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086. 母なるソンシ

師部屋にこもりがちになっていた私は、一方で夜になると出かけてはファミリーレストランで人と会って話をした。特に、強制捜査の混乱の後で一人暮らしをはじめていたサマナのDには、教団施設に戻るよう説得を続けていた。

しかし、話しているうちにどういうわけか、普通なら法を説く立場の私が聴き役になって、聴く立場のDが私に法を説いていた。Dはグルに帰依することがいかに素晴らしいかを熱心に語り、最後は決まって「あなたには愛がなく、真理を知らない」という説教になった。私はそれを嫌というほど聞かされていた。

法が説ける、真理を知っているとうぬぼれていた私は、サマナが語る信仰の話に引き込まれて、自分の法の理解がいかに薄っぺらで、頭で理解していただけだったかを思い知らされた。Dは、礼拝や供養や懺悔をとても神聖なものとして語り、それに耳を傾けながら信仰心がひとかけらもない自分に気づかされた。私にとっての信仰は、いつのまにか教団の「加行」「仕事」「義務」成就の「手段」のようになっていたのかもしれない。

Dは麻原教祖をグルとして深く尊敬し帰依していた。どれもこれも私とは正反対で、私が持っていない宗教性をDが持っているように思えた。以前、私が「もう出家をやめて現世に帰ろう…」と心を揺らしていると必ずあらわれて、まったりとした京都弁で情感たっぷりにグルの素晴らしさを語るRという存在とどこか似ていた。

その頃、師部屋にこもって瞑想していると意識が飛んでこんなヴィジョンを見た。

――なだらかな坂道を私は歩いている。
あたりは夜明け前のように薄暗い。
私の右側に肩を寄せるように幼い妹のような女の子が歩いていた。
左側には私より大きい人物が歩いている。
三人ならんでゆっくり坂道をのぼっていった。
それほど傾斜のきつくない坂にもかかわらず、一歩一歩がとてもたいへんだった。
目指しているのは坂をのぼった先の丘だ。
そこには白銀に輝く円形の湖がはっきりと見えていた。――

「はっ」と意識が戻ってきても、ひと足ひと足歩む緊張感が身体に残っていた。なんということはないヴィジョンだが、あたりに漂う深閑とした雰囲気とぴんと張り詰めた空気、そして丘の上に見えている白銀の湖の輝きは美しい満月のようだった。
右隣を歩く小さな妹のような存在を、「あれはDでは…」と思った。
では、私の左側にいた大きな人物は誰なのだろう? 
という疑問が浮かぶと同時に、どこからか女性のやさしい声が響いた。

「母なるソンシです」

母なるソンシ…母なるソンシ…? 
私は何度もつぶやいた。麻原教祖は強い指導者という男性的なイメージがあり、「母なるソンシ」というのは現実の教祖には似合わない。しかし、そのやわらかな言葉は、まるで啓示のように私の心にいつまでもこだましていた。

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