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週刊"少女"ジャンプ・・・アオハルの仮説

「ジャンプは少年ジャンプではなく少女ジャンプになった」と、『Bバージン』や『ゼブラーマン』でお馴染みの漫画家山田玲司氏が言ったのが『鬼滅の刃』大盛況中の時期だから、もう3、4年前。2020年ぐらいか。
女性の社会進出増加に伴って、連載漫画に強い女性が出現してきたし、強い女性が求められてきたし、女性の読者が増えてきた。ニワトリが先か卵が先かはともかく、少女にターゲットを絞った漫画が増えたのは確かだし、編集サイドも少女たちのニーズに応えてきたのも確かだ。なるほど、少女ジャンプというのは言い得て妙である。
メソメソしてポタポタ涙を流す男はファーストガンダムこと『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイが嚆矢だろう。女々しいなんて言ったら怒られるので、メソポタみ野郎とでも呼ぶか。

で、突然ですが、アオハル。
女性が強くなった今、少女はアオハルをどう思っているのか? 本当は求めていないのではないか? アオハルとはどこにあるのか? もしかしたら、中年にしか刺さってないのではないか? それもオジさんを中心に。
と言うのも、radiko(インターネットを通じて聴けるラジオのことですよ)のCMが思いっきりアオハル。アオハルofアオハル。で、ラジオのリスナーは自営業者の中年男性が中心と言われている。だから、オジさんにしか刺さってないのではないかという疑問が沸き起こった。

またまた突然ですが演歌。
演歌を思い出してほしい。と言って、すぐに思い出せる人はいないので適当に歌詞を検索してみよう。

好きよ あなた 今でも 今でも
これは吉幾三の『雪國』の始まりだ。

心が忘れたあの人も 膝が重さを覚えてる
こちらは八代亜紀の『雨の慕情』の始まり。

飲ませてくださいもう少し 別れたあの人を思い出すから
こちらは佳山明生『氷雨』の二番の出だしだ。

この三曲とも作詞は男性。すべて、別れた相手の女性が自分を未だに思っているといった内容の歌詞だ。
私の独断と偏見で選んだ歌詞だが、演歌はこの手の歌詞が実に多い。つまり、男というよりオジさんが「こうであって欲しい女」「女はこうでなきゃ」を唄っているわけだ。
演歌は日本の心なんて嘘っぱち。使っている楽器は西洋楽器だし、歌詞もこれだし。それはまあ置いとく。

演歌が聴かれなくなった今、「こうであって欲しい女」「女はこうでなきゃ」が宙ぶらりんになった。それを受け止めたのがアオハルなのではないだろうか? 
以下の画像のようなミームは多い。

別れた後の男女の違い

全員が全員こうではないが、男は大抵こんな感じで女性は大抵こんな感じだ。つまり演歌はオジさんの妄想だと言える。
で、演歌は別れた後を唄っているけれど、アオハルは出会ってからを描いているのではないだろうか? だからオジさんを中心に刺さっているのではないか、という仮説を仮説のまま終わらせようと思う。

もし仮説が真実ならば、アオハルを描くときはオジさんを思い浮かべるのがいい。
お酒はぬるめの燗がいい
肴はあぶったイカでいい
女な無口な人がいい
灯りはぼんやり灯りゃいい

あ、これは『舟唄』だった。