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【どうする家康】クセがスゴい徳川家臣団、ついに一枚岩に!家康の弟が辿ったあまりに過酷な運命にも涙…第16回「信玄を怒らせるな」雑感

NHK大河ドラマ『どうする家康』(以下、『どう康』)第16回の雑感です。
(※本記事は一部有料です。ドラマレビュー箇所はすべて無料でご覧いただけます)
前回の感想はこちら↓

(※以下、ネタバレ注意)
(※本記事のセリフの引用箇所は一部ノベライズに準拠しており、ドラマのセリフとは異なる場合がございます)

●遂に信玄との大戦(おおいくさ)へ……弱気の家康を前に、一枚岩となる家臣たち!

遂にやってきますよ、家康と信玄との大戦、「三方ヶ原の戦い」が!

これを描くという話は前々から関連番組等でも何度もプロモーションしまくっていたので、もはや結果は最初から見えていたようなものなのですがw

では、どう「三方ヶ原」に持っていくのかが注目だったわけで。その流れがドラマ的にも完璧すぎる。自分も小説だったりゲームシナリオだったり物語を作ることを生業としている人間として、ものすごく勉強になる回だったと思います。

ただこれをレビューするに当たっては、むしろ最後の「結局、戦は避けられない」状況からさかのぼって見ていくと面白い。また、その方がいろいろハッキリしてくるところもあると思うので変な順番のレビューになっちゃいますけどw

とにかくラストの、家臣一同の団結のシーンから先に振り返りましょう。泣けましたよね?今までこの物語をしっかり理解しながら観てこられた方々こそ、ちゃんと泣けるシーンだったと思います。「いや、泣けなかったんだけど」という方は、ちょっと待ってくださいね……なんで泣けたかは、これから説明していきますのでw

言ってみれば、第15回の「姉川」とは真逆の展開でした。あの時は家康の「浅井長政につく」という独断があってからの「乗ってはなりませぬ!」という左衛門尉の進言で、信長への謀反が止められたという結末。

あれに対して今回の、「わしの独断では決められぬ……おぬしらには、妻子がおり、家来もおり、所領もある。おのおのが決めてよい」と。それに対して左衛門尉、今度は「皆の衆、どうする?うちの殿はこの通り、頼りないぞ」ですよ。

ひょっとしたら、「えーっ⁉前回は殿の独断でダメになっちゃったから、今回は前もって聞いてるし、殿も学んだんじゃないの⁉︎」とか、「左衛門尉の主張に一貫性がなくない?」とかって思っちゃった方もいらっしゃるやもしれないですね。

でも、前回は信長の方が官軍、つまり将軍サイドでした。「義がある、ない」とかわけわからん話してましたけど、結局それは浅井長政の主張であって、大して重要ではありません。

それより家康の家臣、特に左衛門尉や数正にしてみたら、本領・岡崎を守ることが最優先だった。そして、そのためには信長に従うしかなかったんですね。信長を討ったりなんかしたら、それこそ家康には後ろ盾がなくなり、「桶狭間のあとのぐっちゃぐっちゃに逆戻り」するところでした。

しかし今回は「攻めてくる信玄を迎え撃つか、ひれ伏すか」。一応、信玄も同盟相手ではあったんですけど、今回は向こうがそれを破って仕掛けてきているわけですから。「ひれ伏す」なんて選択をしたら、それこそ岡崎は信玄のものになってしまう。「桶狭間のあとのぐっちゃぐっちゃに逆戻り」どころか、むしろ「今川に従属していた時代に逆戻り」になってしまいます。

家康にはまだそれが見えていない。常にそのときそのときの感情に揺さぶられ、一貫性がないのはむしろ家康の方です。だから姉川では信長の命令にカチンときて「こき使われるのは、もうたくさんじゃ!」と叫んでいた一方で、今回は信玄にビビリまくって「わしの独断では決められぬ」なんです。

でも、無理もないですよ。相手は「戦国最強」と言われた男。ジャイアン信長なんかメじゃないくらい強いんです。『ドラえもん』に例えるなら、劇場版にしか出てこないようなヤバイ敵、それが信玄です。

それでも戦うと決めたのが、やはり家臣たちの言葉でした。

「十に一つは勝てる。その一つを、信長は桶狭間でやりましたぞ」

「殿には、この家臣一同がおります」

平八郎に、夏目広次。それだけじゃありません。所領も何もかも「信玄にくれてやりましょう」と本心とは真逆のことを口にしながら悔しい表情を浮かべていた七之助や彦右衛門。そして左衛門尉、数正、小平太も、今回は家臣一同の心は一つと感じました。

みんなが揃って「ドラえもん」みたいな感じですね。ついにあのバラバラだった家臣達が、この瞬間に心を一つにしたんです。そりゃあ、泣きますよ……こういうベタな展開、おじさん弱いんだよ!

しかもよく見たら、「のん兵衛殿」こと本多忠真(演:波岡一喜)も復帰してるじゃん!もうそこで号泣よ!!

でもまぁ、「泣けなかった」「わからなかった」という意見が出るのも無理はないなとも思います。前回は「桶狭間のあとのぐっちゃぐっちゃに逆戻り」と言いながら、今回は「我らが桶狭間を為す時」なんて。いろんな「桶狭間」が出てきますよね。何でもかんでも「桶狭間」で例えすぎやろと。まぁそれだけ家康の中で「桶狭間」というワードが重要な意味を持つということなんでしょうが。

これが恐らく、1.5倍速の飛ばし見勢の方や、ソシャゲなどをポチポチしながらのながら見勢の方にはわかりにくかったのかもしれないな、とも感じましたね。っていうか、バラエティ番組感覚で見るのやめてくれ。わりと集中力を要するドラマだと思うぞ、大河って。情報量も多いしな……。

●怒らせたのは家康の自業自得?それとも、信玄は最初から攻めてくる気だった?

「でも、結局、信玄を怒らせた家康の自業自得では?」なんて思っちゃった方もいらっしゃるやもしれません。家康が上杉と結ぼうとなんてするから……。

確かに広次も忠世も「危ういと存じます」と最初から警告はしていて、結果、最悪の事態になれば「信玄を怒らせましたな」なんて。まるで悪いのは家康のような言い方をしているシーンではありました。

しかしこの場面では、この後に言う家康の言葉こそ正しい気もするんです。「信玄ははじめから決めておるんじゃ……遠江を切り取ると。怒らせようが怒らせまいが関わりない」と。事実、信玄は第15回のラストあたりから家臣たちに甲州金をばらまいて、遠江を自分が治めるようなこと言っていましたし。

さらには奥三河(信濃に近い地域)すらどんどん信玄に調略されてきて、「まるで駿府が武田に切り取られた時のようだ」となっていました。なお、ここは時代考証の小和田先生の動画でも詳しく解説されていますね。

だから上杉に書状を送る前後の展開は、「殿の自業自得」というわけではなく、単に広次と忠世のビビリをフィーチャーしたいがためのシーンとして受け取った方が良さそうです。

逆に言えば、この段階ではまだ、家臣が一枚岩でないことを表している。本当に、平八郎のように好戦的な者もいれば、数正や左衛門尉のように冷静な者もいる。彦右衛門や七之助のような楽観主義者もいれば、広次と忠世のような慎重派も。小平太は……あいつは掴みどころないからさw

とにかくいろんなクセがスゴい家臣たちばっか。それが一枚岩になるなんてこと、今まで本当にありえなかったんですよね。そこから考えると、今回のラストがどんなに奇跡的な展開だったのか、改めて感じられると思います。

●足の指が駄目になったのも史実⁉源三郎勝俊がついに再登場するも、あまりに過酷な役柄すぎて泣く……

もう一つ振り返っていきたいのは、久松源三郎勝俊(ひさまつげんざぶろうかつとし)の再登場ですよね。彼が最初に出てきたのは第5回の「瀬名奪還作戦」のアバンタイトルで、当時はまだ子供でした。

そして第13話の「信玄に詫びといてくれ」の段階でも、出てきてはいなかったですけど、あの時点でもう源三郎は人質になっていたというお話も、僕のnoteでは紹介していました。

今回は彼を奪還するか否かというところで、家康も揺れていましたよね……母の於大なんかは勝手に半蔵を自分が雇うつもりで「救い出して参れ!」とか言うんですけどwまぁ、於大は於大で、最初から信玄との戦いは避けられないと思っていたんでしょうな……先見の明があると言うか、相変わらずのバーサーカーっぷりと言うか。

だけど判断を下すのはやはり家康。半蔵から先に様子を聞き及んで「源三郎は、書状の通り息災であった……母上にはそう伝えよ」と指示を下したときは、「えー、お兄ちゃん、助けてあげてよ!」なんて視聴者感情としては思っちゃったんですけど。しかしこの瞬間はまだ「信玄を怒らせるな」のフェーズ。そして信長からもそれをきつく言われていたなら仕方ない、という状況でした。

だから逆に、もはや「怒らせようが怒らせまいが関わりない」となれば、真っ先にやるのが源三郎の奪還。これはすごく納得のいく展開でしたし、逆に「なんでそういう流れになるかわからなかった」という人がいらっしゃったら「ここは大事だぞ、試験に出るよ!」と強調しておきたいくらいなんですけどw

ただねぇ……このときの信玄がまた、1枚も2枚も上手なのよ。奪還しにくるという状況をいち早く察していた。これ映像には出なかったのですが、きっと瀬名奪還のときと同じように、先に「助けに行くよ」と知らせる伊賀者を、使者として出しているハズなんですね。だけどバレたってことは、上杉へ書状を送ろうとしていた時の使者たちと同じように、また千代女に捕まって殺されたんでしょうね……。

で、信玄、察していながらも源三郎の奪還は許すんですよ。それどころか、彼に自分から家康への言葉を伝えることで、源三郎をメッセンジャーにもしているんですよね。その方が、自分から歩き巫女なりを家康に差し向けて言づてさせるよりも確実じゃないですか。単に道具として利用されただけの源三郎……それがまた彼の哀しみを一層引き立てているようにも思えます。

しかも、「寒さでおみ足の指が……駄目に」なんて言わてましたけど。おいおい、そこまで哀しい運命を背負わせるのか、と思ったら、先に紹介していた小和田先生の動画では、それすら史実と語られていました。源三郎、本当に可哀そうな子すぎるでしょ……。

ネットの情報を探せば、その後もあまり幸福とは言えないような人生を辿ったみたいなことは書かれていますが。その後も家康が兄としていろいろ取り立ててやったという話は、深い兄弟愛に涙せざるをえませんね……。

家康は、勝俊の幼少からの忠勤ぶりに感銘を受け、勝俊に対して、一文字の刀(一の字の銘を刻した、鎌倉時代の備前の刀工の作)と当麻(たいま)の脇差(南北朝時代に、大和当麻寺付近に住んだ刀工の作)を与えます。さらに天正11年(1583)には、駿河久能城・7千石の城主に取り立てました。しかし、勝俊は足の障害のために出陣できず、病気がちとなり天正14年(1586)、32歳で没します。

家康の異父弟、松平(久松)源三郎勝俊が辿った生涯|信玄から逃れ、決死の雪山越えで払った大きな代償【日本史人物伝】|サライ.jp

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