あそびの虹色
こどもたちの遊ぶという行為は、生きることそのもの。
あそびの虹色(グラデーション)を守りたい。
「あそび」って一言で言っても、その中身は無限大。
静のあそびから、動の遊びまで千差万別。
一番の静の遊びは?
絵本や本を読むこと?頭の中で、心の中で、空想の世界で思いを広げること。
対局にある一番の動の遊びは?
思いっきりの泥んこ遊び?からだ全部を使って全力の鬼ごっこ?
その静と動の間に、
遊びのグラデーションがなるべく、なるべく多く、
たくさんの選択肢、可能性、創造性があるといいなって思っている。
イメージでいうと、色彩豊かな「あそびの虹色」!
今の社会はどうだろう?
汚いから、
うるさいから、
忙しいから、
漫画ばっかり読んでないで外で遊んでなさい。
危ないからボール遊びは禁止です。
やっと見つけた居場所、ゲームの世界も禁止禁止。
静かにしててくれるから、スマホを手渡す。
ねえ、本当にそれでいい?
私はいやだな。
いまの社会は、グラデーションのない灰色に見える。
本当はそうじゃないよね?
日常のほんの些細なところに遊びって転がってる。
わざわざお金を出して高価なおもちゃを買い与えることだけじゃないよね?
遊びって、日常の中にある。
遊びって自分の中にある。
ほんのささいなことから、いいこと思いついちゃった!って、湧き出てくるものなんじゃないの?
おもちゃや道具や機械に頼って遊ばせてもらう、ことじゃなくて、
子どもらの身体の中に、心の中に、頭の中にたくさんの遊びの種が眠ってるのではないの?
本当は子どもだけじゃなくって、大人の中にも!
そんなことを思いながらゴールデンウィークに、ミヒャエル・エンデの著書、時間どろぼうとぬすまれた時間を人間に取り返してくれた女の子のふしぎなな物語「モモ」を読んだ。
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