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(E17) 中国と日本。専制と民主のどちらが優れた仕組みなのか-2 (2020.2.28) by 田中信彦 より抜粋加筆しました。

⑸ 「社会不信」「他人不信」の中国

以下のの違いが鮮明に表れています。
①仕組みとか制度、ルールといったものに対する信頼感が低く、頼れるのは自分の判断のみと考える傾向が強い中国社会
②それらのものにとりあえず信を置き、まず「みんな一緒に大きな船に乗る」傾向が強い日本の社会


ざっくりひとくくりにして言えば、
中国ではこういう危機が発生したとき、まず人々が考えるのは以下です。
「誰も信用できない。
誰かの言っていることは全て一種のポジショントークであって、本当のことではない。
自分の身を守るのは自分しかない」

一種の「社会不信」「他人不信」が根底にあるので、常に最悪の場合を想定して行動します。


そして、根深い「社会不信」「他人不信」がベースにあるが故に、その社会で秩序を維持し、とりあえず身の安全を守れるようにするには、強い権力による統制を受け入れます。

どんなに不自由でも、無秩序よりはマシだからです。
だから、誰だって自宅軟禁など望んではいないが、そうでもする「強権」がなければ、世の中、本当にどうなってしまうかわかりません。

それこそ怖くて怖くて仕方がない――という感覚になリます。


⑹ 「監視国家」の優越性を証明していいのか

顔認証システムなどの「監視社会」としての中国に昨今、日本でも関心が高まっています。

個人のプライバシーという観点から言えば、
こうした「監視システム」が大きな問題をはらんでいることは事実だし、それが権力体制、既得権益の維持に供されていることは明白です。

しかしながら、それが中国の社会で広く導入され、定着しているのは、単に権力が横暴だからではない。

それを受け入れる素地が人々にあるから、社会に定着し、機能しています。
善悪はともかく、その事実は軽視すべきではない。


もし、仮に今回の新型肺炎がこのまま中国では収束に向かい、日本がさらに悲惨な状況に陥るようなことにでもなれば、そのシステムの優位性が目に見える形で世界に印象付けられるでしょう。


正直言えば、私も、条件付きではあるが、
「やはり「強権」は必要だ」と思い始めています。

デジタル化、グローバル化が破壊的な勢いで進み、
時代は変わってしまった。


ただそのときに、「強権」そのものをいかに私たち自身の手で管理するか、その具体的な方法論が求められます。

もし権力の有効なコントロールを私たちが実現できなければ、以下の議論に対して、有力な判断材料を提供することになるでしょう。
「専制と民主のどちらが優れた仕組みなのか」


言論の自由がある日本では、
首相に罵詈雑言や政府批判を言っても誰も逮捕されません。

しかし、昔から「お上の言うことには素直に従う」という風習があります。


国難である新型肺炎への今回の対応は、
民主国家日本国の興廃を賭した”闘い”になリます。

私は上海在住11年目。 2020年2月、在中国日系企業を対象とする、 「⺟国語で現場情報を引き出す、社内コミュニケーションツール」 を無料リリースしました。 コラボしたい方、ぜひお待ちしております。 bigluck777r7@yahoo.co.jp