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【前編】オーストラリアでのワーキングホリデー中にぼくが経験した7つの仕事ー時給も大公開!ー

こんにちは。アイエス留学ネットワーク公式アンバサダーの柴田和輝です。

ぼくは2014年4月〜2016年の1月までの約1年8ヶ月間、オーストラリアでワーキングホリデーをしていました。

ワーホリや留学を考えている人の中には、ワーホリ中の仕事探しにかなり大きな不安やプレッシャーを感じる人も多いと思います。

まさにワーホリ出発前のぼくがその1人でした。

しかし、実際はワーホリ中に7つの仕事を経験することができ、1年目で収入が支出を上回るという「黒字ワーホリ」も達成しました。

今回は、ぼくがワーホリ中に実際に就いた7つの仕事を紹介します。

仕事の見つけ方や時給なども全て紹介しているので、ぜひあなたのワーホリ・留学の参考にして頂ければと思います。


自己紹介

1989年愛知県生まれ。24歳の時に「一生に1回は海外で暮らしてみたい!」と一念発起し公務員保育士を辞めてワーキングホリデーでオーストラリアへ渡る。最初は道も尋ねられないほどの低い英語力だったが現地語学学校やファームジョブを通して英語力を鍛え、ワーホリ2年目にはシドニーのローカル保育園で働くまでに成長。

また、渡豪時は資金も十分に無かったが、ローカルカフェやファームでの仕事を通して7ヶ月で3万ドル(当時レートで約280万円)を稼ぎ、1年目で黒字ワーホリを達成。

その後、ワーホリ中に出会った看護師の日本人女性と2019年に結婚。世界一周ハネムーンを実現させ、夫婦で35カ国を巡る。2022年に子どもが生まれ、現在は福岡県で暮らしながらワーホリ&留学情報を発信している。


ぼくがワーホリ中に就いた仕事

ワーキングホリデービザを使える国はいくつもありますが、どの国もたいていはビザ有効期限は1年間です。 しかし、オーストラリアは条件を満たせば合計で2年間滞在することができます。(2019年以降、なんと3年間まで延びたそうです!)

そんなぼくも、条件を満たしてオーストラリアで約2年間のワーホリをしました。

ワーホリ中に就いた仕事は以下の7つです。

  • 洗車屋

  • ハウスキーパー

  • ローカルカフェのキッチン

  • ラズベリーファームのメンテナンス

  • WWOOF(ウーフ)

  • ジャパレス(ラーメン屋)のホール

  • ローカル保育園で保育士

ワーホリ1年目に就いた仕事

なかでも、ぼくがワーホリ1年目に就いた仕事はこの5つです。

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  1. 洗車屋

  2. ハウスキーパー

  3. ローカルカフェのキッチン

  4. ラズベリーファームのメンテナンス

  5. WWOOF(ウーフ)

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今回は、WWOOF(ウーフ)のように、給料はもらえないけれど食事や宿泊場所を提供してもらえる活動(=支出が減らせる)も、仕事としてカウントしています。

ワーホリでは、「お金を稼ぐ」という思考と共に、「お金を減らさない」という思考も大事になるので、ワーホリ出発前の方には特に参考になると思います。

それでは順番に紹介していきます!


1.洗車屋

ぼくがオーストラリアで暮らし始めて、初めて就いた仕事は洗車の仕事でした。シドニーの語学学校に通っている時期だったので、授業の無い日に働きました。

ワーホリ最初の3ヶ月間は語学学校に通っていたので、正直お金は減ってくいっぽうでした。

あの頃は本当にお金がなくて「とにかく何か仕事をしなきゃ」と思い、探して見つかったのが、日本人オーナーが経営している洗車屋の仕事でした。

仕事を見つけた方法は「Cheers(チアーズ)」という日本人向けのオーストラリア総合情報サイトの求人でした。(残念なことにCheersは2023年11月30日でサイトが閉鎖になり、サービス終了となっています>_<)

「ワーホリ中に日系企業(ジャパレスなど)で働くと従業員も日本人ばかりで英語が伸びない」とよく言われていますが、まだその時は英語が全然できず、海外生活にも慣れていなかったぼくにとっては、「とにかく生活費だけでも」とワラにもすがる思いで雇ってもらった仕事です。

場所はシドニー近郊のボークルーズというエリアでした。ボークルーズは超が2つ付くくらいの高級住宅街で、洗車に来る車は、ベンツやポルシェやフェラーリといったウン千万級の高級車ばかりでした。

時給は10ドルでした

時給は10ドル(当時レートで約1,000円)でした。

当時のオーストラリアは最低時給が16ドル(約1,600円)。日本の倍くらいあった訳ですが、その分、家賃や食費などの生活費も日本に比べたら高かったです。

ちなみに最低時給以下で働かせるのは違法なのですが、税金を払わず給料が現金で支払われる仕事("キャッシュジョブ"と呼ばれている)はジャパレスを始めとする企業が多く多くありました。
(2023年現在は、規制が厳しくなりキャッシュジョブはほとんど見られないそうです。)

覚えておいて欲しいのですが、最低時給以下で働くということは、生活がかなり厳しくなります。単純に考えて、オーストラリアで時給1,000円で働くという事は、日本で時給500円くらいで働くのと同じ感覚です。

2023年にはオーストラリアの最低時給は23ドルになっています。

景気や為替レートは日々変化してるので、ぼくがワーホリをしていた時と現在では物価等が変化していることを頭に入れてこの先も読み進めてください。


洗車屋を1ヶ月で辞めた理由

当時、英語を勉強中の人や現地(ローカル)の仕事が見つかるまでの繋ぎとしてジャパレスで働いている学生やワーホリメーカーが多くいました。

そんな洗車の仕事ですが、ぼくは語学学校の授業が無かった金曜の午後、土曜、日曜に働いていました。

ただ、働いていたと言っても、実は1ヶ月ほどで(つまり回数でいうと10回くらいで)その仕事を辞めてしました。

一番大きな理由は「英語を使う環境じゃなかったこと」です。

職場の従業員は全員日本人で、仕事中も全て日本語でのやり取りでした。お客さんはオーストラリア人でしたが、お客さんとのやり取りは社員の人がやるので、バイトのぼくたちは挨拶くらいしか英語を使う機会がありませんでした。

「これじゃ日本にいるのと変わらない」「何のためにオーストラリアまで来たのかわからなくなる」と感じたぼくは、

「今はお金よりも時間を取ろう。もっと節約生活してでも英語を勉強できる環境を作ろう」

と決意し、日系の洗車の仕事を1ヶ月で辞めました。


洗車の仕事を通して学んだこと

この時に学んだこと・経験できたことは2つあります。
1つは言語環境についてです。

もともと洗車の仕事は「自分はまだ英語ができないから。まだ自信ないから。」と妥協して選んだ仕事でした。

しかし、いざ仕事を始めてみると「日本語しか話さないこと」にストレスを感じてしまいました。ワーホリ初期にこの体験をしたことは、ぼくにとって本当にラッキーでした。

「1年後には現地の保育園で働けるくらい英語力を高めたいのに。これなら生活費がカツカツでも英語環境を作ることに時間を使った方がいい」と強く思いました。

整備士や車好きの人には良い環境!

もう1つは、 今回の仕事で、今まで雑誌やテレビでしか見たことなかった超高級車の車内の掃除ができたことです。

車内清掃のタイミングで運転席に座ったりするのですが、フェラーリやポルシェやベントレーといった、家1軒買えちゃうような値段の車の座席に座れたのはとても良い経験になりました。

ぼくには仕事の条件が合いませんでしたが、車好きの方やオーストラリアで整備士等をしながら働きたい方にはとても良い仕事環境だと思います。



2.ハウスキーパー

2つ目はハウスキーパーです。 これは給料をもらっていた仕事ではありません。しかし、ぼくにとっては家計の助けになった立派な仕事のようなものなので紹介します。

ワーホリが始まって3ヶ月目、シドニーで語学学校に通っている時期のことです。その頃はまだホームステイをしていました。

ホームステイ先のスパニッシュファミリー

仕事が決まるまでの流れを内容を簡単に説明しますと、ぼくがシドニーでホームステイしていた家族(スペイン人一家)が、故郷のスペインに約1ヶ月帰省する予定があり、その間、飼っている犬のお世話や、家の掃除を住み込みでして欲しいとのことでした。

そして働いてくれる代わりに「その期間の家賃は払わなくていいよ」という条件でした。

その家族が住んでいたのはシドニーの閑静な住宅街にある一軒家です。 犬の世話と家の掃除をするだけで一軒家に一人で、しかも無料で住めるなら「そんな良いことはない」と、ぼくはその話を引き受けることにしました。

こちらがホームステイ先です


ワーホリ中はプライベート空間が意外と少ない

これは後になってから実感したことですが、ワーホリや留学中は、基本的にシェアハウスやバックパッカーズなどでの「他人との共同生活」が多くなります。意外とプライベート空間を持つことができません。

ワーホリ中はシェアハウスが一般的

オーストラリアに来て3ヶ月目にして一軒家で一人暮らしをするという貴重な経験を手に入れたぼくは、それはそれは、プライベート空間を謳歌しました。

シドニーで、一人部屋どころか一人家です。 本当にラッキーでした。

ホームステイはしたくない・興味ないという人も多いですが、ホームステイをすることでいろいろな繋がりができますし、ぼくのように思わぬ機会にめぐり合うこともあるので、なんでもやってみるものだなと思いました。

ホームステイ中も、小学生の子どもたちに英語を教えてもらいながら一緒に毎日笑い転げてました。

ホームステイ先にいたワンちゃんのカネロも、めちゃくちゃやんちゃだったけど、無邪気で可愛くて、

毎朝ぼくが語学学校へ行こうとすると、フェンスの所まで駆け寄ってきて「もう行くの?」みたいな顔をしてくれるのが本当に可愛かった。

お世話したカネロ

日本では見掛けないような広々した公園で散歩をしたり、一緒にランニングしたりするのも良い経験でした。

こういった「日本じゃ体験できない経験」をしている時に「ワーホリに来て良かったな」と思えました。

約10万円を浮かせることができた

 この仕事は給料は出ていませんが、5週間分の家賃が浮きました。 当時のシドニーでは6人〜10人でシェアするシェアハウスの家賃が週120〜 160ドルでした。

一軒家で一人暮らしと考えるともっと高いです。 仮に週200〜300ドルの家賃だったとして、5週間で1,000ドル〜1,500ドル。

ということは、この住み込みハウスキーパーの期間で、控えめに言っても約10万円近くを浮かせることができた、とぼくは考えました。

3.ローカルカフェのキッチン

シドニーで3ヶ月の語学学校を終え、シドニーを離れた後は「エアーズロック」や「風の谷」が有名なノーザンテリトリーに移動しました。

ノーザンテリトリー (NT)は、大都会シドニーと全く違い、乾燥した土地がどこまでも広がる荒野でした。

ぼくはそのノーザンテリトリーでファーム(農業系)の仕事を探しました。

なぜなら、オーストラリアのワーホリで2年目の権利(セカンドビザ)を獲得するための条件の一つとして、季節労働に一定期間従事する必要があるからです。

しかし、結果から言うと、ぼくはノーザンテリトリーでファームジョブを見つけることができませんでした。何事にもタイミングがあります。

ただ同時に、その時期(オーストラリアで生活を始めて4ヶ月目くらい)はぼくの貯金の底が見え始めていた時期で、「今週中に何としても仕事見つけないと来週にはホームレスになってしまう」というような状況でした。

当時住んでいたバックパッカーズ

宿の週払い家賃が144ドルなのに、 残高と手持ち現金を合わせて130ドルしかありませんでした。

マジで焦りました、、、。

そんなぼくは、幸運にもダーウィンからバスで12時間移動した先の街カナナラでローカルカフェの仕事に就くことができたのです。

そこはIGAというオーストラリアの大手スーパーが直営で経営しているカフェでした。

そのカフェの仕事は、

  • 従業員が全員オーストラリア人

  • 仕事は週6でフルタイム

  • しかも時給が24ドル!!(当時のレートでいえば時給2,400円くらい)

貯金が底が尽きそうなギリギリの状況で、週に6日確実に働けて、時給が24ドルももらえるなんて、感謝しかなったです。 めちゃくちゃラッキーでした。

時給2,400円のバイトなんて日本で探そうたって簡単には見つかりませんし、当時のオーストラリアは最低時給が16ドルだったので、それよりもかなり高い時給です。

当時のぼくは「きっとこれは底辺を体験した人間に訪れるご褒美のようなものだな」と思いながら、毎日毎日、野菜の皮むきや皿洗いをひたむきに続けました。

カフェの同僚たち

ローカルカフェで働いて良かったこと

このカフェのバイト中には人との繋がりが増えました。

意外かもしれませんが、首都のシドニーに暮らしていると最初の頃はオーストラリア人と知り合う機会って多くありません。

ふと気がつくと、「オーストラリアにいるのにオーストラリア人の友達ってほぼいないな」なんてことに気づきます(笑) だから、ぼくもこのカナナラのカフェで働き始めて初めてオーストラリア人の知り合いができました。

また、洗車の仕事のところで書いたように、オーストラリアの最低時給は16ドルです。そして、オーストラリア人が就いている仕事は大体が時給が20ドル前後です。

給料が週払いのオーストラリアでは、毎週給料が入ります。

この仕事をしている時は、毎週約900ドル(当時1ドル100円換算で約9万円)が銀行口座に振り込まれていました。 週9万円の給料は、金欠どころか空っけつ間近だったぼくには本当に助かりました。

このカフェでは約3ヶ月働いたのですが、職場にはオーストラリア人しかいなかったため英語力が驚くほど伸びました。

1日8時間、ずっとスピードラーニングしてるようなものです。しかも給料をもらいながら。英語を使うしかない環境に身を置くと人は急激に成長できるようです。
これは間違いなくワーホリに行ったからこそ得られた環境です。

英語力も伸びて、貯金もできていたこの時期はシドニーでの日系の洗車の仕事とは違って、自分の目標に向かっている感じがものすごくあり、毎日が本当に充実していました。

カナナラは娯楽が少ない街だったので、仕事が終わると国立公園を一望できる小高い山に登り、いろんな国の友だちと一緒に沈む夕日を眺めてぼーっとしたり、

当時生活していた宿(バックパッカーズ)にはプールがあったので、休日には朝からプールサイドで読書したり、都会にはない時間の過ごし方ができて、のんびりした生活が送れていました。

ワーホリに行くにあたって費用の問題が気になることも多いと思いますが、頑張ってローカルジョブに就くことができれば、日本では絶対に経験できないような生活が送れます。

日本にいる時に非現実•非日常だったことが、オーストラリアで仕事を始めた途端に現実•日常になります。

そしてその変化を体感するには、現地に行くことしか方法がありません。

いくらネットで情報を調べても、パンフレットを見ても、経験者に話を聞いても、実際に体験することには敵わないと思います。

ちなみに、ワーホリビザでは同じ職場で働ける期間が決められています。最大6ヶ月です。

ぼくはこのカフェで6ヶ月ずっと働きたかったのですが、セカンドビザを取得するには約4ヶ月ほどファーム(農場・畑など)で働く必要があるということだったので、仕事探しの期間や1年目の残り期間を考えると、残念ながら3ヶ月でそのカフェを離れなければいけませんでした、、、。

そして、ファームジョブを探して、ぼくは北端のカナナラから、南端のタスマニアへと移動します。

タスマニア

ファームジョブとワーホリ2年目に就いた仕事

今回の記事はボリュームが多いので、「前編」と「後編」に分けて書きました。

1年目の後半で働いたファームジョブとWWOOF(ウーフ)、

2年目に働いたジャパニーズレストラン(ラーメン屋)とローカル保育園の保育士の仕事は「後編」で紹介します。

「後編」のリンクはこちら →(公開までしばしおまちください)


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