見出し画像

奏でろ!ベルリン協奏曲


生まれて初めてドイツ・ベルリンの地に足を踏み入れた。

今回の旅の目的はベルリンで開催されるPREMIUMと言うファッションの合同展示会に日本のファッションブランドを出展する為だ。

今まで僕の仕事では海外のブランドを国内に輸入するという事を行ってきたが、これから大きく縮小するであろう日本の消費市場と日々大きく揺れ動く為替のリスクマネージメントとして輸出を行っていくプロジェクトを始めたところだった。そこで各国のパートナーを探している中で近年欧州でも一番景気の良いドイツのエージェントと組んでこのプロジェクトを進める事になったのだった。

彼らがこのベルリンの地でPREMIUMという合同展示会に出展するという事で、市場調査を兼ねて僕らも実験的にこのPREMIUMに場所を借りて同様に出展する事になった。

ドイツにはベルリン、ミュンヘン、デュッセルドルフとそれぞれの都市にファッションウィークがあり、その消費市場をかなり大きい。アジア人の姿はまだまだ少ないがオランダやイタリア、それにロシアからも多くの来場者があり、このベルリンの地だけでもファッションウィーク期間中に10個以上の合同展示会が開催され、街には多くのファッショニスタで溢れ賑わいを見せる。

2泊3日と短い滞在時間の中に出展の準備やミーティングとかなりのタイトなスケジュールだったが、何とか現地のヘルプスタッフに諸々お願いして、市場調査という名の下に数時間の自由時間を手にいれた。

僕はiPHONEのGPSを片手にベルリンらしいグラフティでいっぱいの地下鉄に飛び乗った。

先ほども書いたようにベルリンの街にはファッションウィーク中に10数にも及ぶ合同展示会が開催されている。僕は数時間の間にできるだけ多くの展示会を見ようとスケジュールを立てベルリンの街を端から端へ、また端から端へと横断した。

10件以上もの展示会場を巡り、その道中のファッショやインテリアショップなどを覗いている中ある事に気がついた。

パリやミラノのファッショウィーク、いわゆるパリコレやミラノコレクションの主となっているターゲット層は基本的に30代~50代ないしそれ以上をターゲットにしたものが多く、生地の素材や装飾を凝らしたハイソサイエティ的な(富裕層向け)なものが多い。

それに比べてこのベルリンの地は20代~30代をターゲットと思わせるものが多く、とてもカジュアル志向でありストリート的だ。ストリート系と言われるスケーターのスタイルをベースにしたブランドの数は目に余るほどだが、インディペンデントな気質に溢れ、コストをかけない反面アイデアや思考を凝らした表現のものも多い。

それもそのはずで、この街には若者がとても多く、作り手もそういったストリート文化を体現する若者達なのだ。街を歩いていても目を奪われるグラフティーアートを背景に、アバンギャルドなレストランやカフェが多く立ち並ぶ中、そこで昼間からビールやアルコールを煽る若者達、颯爽とスケートボードに乗りながら移動する若者達、ケバブ屋に行列を作る若者達で溢れている。スーツ姿の人なんてほとんど見かけない。

聞いた話によるとこのベルリンにはフリーランスとして働く人、アーティストとして活動する人がとても多いそうだ。だからそんな彼らをターゲットにしたファッションブランドやレストラン、バーやクラブも多くあり、世界一のダンスミュージックの街と言われたベルリンはこういった若者文化を背景として育まれた街なのかと納得する。

また面白いのが街を見渡すとたアバンギャルドなお店や、バーやクラブと達並ぶのに反して、BIOと書かれたオーガニック食材を展開するスーパーマーケット、ベジタリアン、ビーガンレストラン、沢山の花屋や植物屋、それにホメオパシーやレメディー自然療法のお店、それに東洋医療であるアーユルヴェーダや鍼灸の療法の看板までも多く目にする事だ。

ナチュラル-オーガニック文化を牽引する街ロンドン、オランダのアムステルダムでもそうだが、ダンスミュージック文化が盛んな街ではナチュラル-オーガニック-文化が華を咲かす。いや、ナチュラル-オーガニック-文化が華を咲かす時、ダンスミュージック文化が華を開くのかもしれない。そしてこのベルリンもまた然り。

一見相反するかに見えるダンスミュージック文化とナチュラル-オーガニック-文化。そのEDGEとEDGEに立つかのように思える二つの文化は何か深い見えない関連性がある気がしてならないと好奇心が募る。

加えてベルリンファッションウィーク中に開催されている合同展示会の一つの中でもユニークな展示会を発見した。

" Ethical Fashion " (エシカルファッション)と呼ばれる、環境へ配慮したオーガニックコットンやリサイクル可能な素材を使った服、動物素材を使わない事、フェアトレードをポリシーに掲げるブランド等、環境や社会貢献に配慮した服作りをするブランドを世界中から一堂に集めた展示会があった。パリでは一旦中止になってしまった展示会だが、ベルリンでは今もとても人気で、ドイツの人々のエシカル、社会貢献への意識の高さが伺える。

以前までのオーガニックコットンを使っていたり、フェアトレードしているブランドやプロダクトはどこかそれだけを前面に強調し過ぎて、物の自体のクオリティ一が般の物と比べて明らかに見劣りしている事が多かった。というよりはっきり言ってダサかった。

しかし加工技術やアイデアの進化とともに、このベルリンの地ではこの"エシカル"という思想が成熟し始め、ここに出展しているブランド達は一見それはエシカルな物である事に気がつかないほど完成度の高い物も多くあった。

本当の意味の文化の成熟とはこういう事を言うのではないだろうか。

"エシカル"という言葉が定着していない日本では、一部の意識の高い人々を除いて一般的にエシカル(社会貢献)への関心がまだまだ低い。国内でビジネスとして大きな分母で成り立つのは少し難しいと感じてしまう。日本での展開はまだ時期尚早だが、個人的には今後の動向が一番気になる展示会であり、今後の動向を引き続きチェックしていきたい。


それともう一つ。

この短いベルリンの滞在では本質は分かりかねないが、街を縦横無尽に彷徨っているとふとベルリンはどこか昔の渋谷にも似た空気を感じるなと思う事があった。正確に言うと、渋谷の街を東西南北に拡大し、街から大きな企業と企業広告を一切撤廃して、アーティストの数を倍にした感じかもしれない。それはやんちゃそうな若者の多さだったり、インディペンデントな気質な人々の多さからかのなもしれない。

ただ1つだけ大きく違うのは 東京の街から失われた”自由 ”という感覚を多く感じられる街という事だ。

車道を颯爽と走るスケーターだったり、壁に大きく描かれた様々なグラフティーだったり、夜な夜な公衆の建物に堂々と自分のお店のポスターを貼り付けるキッズの姿だったり、昼間から酒を煽る若者の姿だったり、平日でも行列を成すクラブの人だかりだったりを目にしていると、個人としての自由や表現を尊重している街のように思えてならない。

この街はアンダーグランドな文化やストリートの文化を「文化」として本当の意味で理解し大切にしているように見える。この街のその寛容性はいつからか多くの自由な人々を惹きつけるようになり、それが価値となった。

冷戦以降、ベルリンの壁で分断され全てを失っていたこの街は過去のもので、今では国内外からの多くの移住者や観光客を呼び込み、街の経済を潤しEUでトップクラスの豊かな街へと発展させた。

この街の空気を吸っていると、不思議とストリートでは誰もが自由なのだと感じてしまう。

夜に出かけたイベントで、ロンドンから移り住んで来たアーティーストに会った。彼はビールを片手に赤ら顔で嬉しそうに呟いた。

「 俺はこのベルリンが大好きだよ!このベルリンではロンドンではなくなってしまったストリート文化が未だにあるし、それに自由を感じられるからね。」

+++++++++++++++

このベルリン地ではベルリンの壁が崩壊以降、経済の混乱や失業などで西ベルリンへの移住者が増え、それに伴って東ベルリンでは空き家が増大したらしい。その空き家を目指してドイツ中からアーティストやミュージシャン等の若者が集まり、独自のコミュニティを作っていったと言う。

そこにには自由な場所(空き家)が数多くあり、「スクワット : 不法占拠」をして様々な表現活動を自由に行った。その若者達の文化が現在まで続き、ベルリンはアーティストが数多く集まる街、世界一のダンスミュージックの街として世界に名を馳せるようになった。

面白い事にその現象は僕が10年以上前に住んでいた東ロンドンでも起こっていた現象であり、当時そこに住むアーティストやミュージシャン達が同じ話をしていたのを思い出した。

多分だけど、新しいアイデアや表現、新しい文化やイノベーションを起こすには自由に使える「スペース : 余白」が必要であり、それは僕らは日本でも見習わなくちゃいけない部分なのだろう。空きスペースがなく、規制や自制と言う言葉が邪魔をして日々の雑務に追われる東京はイノベーションが起こせず次なる未来に進みあぐねていると感じる。物理的にも精神的にも余白が全くないのだ。いつも新しいアイデアや未来は無駄なスペースから生まれてくるはずなのに。

僕らは彼の言った” 自由 ”と ” 文化 ” という言葉の意味をもっと深く考えなければいけない時期なのかもしれない。もしかしたらそれは窮屈過ぎる都会を離れる事を意味するのかもしれない。

+++++++++++++++++++


たった2泊3日の短い滞在だったが、ベルリンの街の持つ魅力は僕の心を捉えて離さなかった。それにベルリンの中に僕ら日本人が進むべき未来が少しだけ見えた気がした。

到着時にグレイ色に染まり薄暗く映ったベルリンの街の景色は、いつの間にか鮮やかな色彩の街に姿を変えていた。

おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?