前にも言ったのに
おはようございます。
チューバ奏者、指揮者、金管バンド専門家の河野一之です。
今日はまだ20代の頃、プロ活動を始めさせていただいてから数年のまだまだ駆け出しの頃思ってしまっていた気持ちについて深掘りしてみる。
前にも言ったのに
演奏などの表現の仕事以外に、音楽家にはレッスンや指揮などでご活用いただく”指導”という仕事がある。
一千万円近い専門教育と楽器代を家族や自分の負担でかけ、何千時間とかけて培ってきた経験値を音楽を楽しまれている方や後進の方々へ共有させていただく事で報酬をいただく仕事だ。
この指導、させていただく中でまだ駆け出しの河野がよく思ってしまっていたことがあった。
それが「前にも言ったのに」という感情だ。
教えさせていただく方が前と同じことで悩まれその解決策を伝授したり、知識や経験を共有させてもらったりしても、次回のレッスンではお忘れになってまた同じ内容を尋ねられるのだ。そういう時に生まれる感情であった。
なぜこの感情が生まれるのか、本当はどうすべきなのか
僕自身が失敗しながら得た経験を書く。こんな授業が音大にあったら面白かったね。
なぜ「前にも言ったのに」と思うのか
僕たち人間の感情は自分以外からの何かから与えられているかのように勘違いするが、実際は生まれた感情は僕たち自身が生み出しているものだ。
誰かがあなたの悪口を言っても
1、額面通り受け取って怒る。
2、相手があなたを怒らせることで得る利点を考え、あえて怒らないという選択をする=相手のペースにしない。
3、こんなに興味を持ってもらえて嬉しいと喜ぶ
etc
という具合に下の記事でも書いたが、外部からの要因に対し、自分自身の反応=感情を選択できるのは自分自身だけだ。
つまり、「前にも言ったのになぁ」という思いも結局のところ自分が選択していることになる。
この「前にも言ったのに」の中には
→なぜ覚えてもらえないんだろう
→私の話はこの人にとって価値がないのだろうか
という具合に自分の承認欲求が満たされないことで生まれる。
もしその生徒さんがこちらが教授したことを有効活用し、何かできるようになってくれてそれを報告してくれたり、無意識にでも目の前で披露してくれていたりすると自分が役に立てた!という承認欲求が満たされる。
しかし、そもそもの時点で
「前にも言ったのに」という状況がくる
=覚えてもらっていない
となると自分の言ったことが活用されていない→無意味だった?→自分の言葉や経験には価値がない?→承認欲求が満たされない。
これらは全て承認欲求が満たされないという事の他にも、自身の自己肯定感の低さからも生まれてくる。自分が素晴らしいことを教えていると思っている人であれば生徒さんがお忘れになっても「今はまだこれはわからない時期なのだな」と理解するだけだ、自分の言葉に価値がないのか・・・と自信を失うことはない。
じゃあどうする?
レッスンをさせていただく、その際にこちらの経験や知識を共有し日々の音楽活動を素晴らしいモノにしていただく。
その中で「前にも言ったのになぁ」となりそうだった場合僕たちはどのようにしたら皆がHappyなベストな行動に移れるのであろうか。
まず大前提としてプロにレッスンを受講するということで生徒さんは有償であることを自覚し受講される。なのでお金を支払ってでも何かを得て帰りたいという意識をお持ちだという事を再認識する。
この中で講師側の我々の言葉が定着していないという状況が生まれているのは、大変自分で書くのが恥ずかしい話だが、大体が
こちらの言い方、接し方が合っていないのだ。
その生徒さんが覚えたくなるような、実践したくなるような言葉選び、接し方が出来ていないから覚えてもらえていないのだ。
なのでこちらが短くない音楽人生の中で大切だ!絶対に覚えておいた方が良い!と思いご教授することに関しては
・何度も
・言い方、やり方を変え
・工夫し
覚えて、身につけてもらえるまで!
言い続ける必要がある。これが出来ていない、研究し尽くしていないにも関わらず
「前にも言ったのになぁ」と凹むのは100年早い!
(←過去の自分に言っている。)
まして、自分が教えきれない奏者さんであれば自分の師匠やもっと適任の奏者にお任せするのも手である。
自分の承認欲求や自己肯定感の低さを補うために、生徒さんの時間を浪費してはいけない。
まとめ
100人いたら100通りのご指導方法が合って当然だ。
なので現在では演奏のプロの他にも、レッスンを専門に研究されアマチュアでもプロでも1人でも多くの奏者に思い通りの演奏を!と奮闘されている方もいる。
そんな中でも河野だからと人生の時間とお金を使って呼んでくださる方にはこちらも精一杯対応させていただきたい。
今よりもっと若い頃に思っていた「前にも言ったのになぁ」という自分への甘え、もはや言い訳を今では全く思わないというのは嘘になるけれども、いつも
なぜそう思うのか、そして本当はどうしてあげたいのか
という自分自身への問いの果てにこのような深掘りが行えた。
本質は、
自分が研鑽し身につけた知識で、頼って来てくださった同じ音楽好きで仲間のような生徒さん方に、こちらの知識や経験を共有し経験してきた素晴らしい体験を味わってもらいたい。もしくはその生徒さん自身が思い描く思い通りの演奏をできるようになってもらいたい。
これだ。ここに自分の承認欲求や自己肯定感の低さは関係ないし、関与させるべきではない。
全力を持って一緒に考え、それぞれの問いに合ったヒントを共に探すのだ。これに尽きる。
周りを(誰かを)変えたければ自分が変われ
高校生の頃に先輩に教わり今だに多くの気付きを与えてもらえる言葉。
「前にも言ったのになぁ」、覚えてもらえていないならこちらの教え方を工夫しろ、つまり自分が変われである。
引き続き研究に勤しみます。
Thank you
Kazz
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