見出し画像

091. 続出する魔境

いわきで私は行き場のない思いを抱えていた。部屋にこもってリトリート修行ができると喜んだのは最初だけで、セミナー以来ひどくなった精神状態で一人狭い空間にいると感情が爆発しそうになった。

「ワァーーッ」

そう叫ぼうとした瞬間、部屋のドアがいきなり吹っ飛んだ。見ると、ちょうつがいがバラバラになっていた。
私は『キャリー』という古いオカルト映画を思い出した。

「ボロい小屋だけど、指一本触れてないのに、ありえない…」

狂っているのは私だけではないようだった。東京では、女性の信徒さんが「尊師の意思を受け取った」と言うようになり、彼女のまわりに人が集まりはじめた。(1)

福岡支部でも、一人の信徒が「アナハタチャクラから尊師のエネルギーが入ってきた」と言って霊的な力をふるい、支部のサマナや師までもがその信徒に従うようになった。精神不安定だった私は同行しなかったが、アーチャリー正大師といわきにいた師たちは、事態を正常化するために全国各支部の師たちと合流して福岡に駆けつけた。しばらくすると福岡支部の師とサマナがいわきにやってきて、長期の修行に入った。

いわきでも、ある人は大量の薬を飲んで救急車で搬送され、またある人はホールに灯油をまいて火をつけようとした。なんとなく、大きな屋敷全体が冷たい霊気に包まれてゆがんで見えるようだった。

私は、ときどきアーチャリー正大師に頼まれて運転手をする以外にワークといえるものはなく、説法テープを聴いて教学したり、田舎町を徘徊したり、ひまつぶしによく本を読んだ。

その頃、偶然一冊の本を手にした。エリザベス・キューブラー・ロス(2)という著名な精神科医の『人生は廻る輪のように』(3)と題された彼女の自伝だ。私は大学時代にロスが書いた『死ぬ瞬間』という世界的なベストセラーを読んで、死にゆく人の看取りに興味を持ったことがあった。当時出版されていた「死ぬ瞬間シリーズ」はすべて読んでいたので、いわき市の本屋に並んでいた新刊にエリザベス・キューブラー・ロスの名前を見つけたとき、「なつかしいなあ」と思ってすぐに買って読んでみた。

本は感動的な内容だった。意思の強い女性の生き方、死と正面から向き合う姿勢、透徹な理性と豊かな感性――私はロスの人生に圧倒された。そして、しばらくすると、ロスの人生のどこかがオウムのなにかと似ているように感じられた。

エリザベス・キューブラー・ロスには、看護や福祉にかかわる誰もが知る素晴らしい業績がある。ところが、ロスは人生の後半に入ってから、霊能者にだまされ、長年連れ添った夫は去っていき、エイズの子どもたちのために作った施設は火事で全焼し(ロスは放火だと疑っている)、晩年には脳梗塞で倒れ、九回も脳梗塞をくり返しながら、意識は鮮明なままほとんど寝たきりの生活を送ることになる。

自伝を読み返すと、ロスがある強烈な「体験」をしたのを境に彼女の人生が暗転していくことに気がついた。それは、私の目から見て完璧と思える「クンダリニー覚醒」の体験だ。オウムにもたくさんのクンダリニー覚醒の体験があるけれど、これほどダイナミックなものを私は知らない。

クンダリニーが覚醒して、輝かしい人生から困難な人生へと反転してしまう――私はそこにオウムと同じようななにかがあるのではと感じた。

そう、私たちも霊的な覚醒を通して輝かしい未来が約束されていると思っていたら、ある日突然とんでもなくかけ離れた所に立っていたのだ。

続けて読んだ、ロスの『「死ぬ瞬間」と臨死体験』(4)のなかに心に残った言葉があった。それは「象徴言語を学びなさい」という言葉だ。そのとき象徴言語という意味はわからなかったが、後にオウムと事件を理解するうえで象徴言語は重要な鍵となった。


(1)彼女のグループは「ケロヨンクラブ」と名乗るようになり分派した。これ以外に、名古屋でも一人の女性を中心としたグループが分派した。
(2)エリザベス・キューブラー・ロス(1926-2004)精神科医。今日死の受容のプロセスと呼ばれている「キューブラー=ロス モデル」を提唱した。死の間際にある患者とのかかわりや悲哀(Grief)の考察や悲哀の仕事(Grief work)についての先駆的な業績で知られる。
(3)『人生は廻る輪のように』上野圭一訳 角川書店(1998年)、角川文庫(2003年)
(4)『「死ぬ瞬間」と臨死体験』鈴木晶訳 読売新聞社(1997年)/改題して『「死ぬ瞬間」と死後の生』 中公文庫(2001年)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?