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【200年続く絶景(山エッセイ)】

参拝目的で大山に登山する大山詣りは江戸時代の中期には盛んに行われていた。

メジャーなルートは大山街道と呼ばれる道で、江戸城の赤坂御門から出発し二子多摩川のあたりは船で川を渡り、ひたすら歩いてさがみ野を抜けて、伊勢原に入り、大山中腹の大山阿夫利神社を抜けて山頂を目指す。

何日も歩き通す旅だからさぞ大変な思いで参拝していたのだろうなぁ、と勝手な想像をしていたが当時の人にとってのレジャーイベントだったらしい。

当時、市民の旅行は認められておらず参拝目的の旅しか認められていなかった。江戸の人々は大山講と呼ばれる組合をつくりお金を出しあって旅費を貯め、江戸から途中の景勝地を観光をしながら大山の山頂を目指した。

江戸時代には富士山を含めて参拝目的での登山は色々な地域で行われていたらしいが、江戸から大山までは二、三日で帰って来られる上に通行手形も必要なかったので気軽にできる旅行として大山詣りが流行ったのだとか。

江戸の人口が100万人だった時代に年間20万人も大山を訪れていたとか、参拝なので山頂に向かう前には滝離垢(たきごり)と呼ばれる水行をしたが、鳶職などの職人はオシャレな入墨をしているので互いに自慢の入墨を見せあったとか、調べると色々でてくる。楽しそうだな江戸時代。

今と当時では眺めは違うとしても、江戸っ子たちもこの絶品に感動していたのだろうな。

絶景の大山3丁目。


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また新しい山に登ります。