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誰かに縋って生きてしまうと、理不尽な扱いにも我慢しなければならなくなる

仕事さえあればよい。志しも、お金も、地位も何もないけど、雇ってくれさえすれば良い。だから、職場で起こるあらゆることが嫌なものに見えてくる。なぜなら、そもそも仕事をやりたくないのだから。毎日が理不尽に感じ、不満しか出ない。

しかし、パートナーがいるから、結婚すれば仕事を辞められる。そうしていつの間にか私の周りには、働く場所がない女性が増えてしまった。そして彼女たちは、言う。
「りりいはいいね、専門分野の仕事があって。私は何もないから、旦那と別れられない。」
と。働きたくなくて結婚したが、別れたいから働きたい。何もないために仕事や誰かに縋って生きたが、そこに志しがないから縋り続けるのも楽ではない。

そうやって、今の不満から逃げるために、自分の中の目標を見つけるのではなく、さらに縋る何かを探すループに入る。彼女たちは、何歳まで回り続けるのだろう。
………………
例え職場にポジションがあり、仕事をしていてもそこに目標や意志や志しがないと、誰かに縋ることになる。他人次第の人たちの主張は誰かの受け売りだったり、会話が噛み合わなかったりする。
「あなたが言ったから」
と言葉の一部を取って責任転化をしたり、
意見を聞いても何も返ってこない。「そうですね。」だけ。打っても響かないのだ。

会議では、決を採る前に、チャットが届く。つまり、自分の意見がないから根回しされて長いものに巻かれ、今日を終えるのだ。
この人は、なぜ会社に存続しているのだろうと思う。心がない者が居ても、それはアンドロイドの様で、居ないように見える。
…………………
確かに、誰かの意志や考えに縋って生きれば、誰かを盾に生きることができ、直接自分に向けられた非難がなく、安心だろう。例えば、「上司が言ってた」で収めることができる。
しかし、自分の道は自分の考えや思いに答えるものでなければ、自分の人生にはならない。そして、どんなに酷いことをされても怒ることも、泣くことも、逃げることも出来ない。どうして良いか分からないし、縋る何かを手放すことができないから耐えるしかないのだ。

こうして、
パートナーから見下された扱いをされ、
職場で理不尽なことを言われても、
「自分がいけなかったのか。」
と思うしかなくなってしまう。
なぜなら縋っているのだから。
……………
ずっと仲良しの貴女へ

私には、専門分野の仕事があるから良いわけでも、パートナーがいるから安心なわけではないよ。自分の意思で、志しに従って生きているから、仕事を握って要られるんだよ。

志しがあるから、理不尽にその場で反論し、納得いく他人の主張を認めることもできる、たとえ嫌いでもその人の仕事の評価ができる。専門的知識云々ではなく、縋らない、ただそれだけのことだよ。

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