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【完全版 オウムとクンダリニー 】第六章 教祖逮捕・活動停止

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教団崩壊と解放される悪業。断末魔の狂気と混乱。
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記事一覧

079. 青山緊急対策本部

地下鉄サリン事件の二日後、オウム真理教に対する全国一斉強制捜査は二五か所におよんだ(公証…

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080. 吐き気

メディアを通じて次々に明らかになる教団の犯罪事実を見ても、私は冷静に立ち止まって考えるこ…

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081. 後継者はサマナ

全国一斉強制捜査以来、マスコミ対応を通じて最前線で教団を防衛してきたマイトレーヤ正大師に…

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082. ファイナルスピーチ

麻原教祖逮捕の後、教団を見渡すとステージの高い成就者の半数が逮捕・勾留されているのでは、…

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083. 教祖初公判

一九九六年四月二十四日、麻原教祖の初公判の傍聴券を求めて一万二千人以上が列をつくった。サ…

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084. 背後の狂気

事件後の私たちはまさに「流浪の民」だった。全国各地のオウム名義の賃貸物件からは追い出され…

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085. 城

社会の風当たりは厳しいままで、教団の先行きもわからなかったが、私が担当していた「識華」はサマナの人数も増えてそれなりに落ち着いてきた。 渋谷と高円寺のサティアンショップには、マスコミ関係者や「オウマー」と呼ばれる教団に好奇心のある人たちがやって来て、書籍や音楽テープや「上祐グッズ」を買っていった。マイトレーヤ正大師の緑色のクルタ(宗教服)が法外な値段で売れたこともあった。しかし、そういう「オウマー」の人が、修行したり法則を学んだりする信徒になることはそう多くはなかった。 こ

086. 母なるソンシ

師部屋にこもりがちになっていた私は、一方で夜になると出かけてはファミリーレストランで人と…

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087. 教団のゆくえ

逮捕された麻原教祖から教団の代表について指示があった。 「今後逮捕される可能性のない弟子…

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088. 観念崩壊セミナー

一九九六年八月末、高円寺の「識華」ビルにいた私に、ある女性の師から電話があった。彼女は教…

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089. いわきへ

一九九六年十月三十一日、オウムは富士・上九一色村の全施設から退去することになっていた。 …

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090. 「学校へ行きたい」

いわきのお屋敷の住み心地は見かけほど良くはなかった。雨が降れば、雨漏りがしてバケツや洗面…

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091. 続出する魔境

いわきで私は行き場のない思いを抱えていた。部屋にこもってリトリート修行ができると喜んだの…

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092. 休眠宣言へ

いわきで過ごしていた時期、私はアーチャリー正大師に宗教的な指導を期待していたが、やがてつくづくこう思うようになった。 「この人は、普通の女の子なんだなぁ…」 なにを見てそう思ったのかは忘れてしまった。 今後の教団の経済を心配して一生懸命考えた末に、姉妹で描いたイラストを印刷した便箋や封筒を売る「文房具屋さんをやろう!」と言い出したときだったのかもしれない。何人かの女性の師が正大師に不満や恨みを抱いて教団をやめていくのを引き止める力がなかったときかもしれない。 いろいろな姿