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そして、母になる(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その19)

娘の6歳の誕生日は、毎年大量に余って、私が片付けてますます太るはめになるホールケーキ🍰は買わなかったが、娘に満足のいくように無事終わった。

娘の希望どおりカニ🦀を食べ、プレゼント🎁をしたことが、我々両親が精一杯の力の限りを尽くしたことである。

6歳でカニ好きになるとは…
正月食べれるかわからんぞ

来年からは小学生である。心配が尽きない。最も心配していることは、トイレ事情だ。娘は、トイレの重要さがわかってない。きちんと用を足す必要性が身に染みてない。ここからは大だの小だのきっちゃない話になっていきますので、苦手な方は、スルーするよう、お願いします。

小は、私に連れられて、何とかトイレでできるようになった娘。液体で家が汚れることもなくなり、少し安堵した。しかし、だ‼️しかし、我が家はまだまだ固形物に汚されている。問題は、大だ。大の方が、まだトイレでできていない。そう、一回もだ。一回もできていない。オムツを履くのを嫌がり、パンツにしてしまうのを繰り返している。パンツの中のブツを片付け、汚れたパンツをバケツのお湯に洗剤を入れたものに浸し、娘の尻をシャワーで洗うのを、何十回何百回と繰り返す日々。娘の尻を洗いながら、最初は娘を叱っていた私だが、最近は吐き出す言葉も出ないほど、参ってしまっている。先日は洗いながらちょっと目に滲むものがあった。なぜ?なぜだ。なぜ娘は、大をトイレでする、という、人間の基本的なことができないのだ?私に至らないところがあるのだろうか。私の統合失調症も関係するのだろうか。私は、精神科の先生、薬剤師さん、こども園の先生に相談することにした。

精神科の先生は、何度か娘本人に会っていて、私の育児の話もずっと聞いている。娘も精神科の領域で何かあるとか、これは異常だとか言われたことは一度もない。出産を考えた時に、調べたことがある。例え両親が統合失調症だとしても、子どもに遺伝する確率はわずか数パーセント。ましてや、うちは私だけが統合失調症と診断されたことがあり、父親は大きな病気をしたことがない。先生も、子どもに遺伝することを恐れることはない、と話していた。それに例え、万が一の確率で娘が統合失調症もしくは他の精神障害、もしくは他の病気、障害を持ったとしても、だからと言って、私がこの子を出産しない理由には一つもならなかった。私が生きてきた過程がそうはさせなかった。障害が、産まない理由に、私の場合は、ならなかった。だから、例え先生に聞いて、何か言われたとしても、それでも娘と歩んでいく覚悟はあった。先生からは、ただこう言われた。

「それは小児科ですね〜‼️小児科のことはわからんなあー」

私はドリフばりにズッコケた。いつもの薬を受け取るときに、薬剤師さんに話してみた。薬剤師さんは、この精神科クリニックに通う患者さんの癒し的存在である。クリニックの先生に話せなかったことや、言いづらいことを、皆、薬を受け取る際に薬剤師さんに聞いていただいている。「隠れた名医」と言ってもいいほど、精神科クリニックの先生とワンセットで、薬剤師さんが患者さんを癒してきた功績は偉大なものがある。

「うちの息子も小学校に上がるギリギリまで、トイレできなかったわよ〜だけど、確か、卒園式の日だったかな?本人も、これじゃまずいと思ったのか、だんだんするようになったのよ。まだ5歳、6歳じゃ、こんなもんだよ。小ができるのなら、発達には問題ない。小と大、自分で区別できてるんだから。甘えもあるんじゃないかな。長い目で見てあげてもいいんじゃないかな。」

薬剤師さんのおかげで、気持ちは落ち着き、冷静になった。ほんの数年前まで赤ちゃんだった、甘えん坊の一人娘が、トイレで小ができるようになったことも、私にとっては大変大きなことだった。周りの子どもやお母さんと比べると、焦ったり、不安になってしまうが、うちの娘には娘の、ペースがある、と、そういう眼差しで、娘を見ようと決意した。

今度は、夏休み中の面談の時に、こども園の担任の先生に相談してみることにした。

こども園では、大半は自分で小は済ませていた娘だが、お盆が明けてから、生活リズムがやや乱れ、トイレリズムも狂い、園でも失敗することが多くなった。先生も少し心配していた。トイレへ促すのを、今後、より注意していきますね、と話してくださった。

娘は、漏らして、私に叱られるのが、やっぱり怖かったようだ。もう既に大を漏らしてしまい、小もしたい時に、私に隠そうとする様子が見られた。私は、もう大声で叱るのをやめた。漏らしても、ぶつくさ言うのをやめた。優しく、「今度はできるといいね」と言いながら、淡々とパンツを片付け、娘の尻をシャワーで優しく洗うことにした。

汗水垂らして住宅ローンを払い続けている、小さな我が家は、う◯ちとお◯⚪︎こと陽だまりの匂いが混ざった匂いが染み付いてきた。私はこの匂いが、けして嫌いではない。娘が生きていて、我々が奮闘し、生きとし生けるものの形跡が、その匂いには込められている。人は絶対呼べないけれど、なるべく清潔にしながら、その匂いが消える日まで、長い、静かな格闘をしようと思う。

もしかすると、私自身が、心の奥深くで、娘に「まだ赤ちゃんでいて欲しい。世話を焼かせて欲しい。」と思っているのかもしれない。

映画「そして父になる」を思い出す。


エリートサラリーマンの息子と、町の電機屋さんの息子が、出生時に取り違えられてしまう。それが発覚し、元に入れ替えられ、エリートサラリーマンの息子は電機屋さんの家庭に、電機屋さんの息子は、エリートサラリーマンの家庭に戻される。しかし。なぜだかうまくいかない。血が繋がった親子なのに。本来は、それが「正しい」ことなのに。

取り違えられた、血の繋がりのない子どもと過ごすその「日々」が、その男を「父にしていた」。


よく、お腹の中の子どもと過ごすわけではない父親は、母親よりも、「親の自覚」が遅れる、と言われる。しかし、私は考える。私も、妊娠した瞬間から、母になったわけではない。だんだんと、少しずつ、母になっていった、と。娘と格闘する「日々」が、私を母にさせた、と。

手がかかる方が思い入れが深いと言われる。トイレ問題で、未だもがく日々で、まだ解決もしてない。だけど、う◯ちとお◯⚪︎こと、陽だまりのような「日々」が、私を母にしてくれた。まだまだ日々は、続いていく。目に涙が滲む日があることは、計り知れない。だけど、私は、これからも母になる。母になっていく。その覚悟を噛み締めて、汚れたパンツを浸しておいたバケツのお湯を、トイレに流した。ザザーっと、汗も涙も、トイレに流れて、ぐるぐると渦を巻いていった。

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