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考えるのめんどくさい
考えうる限り汚い言葉で、偏った思考で物を言ってみたい。そんなことをしたら友人は離れるだろうけど、お行儀よく人の話を聞くのが辛すぎる。主張のの終着点がはっきりしているのなら、その過程を全てショートカットして、社会性も取り除いた方が気楽でいいのではないか。論理的に見せかけるために文字数を伸ばすなんて無駄なことをせずに、ただ「タヒね」「だまれ」「ヤらせろ」とさけびながら車で突っ込む方が生産的だと思う。
ハンビョンチョル下-エヴァイルーズ-
エヴァ・イルーズ(Eva Illouz)は『冷たい親密性――感情資本主義の成り立ち』において、資本主義の状況下でなぜ感覚はブームになっているのかという質問に、具体的な答えを出していない。その上、この本は感覚と感情において、いかなる概念的な区別もしなかったし、資本主義がその始まりの段階において感覚の問題を位置付けすることにも役立たない。《ウェーバーのプロテスタントの倫理学は根本的に経済的な活動におい
もっとみる盲目と洞察(ポール・ド・マン)下
【表象と音楽】
何故、そもそも現代思想において「表象」や「起源」といった概念が重要なテーマとなっているのだろうか?
一つ言えるのは、18世紀に活躍したルソーがコンディヤックを評価して、「森の中の自然人」という原始的なトポスにおける人間の「怖れ」の感情にこそ「言語」の「起源」があるのではないか、と考えたからである。ルソーはこの点を以下のように述べている――「生存の必要に迫られて人間は互いに避け
盲目と洞察(ポール・ド・マン)中
【ド・マンのデリダ批判の核心】
ジャン・スタロバンスキーを読解しつつデリダは、ルソーのエクリチュールにおけるある種の「苦悩」を分析している。ルソーは自分の実人生ではけして満足できなかったことを、フィクションの世界で「回復」しようと企てていた。ルソーのみならず、作家の中のある種の者は、自分の実人生において例えば多くの色恋沙汰と華やかな恋愛遍歴を「断念」することによって(ここで一種の象徴的な死が生
盲目と洞察(ポール・ド・マン)上
【「盲目性」と「誤読」の概念】
批評家、あるいは作家たちは、自らが主張しようとしたテーマとは全く別の何かを述べざるを得ない。これは文学言語の本性でもある。例えばカフカは「不条理」を描いた作家として今日、多くの読者に認知されているが、カフカ自身が果たしてそのテーマに自覚的であったか、という問題である。カフカが「不条理」を、あるいはブランショが「非人称性」といった一つの明白なスタイルを確立し得たのは
プルデュー社会学基礎おさらい下
ちょっと長くなりました
【distinction(卓越化、差別化)】
ブルデュー社会学の基礎概念であるdistinctionとは、まず何よりも「他者から自己を区別して〈際立たせる〉こと」を意味する。基本的な意味は「区別、弁別、識別」であり、AとBの差異、あるいはその差異の認識である。この言葉は元々、フランス語特有の代名動詞であるse distinguer(自分を他者と区別する)の名詞形である
プルデュー社会学基礎おさらい中
【capital(資本)】
まず、ブルデュー社会学において「資本」は以下のように大別できる。
capital économique(経済資本)
capital culturel(文化資本)
capital social(社会関係資本)
capital scolaire(学歴資本)
「資本種の交換」
「資本種の交換」とは、「資本の特定種を他の<界>において流通している資本種に転換す
プルデュー社会学基礎おさらい上
【disposition(性向)】
「性向」とは、行為者を規定している社会構造(職業、地位、身分、学歴、威信など)が内在化・身体化されて主観的な心的構造となったものであり、反復される個々の慣習行動を規定している潜在的なベクトル、ある事態を前にしてほとんど「無意識」の内に機能する諸々の基本的な志向性として、定義されるものである。「性向」は、大きく生活態度に関わる「倫理的性向」と、趣味判断に関わる
女性のハイカルチャー志向(つづき)
「客観化のメカニズムを再客観化する思考」の必要性
ここで注意しておきたいのは、片岡氏が「文化資本の再生産」の担い手を、徹頭徹尾「女性」に設定しているという、ある種の強いバイアスが働いた見方である。常識的に考えて、母親の文化資本が「息子」に相続されるということはよく見受けられるし(例えばマルセル・プルーストは文化資本の点で衛生医学の権威である父よりも教養豊かな母親から多大な影響を受けたことが知ら
女性のハイカルチャー志向(test)
日本のブルデュー研究者の論稿を編集した『文化の権力』所収、片岡栄美氏の『「大衆文化社会」の文化的再生産――階層再生産、文化的再生産とジェンダー構造のリンケージ』(2003)を読解したので、その記録を残す。著者は関東学院大学文学部現代社会学科教授で、専攻は階層・移動研究、教育社会学であり、東大出版会の『社会階層のポストモダン』にも「文化資本と階層再生産」をテーマにした別の論稿が収録されている
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