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再現ドラマでの知的障害者の描き方に感じた違和感【アンビリーバボー】《140字以上の感想文 17 × 時事社会&評論・自給自足 4》

「奇跡体験! アンビリーバボー」5月17日放送 《奇跡の会社 日本一幸せな従業員とは?》

 いつもは140文字しばりで書いてますが、今回は140文字の枠をとっぱらって書きます。

 ご覧になった人も多数おいでることと思います。この晩のアンビリーバボーでは、全社員の7割が知的障害者という日本理化学工業が取り上げられていました。
 五百蔵は、そんなすごい企業のことは今まで知りませんでした。この番組で初めて知りました。
 だから、こんなことに注目しながら映像を見ていました。

 いったい、どのくらいの能力の人を雇っているのだろう?

 いきなりシビアですね……。夢がないです……。
 でも、これにはちゃんと理由がありまして。

 五百蔵は障害者の作業所で勤務した経験があります。だから、知的障害のある人たちに仕事を身につけさせる大変さを知っています。また、同時に、この人なら親切な人に恵まれたら普通に就労できるのに、と感じたこともあります。

 だから、まあ、職業病ですね。いまは全然そういう世界からは離れていますが。
 でも、障害者の社会参加を考えるなら、どのレベルなら普通に仕事をやっていけるのか、ということを、一般市民の五百蔵としてもシビアに知っておきたいのです。

 それを考えるための情報番組として、五百蔵は視聴しました。

 

 さて、番組に話を戻します。

 まず最初に、日本理化学工業が障害雇用を始めたきっかけが、ドラマで再現されていました。

 いちばん最初は2人の女の子。もちろん知的障害です。2週間の職場体験学習ということでやってきました。雇用が無理ならせめて就労の体験を、という養護学校の先生の熱意におされて引き受けた体験です。
 再現ドラマでは、シール貼りの作業が取り上げられていました。彼女らの手先は不器用です。でも、社員の温かい見守りや声掛けで、作業は上達します。

 ドラマの中では、彼女らの仕草や表情、しゃべり方が再現されています。それらの情報から、どのくらいの能力か推測していきます。推測の手がかりは、五百蔵が仕事で接してきた人たちの日常の仕草です。

 再現ドラマから感じられたのは、小学校低学年くらい、です。

 あ、そうだ。普通に暮らしていると、こういうことに慣れていませんね。

 知的障害というのは、ある意味、「思考力や認識力が一定の発達段階≒年齢で伸び悩み続けている」ようなものでして。だから、その人が、いま、どこまでできているか?をはかる目安として、学年や年齢を引き合いに出してきます。
 五百蔵は、中学生くらいの人なら、思い切って作業の責任をおわせます。でも、小学生くらいの人なら、ひとりで作業はさせても、完成度についての責任は五百蔵がおいます。
 ついでにいうと、五百蔵が作業所やっていた仕事の割り振りのキモは、「この人にはどこまでの責任なら負わせることができるだろうか?」です。そのためにも、能力はどのくらいか、ということは把握しておきたいのです。

 だから、体験にきた彼女らについて、五百蔵は、「雇用はちょっときびしいかな」と、思いました。小学校低学年くらいだと、作業自体は楽しんでできたとしても、品質の責任をまるごと負わせるのはきびしいし、そのうえ日常生活についての気配りや手助けが必要だったりするからです。

 ですが、彼女ら2人が、日本理化学工業の障害者雇用の第1号となります。いっしょに働いた社員たちが、彼女たちをここで働かせてやりたい、と望んだからです。

 そして、五百蔵はここで違和感を感じました。
 真面目で一生懸命な知的障害の女の子って、本当にひたむきさがかわいいです。だから、思わず面倒を見てあげたくなります。その感情は、不器用だけど真面目な若手に感じる「こいつぅ〜!」みたいな温かい感情とまったく同じです。
 でも、同じ社員として働くことを考えたとき、小学校低学年くらいでは無理があるのではないか?……と、五百蔵は感じたのです

 
 そして、他にも何人かの人のエピソードが入りますが、ここでは割愛します。
 割愛するといいながらなんですが、どの人についても、再現ドラマでの仕草や表情の作り方から推測して、能力的には中学生くらいまでいってないのではないかと感じました。
 わざわざ取り上げるのだから、会社全体のなかでも、障害のより重たい人なのだと思います。でも、本当にこれで会社が回るのか?、この再現ドラマ、本当にこの人たちの実態を正確に再現しているのか?……疑問に感じました。

 
 ほぼラストになって、最初に雇用された女性2人のうちのひとりが実際に出てきました。
 いや、登場する直前に、「母親の介護のために退職」というようなナレーションが入りました。
 そこで、「え?」とまた違和感を感じました。

 そして、御本人の映像が出てきました。
 当たり前ですが、もう、いいおばあちゃんです。

 すみません。以下、一瞬ちょっと言葉が悪くなりますが、実感をそのまま伝えたいのでご容赦を。

 ここで夫と2人で「これは詐欺やん!」と思わず口から出てしまいました。

 ほんとうに、テレビに騙された!と感じました。

 あとで夫婦で話し合ったのですが、再現ドラマで感じたことも、御本人の映像で感じたことも、夫と五百蔵とで同じでした。

 なにが「詐欺」かというと、その人のしゃべり方や仕草にはよどみがなく、再現ドラマとは全く違ってあまり障害の重さは感じられず、かなり軽い知的障害なのではないかと思われました
 そして、母親の介護ができるというのなら、おそらく買い物も料理も掃除も洗濯もふつうにできると思います。一人暮らしもできる人だと思いました。
 ていうか、この人なら、言われなかったら知的障害があると周りの人も気が付かないのではないか、と推測されました。さ

 だからおそらく当時の社員たちは、彼女らに対して、育てれば普通に戦力として通用するし、ちょっと変わったところがあってもそのくらいなら手助けできる、と感じたのだと思います。
 だとしたら、当然、雇ってあげてください、と言うはずです。
 それに障害が軽い人たちは、仕事内容によっては「むしろ雇わないのがおかしい」というレベルの仕事が可能なのですから。

 実際に、五百蔵のところにも、文字に不自由はしても、手先の器用さや段取りのよさではこちらが脱帽する、という人が何人かいました。

 

 なんというか、そんなこんなで、せっかくの素晴らしいエピソードでしたが、五百蔵にはもやもやが残りました。
 もやもやの正体をうまく言えないのが五百蔵の一般市民なところですが、そうですね……あえて言語化するなら、

 なんであんな「いかにも知的障害者」みたいな演技をさせたの?

でしょうか。

 役者が「いかにも知的障害があります」な演技をするよりも、その人の実態をリアルに再現した方が、知的障害といっても実態は様々で、少しの手助けで健常者と肩を並べて働くことができる人がいるのだ、ということを示すことができ、知的障害への理解をより深めることができたのではないでしょうか。
 そして、障害というレッテルにとらわれることなく、その人自身のありのままを見て、一緒にやっていける、一緒にやっていきたい、と決断した当時の社員たちの賢明さが伝わったのではないでしょうか。

 その方が、世間一般のステレオタイプな障害者像を打ち破る力を持つ番組になったのではないでしょうか。

 ただ、あの再現ドラマ、どこまで当時を忠実に再現しているのか、当時を知る人たちが監修しているのか、五百蔵にはわかりません。
 もし、そのとおりだったよ、と関係者のみなさんが認めているのなら、五百蔵の言っていることは的外れ、ということになります。
 ですが、さすがにそこまでは知るすべがないので、ここでお断りをしておきたいと思います。

 
 
 でも、テレビには言いたい。

 本当に、障害についての理解を世に広めたいなら、安易な描写はやめてほしい、と思います。
 再現するなら、実態のとおりに、お願いしたい。
 そのほうが、障害者の社会参加について真剣に考えることに資すると思うのです。

 ステレオタイプに寄りかかった表現は、出来事の伝達ではなく、ただの感動の安売りになってしまう気がします。それは、御免こうむりたいと思います。

 
 



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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。