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使命?!そんなもんクソ喰らえ、でございますな話

昔。
迷子になっていたことがありました。

精神的な迷子。
いわゆる、占い依存やスピリチュアルジプシーと言うやつです。


物心つかない頃から、無理やり行きたくもない幼稚園や学校に通わされ、興味もないことを強引に覚えさせられて、物事には正解と不正解がある、というウソを教え込まれた。


その結果、私は自分の生き方にすら、正解と不正解があるのだと思いこんでしまったのです。


占い師や霊能者系の人たちは、他人の運命を語ってくる。

あなたは本来こういう人です。
こうすると良くなりますよ。
あなたの使命は云々かんぬん。

あたかも、人生の正解を知っているかのように、私には思えた。


正解探しに、終わりはなかった。


聞いても聞いても、正しい人生を歩めた、という終わりは来なかった。


私が探し求めていたのは、結局こういうことだった。

「自分で自分の好きな人生を決めることこそが正解なんじゃね?」



だって、誰に何を言われても、響かなかった。
そうなのかとやってみようとするけれど、気持ちが乗らないことなんて出来るわけもない。

それくらいなら、お気に入りのゲームでもして屁をこいて昼寝している方が、よほど良かった。



そんなこんなで、一生懸命(一般的に言われるところの)素晴らしい人になろうとすることをやめた。

そうすることをやめるのには、物凄い時間がかかる。なにせ、物心つかないうちから、にろくさんさんでじゅうよねん。私は4大に行ったから更によねん。それをやるのが正しいのだと学ばされ続けてきたのだから。


最近、不登校の子どもが増えている話を聞くけれど、私は正直不登校が羨ましい。

自分の中の違和感を押し込めないその感性!
よしゃ、やりおったな(*´ω`*)

と、応援したい気持ちでいっぱいなの。


我が子がそうなった親たちは冷や汗を流すのだろうけれど、今はもう、私達の子どもの頃のような学歴社会はとっくに終わっている。
学校で習うことのうち、親からでも習えること以外に、社会で必要になることなど何もない。

例えば、親が裁縫が苦手なら、得意な隣の家のおばあちゃんから教わればいいと思う。
でも大抵は、親が苦手なものに子どもの興味が向かうこともそうそうない気もするから、親から教われることの中に、自分の得意がみつかりそうだ。

その方がよほど、効率よく自分の人生を見つけられそうな気がする。


私は18年も無駄に子ども時代を過ごしてしまったけれど、小さな時からずーっと私が一貫して好きなことは全部両親のどちらかが得意なことだった。
結局、学校で教わったことよりも、親から教わったことで私は今生きている。


人のブログでたまに
「お役目を果たす」
という言葉を目にすることがある。


その人は好きにお役目を果たせばいいと思うけれど。

私はその言葉に、散々迷子になっていた苦々しい自分の過去を思い出させられる。


私の使命はなんだろう、私がこの世に生まれたお役目を探し出して果たさねば。
そう思っていた、傲慢な私。

そんな昔の私に、今は掛けたい言葉がある。



お役目なんてクソ喰らえだ。
好きなモン食って屁をこいて寝てろ!




と。

だって、生きる目的がわからないなんてことは、本当は起こりうるはずがないのだから。

18年の呪いを外せば、手のひらの上にそれは乗っかっていたのだから。


不登校のこどものママたちよ。
自分探しに疲れ果てたおとなたちよ。


好きなモン食って気楽に屁でもこいて寝ておこう。

不登校のこどもたちこそが、自分自身を見失ってしまった大人たちのお手本なんだよ。