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恭子と明彦、エピソード Ⅴ

恭子と明彦、エピソード Ⅴ

絵美への電話

 翌日の夕方絵美に電話をかけた。昨日にも電話をかけたかったけど、明日、といわれたからなあ。

「・・・というわけなんだよ、絵美」と、何か、このフレーズで謝って、相談ばかりしているような気が最近する。

「う~ん、どういうことかしら?」と絵美。
「ぼくにもわからないよ。だけど、恭子から訊かれたこと、ぼくが答えたことはぜんぶ話したよ、絵美には」ぼくは別れ際キスしたことも正直に話した。ぼくらはバカなんだろうか?
「恭子さんが私に会いたい、というのは、好奇心なのかもしれないわね」
「そうなのかなあ。とにかく、絵美には正直にそのまま話した方がいいような気がしたんだ。隠し事などない」
「もちろん、隠し事なんかないことはよくわかるわよ」
「会う?会わない?」
「会います。私も会ってみたい気がするの」
「・・・やれやれ」

「キミにとっては困惑するようなことだろうけど・・・」
「そりゃあそうだよ。男性の友人同士を紹介する、という話じゃない」
「それもキスして、セックスした女性とセックスはしていない私じゃあね」
「それでも会うというのか?」
「私自身の束縛感とか、所有欲も赤裸々に見てみたい気がするのよ」
「化学の実験みたいなことをいうなよ」
「でも、明彦がセックスした女の子に会って、私がどう感じるか、どう反応するか、とっても知りたいわ」
「・・・わかった、了解」

「いつにする?」
「今度の日曜日はあいてる?」
「いいわよ、どこ?」
「東京駅にしよう。八重洲口の改札口、ほら新幹線の改札口に近い出口で待ち合わせではどうだろうか?」
「何時に?」
「11時ではどうだろう?」
「いいわよ」
「ぼくと恭子は一緒にいくことになるけど、いいかい?家が近いからね」
「それで心理的な負担になるわけじゃないわ、大丈夫よ」
「じゃあ、彼女にそれでいいかどうか、伝えるよ」
「オッケー。1週間、考える時間があるわね。待ち合わせの変更以外、私に電話しないでね」
「おいおい、電話かけてはいけないのか?」
「この話を伝えたら、恭子さんにも電話を日曜日までかけちゃダメよ」
「おいおい、なんなんだ?まあ、いいや、わかった」
「私と恭子さん以外の女の子になら電話をかけていいのよ」
「そういう話じゃないよ。誰にも女性には連絡しないよ」
「じゃあ、次の日曜日に。お休み」と絵美はガチャッと電話を切った。といって、機嫌が悪いわけじゃない。どうにも女性の心理はわからない。

恭子への電話

「・・・というわけなんだよ、恭子」と、まるっきり同じフレーズで話を締めくくった。こればっかりだ。恭子にも正直に絵美との会話の内容を話した。。

「絵美さん、会ってくれるのね?」
「と、絵美はいっている」
「ステキな女(ひと)のようね」
「恭子に対していうのもなんだけど、ステキだと思うよ」
「かなり頭がいい」
「相当いいと思う」
「ねえねえ、絵美さんのことを話して」
「え~、なんで?」
「私のことも話したんでしょ?身体の特徴、性格、いろいろと?」
「話したけどそれほどじゃない。服はどういう好みでとか、身体的特徴とか、今の大学とか・・・」
「絵美さんに明彦が説明したことだけを説明してみて」

「え~、わ、わかったよ」とぼくは恭子に説明した。まったく同じレベルの話を。キスした話も説明した。絵美にこのセックスの話をしたんだから、これも話さないといけないと思ったんだ。
「ふ~ん、だいたいわかった」
「本当に会うの?」
「もっと会いたくなってきたわ」
「・・・やれやれ」
「そう、じゃあ、そういうことで、絵美さんのいうとおり、私にも日曜日まで電話をかけないでね」
「かけません、かけませんとも」
「他の女の子には?」
「かけません、絶対に今週は女性には連絡しません」
「じゃあ、次の日曜日に。お休みなさい」と恭子は電話を切った。どっちも機嫌なんか悪くない。機嫌が悪いのはぼくのほうだった。

東京駅

 また、国道を渡って、信号を4つ、線路の上の歩道橋を渡って、杉山神社の横を通って、坂道をのぼった。10時前に恭子の家についた。

 呼び鈴を鳴らす前に恭子が玄関に出てくる。「1週間ぶりぃ~!」とうれしそうにいう。なにいっているんだか。連絡するな、会うな、っていったのは恭子のほうじゃないか?「さ、行きましょ」と彼女がいう。「お母さんは?」「出かけているの。だから、私一人。鍵かけるから待っていてね」恭子は家に入って、ハンドバックを取ってくきた。鍵束をガチャガチャいわせて鍵をかける。

 今日は恭子の服装はいつもと違うような気がする。子供っぽさのない服装だ。ジーパンをはくわけでもなく、ミニスカートをはくわけでもない。

 ぼくらは、京急で鶴見駅まで行って、京浜東北線に乗り換えて、東京駅まで行った。途中、景色の話とか、ぼくの就職の話ばかりしていた。八重洲口の改札口を出たのが10時50分で、絵美はまだ来ていなかった。

 11時ちょうどに絵美が改札口からあらわれた。おいおい、今日はまったく普段のファッションとまったく違うじゃないか?何か意図があるんだろうか?絵美は、紅いダウンジャケット、黒のタートルネック、ミニの赤と黒のタータンチェックのプリーツミニスカート、黒いストッキング、黒の皮の短靴、おまけにベレー帽までかぶっている。1981年にそんなミニスカートをはいている女性は滅多にいなかった。これじゃあ、10年前の格好じゃないか?いつもの服装とまったく違う。相手が妖精だから、向こうを張ったのか?恭子は、逆に、トレンチコート、白のボタンダウンカラーのシャツ、ライトブルーのVネックのセーター、チノパンツ。これじゃあ、いつもと格好が反対じゃないか?

「あら、明彦、待った?あなたが恭子さんね?よろしく」と絵美が満面の笑顔でいう。
「あなたが絵美さんなのね?こちらこそよろしくお願いします」と恭子も満面の笑顔でいう。何をお互いによろしくお願いし合っているのか、ぼくにはさっぱりわからない。

「明彦、どこに行くの?」とふたりが声を揃えるようにしてぼくに訊く。
「もちろん、東京駅八重洲口なんだから八重洲ブックセンターに行くに決まっているじゃないか?」とぼく。

 これは考えたのだ。ふたりのどちらか一方、または双方と一緒に行った場所などにはとてもじゃないが行けない。ふたりとも何か想像するだろう。だから、横浜ではまずいし、目白近辺もダメだ。中間地点で、ビジネス街の東京駅が妥当なのだ。それで、このふたりと行っていない場所というと、八重洲ブックセンターしかなかった。

「本屋さん?」と恭子が訊く。「本屋に行くの?」と絵美が訊く。
「そう、本屋に行って、本を買って、丸の内に戻って、東京ステーションホテルで3人で食事するんだよ」とぼくは答えた。

 東京駅にホテルがあるのを知っている人は少ない。そこのレストランがこじんまりと人があまりいなくて、込み入った話もできる。それにレストランは100席以上ある。隅の方に席をとれば、誰にも見られないのだ。

「ふ~ん、明彦、考えたようね?」と絵美。「え~、絵美さん、それはどういうこと?」と恭子。

「明彦はね、きっと私たちと一緒に行ったことがない場所を選んだのよ。そうでしょ?恭子さん?それで、あまりひとけのないレストランに連れて行くのよ。あなたも私も本屋に行くと本を買うのに夢中になるわけ。本が目に前にあって、レストランで本を広げれば、話題のタネになる。しかも、私と恭子さんの本の嗜好が違うんだろうから、それでお互いが相手のことを多少わかる、という作戦なのね?明彦?」

「そんなになんでもかんでも図星で言わないで欲しい」とぼく。「それをいうなら、きみたちの服装の違いはなんだ?まるで、普段の服装を取り替えっこしたみたいじゃないか?ぼくが説明したきみたちの容姿、好みから、相手の服装をまるで盗んだみたいじゃないか?だいたい、絵美はベレー帽なんて持っていたのか?見たことないよ。恭子もチノパンツなんてみたことないぞ」とぼく。

「ま、これも作戦ってことよ、明彦」
「私も同じことを考えていたわ」と恭子。
「頭が痛くなってきた。とにかく、本屋に行こう。それで、本を買って、ぼくはレストランでビールを飲む」とぼくは宣言した。

 八重洲ブックセンターでみんな別れて別々の書棚に向こうかと思った。でも、女の子達はくっついたままだ。早川と創元推理文庫に行ってしまった。しかたがないので、ぼくも一緒に行く。

 絵美がホーンブロワーシリーズを指して「恭子さん、これ読んだ?」と訊く。「読んだわ、ホンブロワー大好き」と恭子。「アリステアマクリーンは?」「ユリシーズね、哀しい話」「ディックフランシス?」「『大穴』、大好きなの、シッド・ハレー、惚れてしまいそう」「アーサ・C・クラークもね?」「オデッセイ!」「ブラッドベリ?」「火星年代記!」、彼女たちは次々と本を指さして歩いていく。

「ここにはないけど、澁澤龍彦は?」
「読みました。だけど、ちょっと難しい」
「矢作俊彦は?」
「二村刑事好きなんです」
「ふ~ん、誰に薦められたかよくわかるわ」
「アラ?」
「ほかの嗜好は別だと思うけど、明彦の好きなものはどうもふたりとも共有しているようね。恭子さんが明彦に薦められていない本で何が好きなの?どの方面?」
「シャルル・ペローとか、イソップ物語。グリム童話。アンデルセン、宮沢賢治、万葉集、源氏物語、伊勢物語、土佐日記、竹取物語・・・」
「そっち方面なのか。私もぜんぶじゃないけど読むわよ」
「絵美さんは何がお好きなの?」
「心理学関連は別にして、ギリシャ・ローマ神話、北欧神話、アガサ・クリスティー、スティーヴン・ジェイ・グールド・・・」
「スティーヴン・ジェイ・グールド?」
「アメリカの古生物学者、進化生物学者よ。ダーウィン読んだ?」
「ビーグル号航海記なら読みました」
「ダーウィン主義を踏襲して発展させた学者なの」
「へぇ~」
「それから、フィリップ・K・ディックとか・・・ふたりとも本はたくさん読んでいるようじゃない?」
「ほんとに。そうかあ、絵美さんのことがちょっとわかったみたい」
「私も恭子さんのことがわかったようだわ」

 ふたりの相互理解は深まったようだが、ぼくはどうなるんだ?

「本買わないの?」とぼくがいうと、
「なんで私たちのあとについてくるの?」とふたりが声を揃えていう。

「・・・やれやれ、じゃあ、ぼくはみすず書房のコーナーでも眺めているよ」
「ハイ、いってらっしゃいな」と絵美。
「バイバーイ」と恭子。

 なにがなんだかわからないが、ふたりともにらみ合ったり喧嘩しているわけじゃない。十数分後、彼女たちも本を抱えて、キャッシャーに並んだ。

「お腹がすいたわね」と絵美。
「私もお腹がすいちゃったの」と恭子。
「ハイハイ、ステーションホテルまで歩いていこう・・・やれやれ」

 ぼくと恭子は定期券を持っていたのだが、絵美は路線外だから、ぼくは彼女の分の入場券を買った。

「地下道を通っていけばいいじゃない?」と絵美。
「まっすぐ突っ切った方が早いんだよ」とぼく。
「無駄遣いばっかりしているのね」と恭子。
「いいじゃないか?」とぼく。

 ふたりはさっさと駅に入って、スタスタとふたりで歩き出した。ぼくの前を、21世紀でいう、Chantal Kreviazuk と背の低い若い頃の Meg Ryan が歩いていったようなものだ。ぼくはその後からトボトボついていった。


 Harry: You realize, of course, that we can never be friends.
 ハリー:絶対に友達になんかなれないってわかってるくせに。

 Sally: Why not?
 サリー:何で?

 Harry: What I'm saying is that men and women can't be friends, because the sex part always gets in the way.
 ハリー:つまり、男と女は友達にはなれないんだ。セックスがいつも邪魔するから

 Sally: That's not true.
 サリー:それは違うわ。

 Harry: No man can be friends with a woman he finds attractive. He always wants to have sex with her.
 ハリー:魅力があると思っている女性と友達になれる男なんかいない。いつだってそんな女性とはセックスしたいと思うんだから。

 Sally: What if they don't wanna have sex with you?
 サリー:もしセックスしたくないと思ったら?

 Harry: Doesn't matter, because the sex thing is already out there, so the friendship is ultimately doomed and that is the end of the story.
 ハリー:関係ないよ。だってセックスの問題はいつもそこに存在するんだから友情も結局終わる運命にある。

 Sally: Well, I guess we're not gonna be friends then.
 サリー:それじゃ私たちも友達にはなれないわね。

 Harry: Guess not.
 ハリー:そのようだ。

 Sally: That's too bad. You are the only person that I knew in New York.
 サリー:それは残念。あなたはNYで知ってる唯一の人なのに。

 Harry: I've been doing a lot of thinking. And the thing is I love you.
 ハリー:ずっと考え続けてた。結論は、君を愛してる。

 Sally: What?
 サリー:何ですって? 

 Harry: I love you.
 ハリー:愛してる。

 Sally: How do you expect me to respond to this?
 サリー:どう反応しろって言うの?

 Harry: How about you love me, too?
 ハリー:君もぼくを愛するって言うのはどう?

 Sally: How about, I'm leaving.
 サリー:失礼するって言うのはどう?

 Harry: Doesn't what I said mean anything to you?
 ハリー:俺が言った事は君には何の意味も持たないのかい?

 Sally: I'm sorry, Harry. I know it's New Year's Eve, I know you're feeling lonely, but you just can't show up here, tell me you love me and expect that to make everything all right. It doesn't work this way.
 サリー:ハリー。ごめんなさい。今日は大晦日で、あなたが寂しい気分でいるって事もわかってる。でもただここに急に現れて、愛してるだ、何て言って全てがうまく行くなんて思わないで。物事はそんなにうまくいかないの。

 Harry: Well, how does it work?
 ハリー:じゃ、どういう風にいくんだい?

 Sally: I don't know, but not this way.
 サリー:わからないけど、こんな風ではないことは確か。

 Harry: How about this way? I love that you get cold when it's seventy-one degrees out. I love that it takes you an hour and a half to order a sandwich. I love that you get a little crinkle above your nose when you're looking at me like I'm nuts. I love that after I spend a day with you, I can still smell your perfume on my clothes, and I love that you are the last person I wanna talk to before I go to sleep at night. And it's not because I'm lonely and it's not because it's New Year's Eve.
 ハリー:じゃあこんなのはどう? 気温が22度あるのに寒がる君が好きだ。サンドウィッチをオーダーするのに1時間半かける君が好きだ。俺が馬鹿なことをしたときに鼻にちょっとしわを寄せるのが好きだ。君と一日中過ごした後、俺の服に君の香りがするのが好きだ。そして一日の最後に会話を交わす相手は君しかいないんだ。これは俺が寂しいとか、大晦日のせいじゃないよ。

 Harry: I came here tonight, because when you realize you wanna spend the rest of your life with somebody, you want the rest of the life to start as soon as possible.
 ハリー:今晩ここに来たのは、残りの人生を誰かと過ごしたいって思ったときに、出来るだけ早くその残りの人生を始めたいと思うだろ?

 Sally: You see, that is just like you, Harry. You say things like that, and you make it impossible for me to hate you. And I hate you, Harry. I really hate you. I hate you.
 サリー:ほらね、全くあなたらしいわ、ハリー。そんなことばっかり言って、あなたを嫌いになれないようにするのよね。あなたなんか大嫌いよ。本当に大嫌い。嫌いよ。

 Harry: What does this song mean? My whole life, I don't know what this song means. I mean, "Should old acquaintance be forgot"? Does that mean we should forget old acquaintances, or does it mean if we happened to forget them, we should remember them, which is not possible because we already forgot them?
 ハリー:この歌はどういう意味? 今までずっとこの歌の意味がわからなかったんだ。「古い知り合いは忘れられるべき」。これって、古い知り合いを忘れるべきなのか、それとも忘れることがあるから、覚えておくべきなのか、でもすでに忘れてるんだから、思い出せないだろう?

 Sally: Well, maybe it just means that we should remember that we forgot them or something. Anyway, it's about old friends.
 サリー:それは多分、忘れた友人がいたことを思い出すとか、そういう意味なんじゃない? とにかくこれは古い友達のことを歌った歌よ。

 Harry: The first time we met, we hated each other.
 ハリー:俺たちが最初に会った時、お互い嫌い合ってた。

 Sally: No, you didn't hate me, I hated you. And the second time we met, you didn't even remember me.
 サリー:いいえ、あなたは私を嫌ってなくて、私があなたを嫌ってたのよ。2回目に会った時、あなたは私を覚えてもいなかった。

 Harry: I did too, I remembered you. The third time we met, we became friends.
 ハリー:覚えてたとも。3回目に会った時、俺たちは友達になった。

 Sally: We were friends for a long time.
 サリー:私たちは長い間友達だった。

 Harry: And then we weren't.
 ハリー:そして友達ではなくなった。

 Sally: And then we fell in love.
 サリー:そして私たちは恋に落ちた。


東京ステーションホテル

 東京ステーションホテルは、東京駅丸の内駅舎の向かって右側になる。改札口を出ると逆で左に曲がる。駅舎の品川よりと思えばいい。バーもあり、フランスレストランもある。バーは左右に2つある。品川よりのバーなどまず夜間、週末でないと人などいない。ぼくはよく一人で八重洲ブックセンターで本を買い込み、このバーに潜り込んで、ビールを飲みながら本を読んでいる。

 大きい方のレストランでもよかったんだが、それよりも品川よりのこぢんまりしたレストランにした。ステーションホテルなどというと、駅ビルの中などにある鉄とコンクリートの固まりを想像する。だけど、ここは大正3年に竣工、開業をはじめた赤煉瓦の東京駅の一部なのだ。鉄とコンクリートの固まりの無粋な代物とは違う。昭和30年代には川端康成や松本清張がホテルに缶詰になって小説を書いていた場所なのだ。

 ホテルのフロントは、東京駅丸の内中央口と南口の間にある。乗換駅だから気付かないだろうが、赤煉瓦の建物の1階は人の行き交う忙しい駅なのだが、2階や南口駅舎の2階と3階は別の空間なのだ。南口駅舎の3階の部屋の窓からは、駅舎の吹き抜けを見下ろすことができる。

 八重洲中央口から入って、中央地下通路をスタスタと歩いていったふたりだが、丸の内側の改札口を出て脚を止めた。

「明彦、その東京ステーションホテルってどこにあるのよ?」と絵美が言う。
「いいから、まっすぐ行って外に出ろよ。外に出たら左に曲がる。そこがホテルのフロントだけど、ずっと左の方に行くとフレンチレストランの入り口がある。食事はこぢんまりしたそこで食べよう」とぼくは言った。

「こんなところにホテルがあるの?」と恭子が言う。
「この駅舎の中央棟から南口棟、その横のウィングの2階と3階がホテルなんだよ」とぼくが答える。
「うそぉ?」と彼女が言う。「ほんと」とぼく。

 ぼくらは南口駅舎を通り過ぎて、さらにサウスウィングのエンドに歩いていって。

 フレンチレストランに入るとぼくは「予約を入れていませんが3名、よろしいでしょうか?」とフロントに訊いた。「どうぞ、こちらへ」とフロントの人が窓側の席に案内してくれた。まだ、少々早いので2~3グループが着席しているだけだ。

「天井が高いのねえ。あら?電車が見える!給仕の人の服装、明治時代みたいじゃない?」と恭子が言う。
「なかなか雰囲気が出ているだろう?でも、ぼろ臭いんだ。大正時代の建築だからね。それで安い」とぼく。

 メニューを見ながら「何が明彦のお薦めなの?」と絵美が訊く。

「ビーフシチューがおいしいよ。洋食屋のビーフシチューだよ」
「私、それを頂くわ」と絵美。
「私もそれにする」と恭子。
「飲み物は?ぼくはビールを飲む」
「私も同じ。恭子さんは?」
「う~ん、どうしようかなあ?ビール、苦いからなあ。でも、ビールにする」と恭子。
「了解」ぼくは給仕(メイドさんと言っていいのだろうか?)の人を呼んで、ビーフシチューとビールをみっつ頼んだ。

「さてと、おかしなトリオだけれど、まずは落ち着いて座れた。で?」とぼくが言うと、
「絵美さんは何の本を買ったの?」と恭子が関係のないことを絵美に訊く。

「文藝春秋、小説新潮、井上ひさし、医学書、解剖学ね。それから、岩波文庫少々、くらい。恭子さんは何を買ったの?」と絵美もぼくを無視して恭子に尋ねる。
「黒柳徹子、畑正憲、北杜夫、ディッケンズ、絵本、フェルメール画集を買ったの」と恭子。
「ぼくが何を買ったかは訊かないわけかい?」
「だいたいわかるから訊かないわよ」と絵美が言う。
「そうそう、どうせSFとサスペンスと哲学書でしょ?今日は理系のコーナーには行っていないから。。。」と恭子も言う。

「やれやれ、つまらない女の子達だな」とぼくが言うと、ふたりしてぼくを睨んだ。おいおい。
「あれぇ?その女の子達を好きなのはだれ?」と恭子が言う。
「そうよねえ。今日はそれが主題じゃないの?」と絵美が言う。
「やっと主題に。。。ああ、ビールがきた」とぼく。「まあ、ビールでも飲もう」

 給仕さんがビールをそれぞれの席に配った。女の子達はお互いでビールをつぎあった。ぼくは自分で自分のビールをついだ。あくまで公平に、というわけだ。

「絵美さんは、さっき言っていたけど、明彦が八重洲ブックセンター、東京ステーションホテルを選んだわけがすぐわかったの?前からここに来るって知っていたの?」
「さっき初めてきいたの。それをきいて、ああ、明彦がこう考えたな、というのはわかったわ」
「恭子はわからなかった」
「わかる方がおかしいのよ。明彦も私のことをちょっとおかしい女の子といったんじゃない?」
「おかしいという表現はしたけど、おかしくなんかないわ。すごく頭がいいのはわかった」

「どうなのか私もよくわからないけど、人の心は読めるようなのよ。問題は自分の心が読めないだけ」
「私なんか人の心どころか自分が何を考えているかもわからないのよ」
「人の心はわかるわ。わからないのは自分の心。特に、誰かを束縛するとか、所有したい、なんて自分が考えはじめたら、混乱するの。今回みたいにね」
 
「絵美さんみたいな人でも自分のことがわからなかったり混乱したりするの?」
「私、恭子さんよりもものすごく大人ってわけじゃないのよ。2年ちょっとしか年齢は違わないでしょ?」
「私、絵美さんよりもはるかに幼い気がするのよ。それに2年ちょっとたっても、やっぱり同じような気がするの」
「人間の本質などそれほど変わるわけじゃないわ。私は産まれたときから、こんなおかしな女だったんだから。ね?そうでしょ?明彦?」
「急にぼくにふるなよ、話を。拝聴しているんだから」
「今日は大人しいのね」
「そりゃあ大人しいよ。こういう状況というのはめったにあるものじゃない」
「そうね。そういえばそうだわ。それでね、恭子さん、私は今日は非常に不安定なのよ。あなたと明彦、そして私のパワーバランスばかり考えていて、とても考えがまとまらないの」と絵美は恭子を見て話していた。

「なぜ?」と恭子がきく。

「好きな男の子がセックスした女の子、その子が目の前にいる。私は彼とキスしかしていない。セックスしていない。男と女がセックスしたら何かが変わる人もいる、変わらない人もいる。この明彦は、変わらない方の部類に入ると思っているけど、それほどの確信はない」と絵美が言った。
 
「それから、もしも、変わらないとしたら、せっかく彼とセックスした女の子が失望すると思う。だから、変わらないで欲しいと思う反面、恭子さんのことを考えると何かが変わっていて欲しいと思う。だけど、変わってしまったら、私は何かを失うような気がする、ここまでいかしら?」と絵美。

「よくわかるわ」と恭子。

「何かを失うという気分があるということは、私は明彦を束縛したいとか、所有したいという意識があるに違いない。そういう意識、私は嫌いなの。でも、それは表層意識にしかすぎなくって、深層にある意識では、その逆の、誰かを束縛したい、所有したいという矛盾した意識があるに違いないと思っています。だから、混乱しているし、非常に不安定だし。普通、恭子さんが会いたい、と言ってもまさか会うような女性はいないでしょ?でも、私は私のことが知りたいから、会う、とお答えしました。今は非常に自分自身が弱く思えるのよ。自信がないのよ」と絵美がいった。「それに、誰かを束縛する、所有するということは、自分も束縛される、反対に所有されるということにつながる。私、自分でやりたいことがあるの。それが、誰かに束縛されてできない、などという状態はイヤなのよ。避けたいの」

「ただね、束縛はしないけれど。。。」と絵美がニヤッとぼくに笑っていった。「干渉をしないとはいっていないわよ。束縛と干渉は違うの。束縛は首に首輪とナワをつけるみたいなものだと私は思う。でも、干渉は、方向性の提示?そういうことだと思います。私の中では束縛と干渉は違う。ねえ、恭子さん?」と絵美が恭子にいう。

「え?」と恭子。「明彦みたいな男の子は、干渉すらしないと放し飼い状態になって、どこに飛んでいってしまうか、わかったものじゃない。私は干渉はします。束縛はしないけど。所有もしない」と絵美。「そう、それから、セックスのコンペティションもしないわ。私がしたいと思って、彼が同じくしたい、楽しくできる、そういう時がきたら、私はするわ。誰がなんといおうする。彼はトロフィーじゃないんだから。もちろん、私もそう」

 絵美はぼくの方を向いていった。「と、ここまでは私の言い分だった。悪かったわ、明彦。一方的で。恭子さんもゴメンなさい。私が言いたいことはおしまい。まったく、実のところ、私は泣きたいのよ」と絵美がいった。

「絵美さん、恭子が会いたいなんていって、私の方こそゴメンなさい」と恭子がいう。「私も会いたい、といったんだからおあいこだと思う」と絵美がいう。

 ちょうどその時、ぼくらのビーフシチューがきた。ビーフシチューは平和の使者なんだろうか?だけど、今日はぼくの出番はあまりなさそうだ。いや、これからなのかな?とにかく、ぼくらはビーフシチューがきて、食べるということができることでホッとしたのは確かだ。みんな黙って食べた。

 デザートまでみんな食べ終わった。食後のコーヒーと紅茶がでた。

恭子と明彦、エピソード Ⅴ に続く。


ヰタ・セクスアリス - 雅子 16(エピローグ)

奴隷商人とその時代 (続き)
奴隷商人とその時代 Ⅳ
 ●紀元前46、47年前後の出来事
 ●古代ローマの浴場

奴隷商人とその時代

奴隷商人とその時代 Ⅰ

奴隷商人とその時代 Ⅱ
 ●古代の鏡

奴隷商人とその時代 Ⅲ
 ●イスラムの一夫多妻制度
 ●奴隷制度
 ●奴隷制度・ハレムと一夫多妻制
 ●奴隷商人ムラーの商売

奴隷商人 Ⅰ

奴隷商人 Ⅱ

奴隷商人 Ⅲ

奴隷商人 Ⅳ

奴隷商人 Ⅴ

奴隷商人 Ⅵ

奴隷商人 Ⅶ

奴隷商人 Ⅷ

奴隷商人 Ⅸ

A piece of rum raisin - 単品集


ヰタ・セクスアリス(Ⅰ)雅子 総集編1

ヰタ・セクスアリス(Ⅰ)雅子 総集編2

ヰタ・セクスアリス(Ⅰ)雅子 総集編3

挿入話第7話 絵美と洋子、1983年1月15日/1983年2月12日


登場人物

宮部明彦 :理系大学物理学科の2年生、美術部
小森雅子 :理系大学化学科の3年生、美術部。京都出身、実家は和紙問屋
田中美佐子:外資系サラリーマンの妻。哲学科出身

加藤恵美 :明彦の大学の近くの文系学生、大学2年生、心理学科専攻
杉田真理子:明彦の大学の近くの文系学生、大学2年生、哲学専攻

森絵美  :文系大学心理学科の2年生
島津洋子 :新潟出身の弁護士


シリーズ「A piece of rum raisin - 第1ユニバース」

第1話 メグミの覚醒1、1978年5月4日(火)、飯田橋
第2話 メグミの覚醒2、1978年5月5日(水)
第3話 メグミの覚醒3、1978年5月7日~1978年12月23日
第4話 洋子の不覚醒1、1978年12月24日、25日
第5話 絵美の覚醒1、1979年2月17日(土)
第6話 洋子の覚醒2、1979年6月13日(水)
第7話 スーパー・スターフィッシュ・プライム計画
第8話 第二ユニバース
第9話 絵美の殺害1、第2ユニバース
第10話 絵美の殺害2、第2ユニバース
第11話 絵美の殺害3、第2ユニバース

シリーズ「フランク・ロイドのヰタ・セクスアリス(Ⅱ)-第4ユニバース

第一話 清美 Ⅰ、1978年2月24日(金)
第一話 清美 Ⅱ、"1978年2月24日(金)1978年2月27日(月)
第二話 メグミ Ⅰ、1978年5月4日(火)
第三話 メグミ Ⅱ、1978年10月25日(水)
第四話 メグミ Ⅲ、1978年10月27日(金)
第五話 真理子、1978年12月5日(火)
第六話 洋子 Ⅰ、1978年12月24日(土)

 ●クリスマスイブのホテル・バー
 ●女性弁護士
第七話 絵美 Ⅰ、1979年2月17日(土)
 ●森絵美の家
 ●御茶ノ水、明治大学
 ●明大の講堂
 ●山の上ホテル
第八話 絵美 Ⅱ、1979年2月21日(水)
第九話 絵美 Ⅲ、1979年2月22日(木)
第十話 絵美 Ⅳ、1979年3月19日(月)1979年3月25日(日)
第十一話 洋子 Ⅱ、1979年6月13日(水)

メグミちゃんの「ガンマ線バースト」の解説

マルチバース、記憶転移、陽電子、ガンマ線バースト


シリーズ「雨の日の美術館」


フランク・ロイドのブログ


フランク・ロイド、pixivホーム

シリーズ「アニータ少尉のオキナワ作戦」

シリーズ「エレーナ少佐のサドガシマ作戦」

A piece of rum raisin - 第3ユニバース

シリーズ「フランク・ロイドのヰタ・セクスアリス-雅子編」

フランク・ロイドの随筆 Essay、バックデータ

弥呼と邪馬臺國、前史(BC19,000~BC.4C)


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