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087. 教団のゆくえ

逮捕された麻原教祖から教団の代表について指示があった。

「今後逮捕される可能性のない弟子で、一番ステージの高いものが代表になるように」

事件にかかわりのないマイトレーヤ正大師も、理由をこじつけて逮捕される可能性は十分にあったので、経典翻訳部門のウッタマー正悟師(村岡達子)が「代表代行」に就任した。

教祖は破防法の弁明手続きのなかで「教祖」を辞し、代わりに幼い二人の息子(当時四歳と二歳)を教祖にたてて、教団運営は「長老部」がおこなうように指示した。
長老部は教祖の三人の娘と六人の正悟師による合議制だったが、グルと弟子の一対一の関係を生きてきた正悟師たちは、話し合ってものごとを決めることに慣れていなかった。まして宗教的には上位に置かれる教祖の十代の娘三人との話し合いは、教団の舵を取るような局面ではまとまることは難しかったようだ。

それでも信徒・サマナにとっては、だれが表向きのトップであろうと、どのように教団が運営されようと、麻原教祖を信じて修行していくことがすべてだった。

オウム裁判の長期化は避けられず先の見通しは暗かった。

「尊師のいない教団にいたって意味がないじゃないか」

教祖逮捕後すぐに教団を離れた古いサマナはさらりと言い残して消えた。
事件によって信仰を失ったある成就者が言った。

「私はもう信じていないけど、座ればツァンダリーは起こるし甘露も落ちるよ」

ツァンダリーと甘露は、クンダリニー・ヨーガの内的体験の代表的なものだ。教祖に帰依しなくても修行の体験は起こると言って彼は去った。

信仰を失ったサマナはもちろん、信仰のあるサマナも教団を離れていった。いったい教団はどうなるのだろうか、私たちに修行ステージの向上、なによりも「今後、成就はあるの?…」という不安はぬぐえなかった。

一九九六年五月宗教法人オウム真理教の破産によって、いよいよ富士・上九から撤退するときが近づいていた。追い打ちをかけるように「破壊活動防止法」をオウムに適用しようとする動きがあり、適用されれば集まることさえ禁止されてしまう。そうなったら教団は壊滅する。危機感が強まるなか、聖地である富士・上九が失われる前に全サマナを対象に最後の修行がおこなわれることになった。指導するのは教祖の三女、当時十三歳のウマー・パールヴァティー・アーチャリー正大師だった。

さかのぼること六年前、教祖は三人の娘にクンダリニー・ヨーガの成就を認定してホーリーネームを与えた。入信したばかりだった私は、オウムを合理的な宗教だと思っていたので、「自分の子どもにステージを与えるなんて身内びいきではないか?」と首をかしげた。
三人の娘のなかでも三女は、盲目の教祖を先導して信徒の前によく姿を見せた。まだ幼い少女が長い髪と長いヒゲをたくわえた教祖を導いて半歩ほど前を歩く姿は、見る者にやさしい光と明るい未来を感じさせていたと思う。
三女はクンダリニーヨーガ認定後すぐに、わずか五歳でステージを一つ飛び越えて「正大師」(大乗のヨーガ成就者)になった。
輪廻転生を信じるオウムでは、教祖のもとに子どもとして転生してくる魂は高い世界から降りてくるとされていた。三女が特別なのは、教祖がちょうど真理の修行に入ったときに転生してきたからだという。なおかつ教祖は三女を「救世主だ」とも言った。オウムの世界観のなかでは理屈は通っていたし、幼いながらアーチャリー正大師にはそう思わせるだけの不思議な存在感があった。

いや、私たちがそう感じたのは、教祖の確固たる宗教世界のなかでアーチャリー正大師に付与された力――カリスマのせいだったのだろう。


*カリスマとは、人類学で「マナ」と呼ばれるものに相当する。宇宙に充満する生命力。キリスト教においては、神からの天与の賜物の意味である。

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