と鼻穴が一定のリズムを刻んで、気持ち良さげだ。
くそ、ただの酔っ払いかよ!
私は、すぐさま興味を失い、その場を後に先を急いだ。
村田ならどうしただろうか?
不意に村田を思い出した。
なんの脈絡もなく、頭の中に村田が出てきた。
自宅まで数百メートルの赤信号で停車すると、私は突然の村田の登場に胸騒ぎがした。
村田になにかあったのかもしれない。
そう思っていると、今度はバイクのサイドミラーから、車のライトが光った。
車のライトは少しずつ眩しくミラーを反射させた。
村田が心配だ。
村田になにがあった?
車のライトが眩しい。
村田がなにか言っているのか?
車が近づいてくる。
村田と車のライトが交錯する。

私は咄嗟に、バイクを歩道に乗り上げた。
それが、なぜかと聞かれると説明はつかない。
とにかく私は、真夜中に人気も車もない道路の、なんの変哲もない自宅近所の赤信号でバイクを停車させていたが、不意に友達を思い出し、路肩の歩道にまでバイクを乗り上げたのだ。

とにかく後ろから来る車が信号で止まるまで、考えるのはよそう。
車が近づいてくる。
だが、おかしい。
ライトは強く激しく光を放ったかと思った刹那、スローモーションのように私の眼前を通過した1台のトヨタの白いセダンは、時速およそ100キロで赤信号を無視して直進して行った。

私は既に遠くに光るセダンのテールライトを、呆然と見送った。
あの時、村田のイメージが湧いたのは、このためか?村田になにかが起こったのではなく、私の危機を村田がイメージとなって教えてくれたのか?
そうとしか考えられなかった。
そして、間違いなく言えることは、16歳のあの日、私は完全に一度死んでいたに違いないということだ。
これで私は、14歳の時と合わせて2度、村田に命を救われたのだ。

当時の日本の飲酒運転は日常茶飯事だった。
現在では道路交通法が厳しく、このようなことは少なくなった。私も含めてだが、飲酒運転はロクなことがないのである。

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