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でもまた歩き出せるから大丈夫

ここ数ヶ月間、ずっと悩んでいた。

数ヶ月というか、言ってみればこの数年の悩み。

というのは「この先どうやって生きていくか」という悩み。

今は会社員として一応働いているけど、年齢を重ねていく中で自分の市場価値の低さを知り、40代を迎える今後を生きていける自信がなかった。

会社員として生きるならせめて「好きな業界に身を置きたい」と思い、今年の前半は転職活動も試みた。

少年の頃から憧れていた映像業界の会社へ、転職の挑戦もしてみた。

でも書類で落ちた。

現時点の自分のスキルと経験では相手にされない。

それを知り、

「ならばいずれその世界に行けるよう今の会社で経験と実績を積もう」

と気持ちを切り替えて、4月になって転職活動は中断することにした。

今までの業務を続けつつ、企画やマーケティングといった領域にもチャレンジしてみる。

1年~3年程度、本気で頑張ってみれば人間は成長できるはず。

成長した先には別業界でも通用する人材になれているはず。

しかし心の底ではその道の険しさとゴール地点のハードルの高さは理解していた。

可能性の低さだって実感していた。

だから悩んでいた。

本当にやっていけるのだろうか。

いざ勉強をし始めてみると、これまで知らなかった知識を知ることになり、それはそれで楽しくもある。

他社の人間を見て「専門家だな。すごいな。自分はとてもじゃないが及ばないな」と感じることがあっても、本屋に行ってその職種の本を読めばその人間が言っていたことと同じことが書いてあったりする。

ようは自分がこれまで勉強していなかっただけで、勉強していけばその差は埋まる。

本当に抜きんでた能力を持ったビジネスパーソンなんて、僕のいるレベルの世界観ではそんなにいるもんじゃない。

みんな案外どっこいどっこいぽいな、ともちょっと思った。

ただそんな人々よりもさらに劣っている自分は、年齢的なことも考えてやっぱりだいぶ市場価値が低いのも事実だと改めて理解した。

となると、40歳以降どう生きていけばいいのか全く分からない。

結局その答えに行き着いた。

このまま歳を取っていくのが恐く、人生に絶望し始めていた。

ここが自分という人間の限界なのか。

少年の頃はあれだけ将来の夢に目を輝かせていたのに。

可能性を持っていたのに。

生命の光を失う時が来ていると痛感していた。

このモヤモヤは本当にキツかった。

しかしある時その暗闇を抜けた。

きっかけは特に無い。

強いて言えば、悩みに悩んで、考えに考え抜いたからだ。


「そうか、小説家になりたいんだ」

10年弱追っていた夢だ。

結果が出ないから内心ではとっくに挫折していたけど、もう一度小説を頑張ってみようという、ごく単純な思考が頭に渦巻き独占した。

小説家になり、小説家として生きていく。

現実的かどうかじゃなく、自分の中でそう決めてしまったら心が嘘みたいに楽になった。

希望を見出だしたわけでもなく、勝算が見えているわけでもなく、もちろん結果が出ているわけでもない。

この楽さは、日々の先に目指すものそれが明確になったが故の楽さだ。

この先自分がどうなっていくのかという靄みたいな不安を見るより、「これやりたいからこれやろう」という簡単な標識を立てただけだ。

この1年半ほど、noteをのんびり書いてきた。

外に向けて、その時々の自分の心情や感情を出来るだけ正直に書いた。

そうすると、自分がすぐブレる人間であることがありありと分かった。

ちょっと前向きになったかと思えば、すぐまた同じ悩みにぶつかる。

同じようなことを何度も書いてきたけど、それが逆に自分を相対化することにつながった気がする。

結局悩みの種類なんて大した数は無いんだな。

僕は30代を迎えて以降、夢を見ることに対して「年甲斐もなく」と周囲から遠回しに言われることに何度か遭遇した。

無意識のうちにそういった声を気にし、「小説家目指してるけど、まぁ別に厳しい道なのは理解してるし、本職はちゃんと安定した仕事するつもり」と自分の中で幻の誰か他人に向かって必死に弁解みたいなことをしていた。

だから会社員の仕事というものが人生の中心になってしまっていた。

だから苦しかった。

人生の中心に会社員を置けば、会社員として今後食っていける自信が無いことは重大な問題となってしまうのだから当然だ。

そして現実を考えれば夢で飯は食えないのだから、会社員として食っていくことを人生の中心に据えることは当然のように見えてしまう。

でもそんなのはおかしな話で、自分の人生は自分のものだ。

せっかく生まれてきて、運よく生きているのだから、心が「やりたい」と感じることを人生の中心に置くべきだ。

それが今の僕にとっては「小説を書くこと」だった。

気持ちの中で、人生の中心は小説を書くこと、というふうに切り替えるだけで、生きるのが超絶楽になっている。

日常の中に最重要な目標があるからだ。

日常の中に最重要な目標があることがこんなにポジティブな作用をもたらすとは。これは何とも最重要だ。

若い頃はこんな最重要なことが自然のことだったから気が付かなかった。

でも今は物凄く良く分かる。

生きる目標は即ち生きる意味だ。

生きる意味は生きる原動力であり、生きる理由だ。

それが今はある。

再び、僕の人生上に現れた。

だから楽。

人生の中心以外のことはおまけだから、おまけの事柄に何があっても大して動揺しない。


書き物をしたいなと毎日こんなに感じるのは、20代前半以来かもしれない。

フリーターをやめて社会人になってから10月で丸10年経つ。

10年間会社員を経験してみて、しんどいことや虚しさを感じることも多かったけど、これを知れただけでもやってきた甲斐はあったかもしれない。

もちろんまだ会社員を辞める予定は無いけど、将来はやはり会社員以外の生き方をしたいと思っている。

夢は、小説家として死ぬことだ。

あくまでも、現時点での夢ではあるけれども。

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