盲目と洞察(ポール・ド・マン)中

【ド・マンのデリダ批判の核心】

 ジャン・スタロバンスキーを読解しつつデリダは、ルソーのエクリチュールにおけるある種の「苦悩」を分析している。ルソーは自分の実人生ではけして満足できなかったことを、フィクションの世界で「回復」しようと企てていた。ルソーのみならず、作家の中のある種の者は、自分の実人生において例えば多くの色恋沙汰と華やかな恋愛遍歴を「断念」することによって(ここで一種の象徴的な死が生ずる)、自分が生み出すフィクショナルな世界の中では、断念した挫折感や憧憬を核にした一つの「代理」、「補強」が生じるというのである。ラクロは実直な軍人で、戦争すら起きない喉かな島で仕事をしていたが、描いた『危険な関係』の内部で主人公は「戦う行為」を、女性との火遊びによって「代理」している。つまり、ラクロの断念は文学的にはエクリチュールのための発火源となり、断念したはずの内容が美化を伴って再生しているわけである。こうしたデリダの考察を受け、ド・マンは文学が「真理」にまで到達するという一般的に信じられている通念を疑問視する。文学は初めから「疑わしい」ものであり、それは作家の意識に巣食ったアンビヴァレントな二面性(あるいは複数の分裂した自己)に基づき、現実では達成できなかった内容を象徴的に代行することで、意図的に現実空間に虚構性を介在させる行為である。そうすることで、作家は初めて挫折を自己超越し、虚構を孕んだ新しいこの現実、すなわち作品を自己保存するのである。ド・マンは、このように文学に向かわざるをえないタイプの人間の内面心理を鋭く分析している。文学とは、実は書き手の自己欺瞞に対して彼自身が「盲目」になることによって、自己をフィクショナルに保存する心理的な根を持った行為である。デリダによれば、ルソーは言葉の世界に対する根本的な挫折、「消失」を「実際に経験した」とされ、この出来事が後の彼の文体にも大きな影響を与えている。
 ルソーは「声」を書き言葉の起源として定義しようとしていた。彼の理論体系は、「自然」、「起源」といったものを礼賛している。しかし、ルソーは「声」を起源として規定しつつも、その合理的な立証を果たせていない。ルソーのこの歪な論証について、ド・マンはデリダから敷衍しつつ、「書き言葉から立ち返って、口頭の発話といういっそう根源的な形式へと遡行しようとするあらゆる試みは、そもそものはじめより、書かれた言葉を経験から疎外してしまうという破綻したプロセスの反復に至る」と適切に述べている。要するに、エクリチュールの起源が「声」であるという、「起源」をある特定の器官(声帯)に限定する考えは批判されねばならない。とはいえ、ルソーが「声」を起源だとみなす論述の仕方にも複雑な「齟齬」が存在している。デリダによれば、結局のところルソーは「根源の代補」という形式を取った複雑さ、錯綜に支配されてしまっている。ルソーがなぜ「声」を起源とみなすことにこれ程の躊躇いを見せていたのかといえば、彼が言語の起源を「声」ではなく「アクセントの代わりをする分節化」という、より抽象的で、「声帯」のみならず「指先」で描かれた絵や、音も絵も伴わない「身振り」という原始的言語の可能性を認めていたからに他ならない。つまり、ルソーは「声」だけにエクリチュールの起源が限定されてしまう自己規定におそらく自身である種の「後ろめたさ」を感じていたからこそ、「齟齬」を生じさせているわけであり、デリダによれば、実際ルソーが提起したかったのは「声」=「起源」という単純な図式ではなかったのである。むしろルソーが主張したかったのは、書き言葉の起源は声であるだけでなく、声の起源がまた書き言葉となるような瞬間が存在したということであり、あるいは声、書き言葉に先行して愛の身振りが、あるいは愛を描いた絵が到来するということである。すなわち「起源」にある意味を策定することは、あくまでも「仮設」に過ぎず、本質としての起源は常に「不在」として保存され続けるということである。換言すれば、「起源」とは螺旋状に「声」、「絵」、「身振り」に伴う人体の諸器官へと遡及し、特定の場に安定しないものなのである。デリダが「根源的な〈外在性〉」を言語の起源であると述べるとき、おそらくその主張したい内容は「起源そのもののスパライラル状の逃走」であったと解釈することができる。特定の「起源」として策定された「意味」は、常に先行する螺旋の上部へと遡及し、「意味」はドゥルーズ=ガタリのいう「脱領土化」のプロセスを経て、無限に逃走し続ける。ゆえに、起源が「不在」であるとかろうじて否定神学的に言い得るのではないか。一言で言えば、「起源」の逃走とは、螺旋状の樹木の枝葉を次から次へと上に舞い上がって行く鳥たちの飛翔としてイメージ可能である。こうした考えが端的に表明されているド・マンのテクストは以下である。

ルソーは破棄された起源に代えて、常にいっそう深い、いっそう原始的な状態を用意しなくてはならないのだが、そうすると今度はこの原始状態が、ますます後方に遠ざかってゆかざるをえなくなるのである。同じパターンがデリダにも出現する。というのもデリダは、始まりと呼ばれるあらゆるものの非起源的な性質を指し示すためにこそ、起源にまわわる語彙を維持することを選択したからである――このことはちょうど、分節化とはまさしく純粋な起源からの生成を妨げる構造のことであるにも関わらず、分節化が言語の起源だと述べられる場合と同様である。現前(起源、自然、意識など)にまつわる語彙が突きつける要求を打破すべくこうした語彙を用いることは論理的な袋小路に陥るのであり、またそうならざるをえないわけだが、これこそ『グラマトロジーについて』の全体を通じて一貫して駆使されている戦略なのである。(p212~213)


 言語の起源を「根源的な代補」として規定したデリダに対して、ド・マンはそれを表明している媒体はあくまでも言語、すなわち書かれたもので「起源」を策定しているに過ぎない、と分析している。「書き言葉の存在を払い除けるはずの魔法の杖は、それ自体言語で出来ている」――ド・マンは、起源についてあくまでも言語的にアプローチしていくデリダに対してそう解釈している。そして、言語の起源を「言語以前の揺籃状態」に位置付けつつも、あくまでもそれを言語によってしか語り得ない限界性こそが、「デリダの議論の核心」であると考えている。ド・マンはルソーが用いるメタファーを用いて、「巨人がいる」という言明について考察している。この奇妙な表現は、心理的には「私は怖い」のメタファーであり、このような感覚の主体は他の誰でもなく体験者自身が所有している。ルソーはこのような例を用いて、置換された意味が文字通りの意味に「先行し」得ることを示そうとした、とド・マンは解釈している。このようなメタファーの次元において、「起源の代補」の概念が前景化しているのである。
 ここで我々は、ド・マンのデリダ読解(正確には、ルソーを読むデリダを読むド・マン)から、「起源」という概念自体が有する「螺旋状の逃走運動」の本質に触れた。しかし、この概念の運動だけに注目するのでは未だ視野狭小である。「起源」にまつわるルソーの思想の「齟齬」と、デリダの読み、そしてド・マンのデリダ読解から導き出せる概念はまだ存在する。それは、ルソーとデリダがテクストの弁証法的なプロセスにおいて犯した「齟齬」に来歴した概念である。一言で言えば、それはconjurer(払い除け)たものが、en contrebande(こっそり密輸入)されるという、人間の「思考」に特有の現象の解明である。実際、ド・マンが既に先の引用箇所でも述べていたように、デリダは言語の起源などいかなる場所、言明、器官にも限定され得ないということを示すために、わざわざ「根源的な代補」が言語の起源であると表現してしまっている。それは神が結局、いかなる言語、概念でも表記不可能であることを示すために、神とは本質における「不在」「である」と規定するような誤ちに他ならない。変化しているのは〈対象〉ではなく、表面的な〈記号表現〉に過ぎないのである。すなわち、ルソーにとって「声」であった起源の策定が、デリダにおいては「分節化」とか、「代補」という別の概念によって幽霊的に再現前しているのである。テクストをパースの記号論によって把捉すれば、「声」も「代補」も共に「起源」という〈対象〉を指示する〈記号表現〉であるに過ぎないことが判然とするだろう。こうして、ド・マンの分析はデリダのテクストの「表面」へ、すなわちレトリックやアレゴリーの関係の分析へと向かっていくことになる。
 ド・マンは、私が読んでいて感じた印象からすると、明らかにデリダのエクリチュールの「演劇性」に惹かれている。しかし、今日日本の若い学生の間でもデリダの魅力をそのように把捉していると思しき読み手は極めて多く見出すことができる。ド・マンは、デリダと同じことがルソーにも妥当すると考えている。二人は共通して、演劇的な身振りを不可避的に採用せざるを得ない思想家だったのだ。また、ド・マンはデリダが『グラマトロジーについて』で「ルソー」と書くたびに、「ルソー解釈者」を指示していたと判断している。デリダはルソーをやはり「誤読」しているのであり、彼のルソー論には内容を恣意的に解釈し、論理を一貫させるために意図的に引用しなかったような重要なテクストの見落としがあるとも述べている。つまり、デリダの解釈したルソーは、あくまでも「一つのルソー」であって、これをド・マンは「偽ルソー」などと半ば意地悪く表現してもいる。ここで何が言えるのかと言えば、デリダという緻密な読解の天性を持った分析者ですら、読解においては「盲目性」に憑かれていた、知らず知らずのうちに――ということなのだ。
 とはいえ、ここで我々は、デリダの文体が持つある種の装飾性については、彼自身がモデル読者(例えば『絵葉書』では、ソレルスの恋愛小説に近いナラティブが顕著に見出され得る)にそうした読みを期待しているという商業的側面があったのではないか、という点も指摘しておいた方が良さそうである。実際、私がデリダの翻訳を知ったのは十代後半の頃だったが、その時なぜ彼に特に惹き寄せられたのかという核心に位置するものこそが、彼の文体の「装飾性」に他ならなかったからである。それはデリダが複数の誤読を期待しているというよりも、彼自身が一種の演劇的な身振りと哲学的な思弁の混合形式に「美」を見出していたからではなかったろうか。
 ルソーとデリダの関係性に類似したものを思想史から探った場合、ド・マンはこれに適応するのはおそらくヴァーグナーとニーチェの関係性であろうと考えている。周知のように、初期ニーチェは熱烈なヴァーグナー主義者であったが、次第に彼を偶像視する自己に疑念を抱き始める。そして彼は自著の中でヴァーグナーを利用したかつての自分を批判し始めるに至るのだが、この真の「理由」について、ド・マンは「自らのテクストにおけるヴァーグナーの存在が、テクスト様式のアレゴリーとしての音楽性の邪魔になったからなのである」(p239)という極めて鋭い見解を提示している。ニーチェは「それは歌うべきであったろう、この新しい魂ともなれば、語るべきではなかったろう」とも述べていた。この部分は、「喪われたものは、次の形式において再現前する」というデリダの宗教論『死を与える』でのフロイトの「喪」の理論を看取した名高い定式、あるいは端的にフロイトに倣って「抑圧されたものの回帰」として位置付けることができるだろう。すなわち、ニーチェはヴァーグナーを抹殺することで内部化し得たのであり、彼にとって一つの偶像の破壊はその取り込み、同化、内化を意味したのである。ニーチェは自らの演劇性の根が、実はヴァーグナーの芸術から多くを負っているということをクリプト化するために、いわば自身をあえて「反ヴァーグナー主義者」として「役作り」したわけである。こうした関係は、ルソーとデリダにおいても見出され得るとド・マンは述べている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?