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HIPHOPで見つけた自分の存在意義|TD'n

賑やかな繁華街があり、少し離れれば閑静で立派な住宅街が広がる街。大阪の豊中・箕面エリア。そこで活動するラッパー『TD'n(ティーディン)』に今日は迫る。

彼は学生時代からCDの売上は経費を除いて寄付をしていたり、チョコレート工場に勤めながらラッパーを続けるなど、音楽やその取り組みに込めた想いは独特だ。

といっても決して彼は有名なアーティストではない。しかし、きっと彼の音楽に対する考え方はこの記事を見ている方々に生き方のヒントを与えてくれるのではないかと今回、取材をさせてもらった。


母の涙と、自分の無力さ

彼が小学生の時、とある事情で家庭が崩壊しかけていた。子供だったのであまり事情はわからなかったが母は時より泣いていた。

そんな母の姿を見ているうちに、彼はこれは自分のせいなんじゃないかと思うようになった。大好きな母が悲しんでいるからこそ少しでも明るく振る舞おうとひょうきんなキャラもつくってみたけれど、家庭の状況はどうもよくならない。

自分にとって大切な母の力にすらなれない自分の無力さを感じ、だからこそ彼は「自分の存在意義ってなんなんだろう?」と悩み続けた。

この強烈な原体験が彼のいまをつくっている。


HIPHOPとの出会い

そんな彼が中学生1年生の時に出会った曲が伝説的HIPHOPグループ、SOUL'd OUTの『To All Tha Dreamers』だった。

当時、発売されていたベストアルバムを買って、何回も何回も聞きまくっているうちに自分もラッパーになりたいなと思うようになりはじめ、高校に入学すると本格的にラップを始めることにした。

その時に仲間の凪MCから「本物のHIPHOPはこれだよ」とSEEDAの『SEEDA』というアルバムをオススメされ、それを聴いてみると、その人の生き様がありありと表現されていることに感動し、自分もこんな音楽をやりたい、そして音楽で自分と同じような人を救いたいという目標ができた。


とはいえ、誰か先生や先輩がいるわけでもなく、右も左もわからない状態でラップをスタート。

まずはラッパーとして歌詞を書く上でフリースタイルラップをできるようにと、凪MCの誘いで毎日のように20:00〜終電がなくなるくらいまで千里中央駅の歩道橋にてサイファー(円になりフリースタイルラップをし合う集まり)を始めた。

今日1日で起きたことで自分が感じたことや、いま思ってることを即興で言葉にするというのが楽しくて楽しくて。たった4人だったが毎日が刺激的だった。

また、サイファーは見世物ではなく、自己満でやっているのにも関わらず、暖かい飲み物を買って渡してくれたりなど応援してくれる人の存在も本当に嬉しかったという。

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そして高校3年生のときにデモCD『LIFE IS HIPHOP』をリリース。遂にラッパーとしての作品が出来上がり、順調なHIPHOPライフを過ごしていた。


2011.3.11

そんな中で"この日"を迎えた。TD'nらはこの日、仲間達とライブをしていた。会場は大盛況で、東北から遠く離れた大阪でも震度3を記録したのだが、地震が起きたことに気づくこともなかったし、ニュースが目に入ることもなかった。

翌朝、新聞やテレビのニュースを見て、衝撃を受けた。

まるで映画のCGみたいに街が壊れていく映像が流れていて、自分たちと同じラッパーや同年代たちが亡くなったり、必死に逃げている時に、同じ島国にいるはずの自分たちはイベントを楽しんでいた。

そのギャップが大きすぎて、なんだか整理ができず、自分ごとに捉えることができなかった


それから1年が経った時のこと。その当時、TD'nがアルバイトをしていた商業施設が東北(陸前高田・気仙沼)でのボランティア募集をかけていて、TD'nは「自分の目で東北を見たい」と手を挙げ、東北の地に向かった。

東北に着いた。が、津波に飲み込まれた街はもはや何も無かった。

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でも、そんな何もない中を歩いていたり、語り部さんの話を聴いてどんどんその当時の情景がリアルに感じられるようになった。

震災が起きて津波がやってきた時、若い消防士さんが取り残された足の悪いおばあちゃんを助けに行って亡くなったそうだ。

その話を聞いた時にTD'nは思った。自分だったらどうしていただろう?その消防士さんのように自分も助けに行っていたのかな?と。その消防士さんは人として本当にすごいし、彼のことを思うと地震の怖さを自分も語り継いでいかなければならないという使命感を感じた。行ったからこそわかった「リアル」を自分なりにラッパーとして伝えたいと強く思った。

起きてしまった悲惨な過去は決して変わらない。でも、だからこそ引きずるんじゃなくて、その学びも悲しさも活かして前を向いて生きていかなければならない。それは決して震災というものだけではなく、例えば小学生の時の自分がぶち当たったような全ての壁に対しても言える。

何度でもくじけていい、何度泣いてもいい。どんなに高く、分厚い壁があっても何度でもリスタートして立ち向かっていけばいいと楽曲『RE:START』をリリースした。


元より作品としてしっかりと聴いてもらうため・評価してもらうために有料でのCD販売を行っていたが、「稼ぐよりも困ってる人たちのために」と、CD売上から経費を差し引いた残りのお金を赤十字に寄付をしていた。

その上でこの『RE:START』をキッカケに東北にも義援金を送り始めた。

音楽を通して誰かに寄り添うことで誰かの助けになれるかもしれないし、それが自分の存在意義になる。あのときの経験がいまのTD'nを動かす原動力になっている。


TD'n インタビュー vol.2『チョコレート工場とHIPHOP|TD'n』につづく

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