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「夜叉神峠の亡霊」〜甲府駅〜3

甲府駅に到着した私たちが目指すのはホームセンターだ。
電車の中で揃えなければならない必要なものを書きだした。軽量の折り畳みノコギリ2本、大中小の釘、トンカチ、ロープ、ジッポオイル。
数えるとキリがないということで、現地に行って値段と荷物の重量との相談ということになった。
いくら必要だからと言って、すべて一度に持ち運べるわけではないのだ。
私は勤めて冷静さを保った。知らない街、知らない人々。私たちは家出をしているのだ。
妙な行動や振る舞いは謹まなければならないし、余計なトラブルは避けなければならなかった。
村田が不意に言った。
「なあ、オレたちは自由やろ?何したっていいんや。ホームセンターなんかは明日にして、少し公園で身体を動かさないか?」
まったく、人の気も知らないでこの男は、どこまで能天気なんだろうか。
ふざけているとしか思えない。
私たちは、1秒でも早く準備を進めて、誰にも気づかれないうちに南アルプスのあるかもわからないどこかの理想の土地に居を構えなければならないというのに。
あのさ、と反論を言おうとした時、村田が険しい顔で言った。
「なあ相棒、さっきからな、お前に笑顔がぜんぜんないの知ってる?オレはさっきから、つまらんげんけど」
それを言われてハッとした。
ビルのガラスに映った自分の顔をみると、村田に言われた通りの危ないヤツが、反射する太陽の光の中に半透明になって写っていた。
表情筋がこわばって眉間に二筋ほどのラインが入っていた。まるで誰彼構わず因縁を売っているようだった。金沢でもこんな顔はしたことがなかった。
「ごめん、喧嘩上等みたいな顔やな」
と、引き攣った顔で村田に謝ると駅のそばにあった大きい公園のベンチに腰を下ろした。
決めていたことをもう一度おさらいね?
村田は、先ほどまでの険しい表情ではなくなっていた。「オレたちは楽しめるのか」
私はぼそりと呟いた。
村田はベンチの座り心地を確かめながら頷いた。実際、これまで経験したことのない連続に、自分でも気がつかないうちに精神が追い込まれていたのかもしれなかった。
でもそれは無理もないとだ、と言い訳もしたくなったが、飲み込んだ。
村田も私と同じ歳なのだ。それなのに、こんなに堂々としているではないか。それが無性に恥ずかしくなった。気持ちを切り替える必要があった。少林寺の大会の決勝戦を思い出す。
あの時も準決勝で負けたばかりの村田に救われた。私よりも強い村田が格下に負けたのだ。2人で決勝をしよう!そう言われたのに。
彼の言うことを聞くと、いや、言葉を聞くとどういう訳か、安心した。
その時は、「ムッチ、決勝戦ごめんやぞ。笑顔や!笑って勝ってくれ、オレのために」そう涙を浮かべながら言われ、実際私は笑顔の勝者となった。彼は悔しくて私の心配どころではなかったはずなのだ。
あの時も村田の大きな優しさが沁みた。
そうだ、私にはリラックスが必要なのだ。
そう思うと、大きく深呼吸を数回ほどした。
すると全身の毛穴が膨らむ気がした。
急に腹の虫が鳴り出すと、心臓の鼓動が激しく脈動するのが解った。強制的に黙らされていた私の臓器たちが一気に解放を許されたのだろう。汗ばんだ身体がさらに熱くなり、汗が頭から噴き出してくる。
そうだ、今は真夏のさなかだ。私は公園にあった水道の蛇口を捻ると、ぬるい水を頭からかぶった。
「よし、とりあえず飯を喰らおう!」
村田はにこやかにそれに応えた。

その日、私たちがホームセンターに行くことはなかった。





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