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(H57) 伝えたい、中国のリアル : 東京生まれ、北京育ちの私が考える日中相互理解-1 (2020.6.2) by 夏目英夫 より抜粋加筆しました。

⑴ 「中国の奇跡」を体感

日本が祖国だとすれば、中国は故郷。
19年に及ぶ北京生活は、東京から来た幼い子供を生粋の北京人へと成長させました。


2000年夏、5歳だった私、夏目英夫は、
両親の仕事の都合で、中国・北京に移住。

幼いながら、テレビで見たことのある天安門広場と、
人々が自転車でせわしなく行き交う「だだっ広くて、平べったい」中国のイメージが刷り込まれていたため、東京と大して変わらない風景に驚いたことを覚えています。

家の窓からは、高層ビル群や高速道路が見え、
北京は大都会だと知りました。


移住の翌年の2001年、北京は2008年夏季五輪開催地に決定し、WTOへの加盟も果たしました。

そこから、
「中国の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げ、北京の都市景観はさらなる変貌を遂げました。

特に北京五輪前後は、
国全体が活気に溢れ、経済成長が加速し、国際社会の一員として日に日に存在感が増していくのを実感できました。


北京での生活が長くなるにつれ、
私はすっかり北京での暮らしに馴染み、北京人へと成長していった。

気が付けば、北京が大好き、中国という国も、
私は好きになっていきました。


⑵ 「外国人」である現実を突きつけられることもたびたびあった

高校時代、
同じクラスの友人と日本語でおしゃべりしながら買い物をしていた時のこと、通りすがりの店の店員から、「日本鬼子」(日本人の蔑称)と呼ばれことがあった。


私は長く北京で暮らしていただけに、心に刺さるような出来事でした。

逆に、日本に帰国すると、
今度はただの一学生なのに、中国への批判や差別を一身に受けなければならないこともあった。


そんな時、私は解決に乗り出すよりも、とりあえず、問題回避することを決め込んだ。

アイデンティティに関する機微に触れる質問に対しては、曖昧に答えることにしていました。

一方は自分の祖国であり、もう一方は自分の故郷。
どちらも、自分にとっては重く大切な存在。


大学に進学後も、
「自分たちはどこから来て、どこへ行くのか」という問いに、悶々とし、心の渦が鎮まることのない日々を過ごしていた。

今思えば、これらの疑問も全く無意味なものでした。


2000年から2018年まで、
激動の中国を北京で過ごし、清華大学を卒業した日本人がいます。


清華大学は、2020年のアジア諸国での大学ランキング1位。

世界的な投資家ジム・ロジャーズは、
これから先、世界の名だたる大学(ハーバードなど)を抜いて清華大学が、世界ランキング1位の大学になる日が来るだろう、と言っています。


コンピュータサイエンスにおける大学のランキングで、
現在の世界第1位は清華大学です。

つまり、コンピュータサイエンスの教育分野で、
中国はすでに米国の大学を抜いてしまっています。

私は上海在住11年目。 2020年2月、在中国日系企業を対象とする、 「⺟国語で現場情報を引き出す、社内コミュニケーションツール」 を無料リリースしました。 コラボしたい方、ぜひお待ちしております。 bigluck777r7@yahoo.co.jp