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082. ファイナルスピーチ

麻原教祖逮捕の後、教団を見渡すとステージの高い成就者の半数が逮捕・勾留されているのでは、という状況だった。それでも教団は機能していた。信仰でつくられたピラミッド型組織は、上層部をはぎとられても簡単には崩れなかった。
私は、オウム事件は一九九七年か一九九九年、遅くとも二〇〇四年までに起こるといわれていた地球規模の破壊(ハルマゲドン)にむけた、なにか意味のある出来事なのかもしれないと考えた。根拠などなかったが、そう考える以外に説明のしようがなかった。

この頃、教団には大きく二つの流れがあった。一つは教祖を信じてこの厳しい状況を耐え忍び、とにかく出家教団を守り抜こうとする流れ。もう一つは教団を離れて教祖を待つというものだ。もちろん明るみになる教団の犯罪を知って信仰を捨てて姿を消す者も多くいた。

今後どうなるかまったくわからない状況のなかで、出版・編集部は、万が一教団がなくなったとしてもサマナや信徒が法則を学べるように、教祖の説法をまとめる作業を急ピッチで進めていた。ほとんどすべての説法を合本にして全員に渡そうというのだ。教祖の説法や講話は、短いものを含めれば千以上もあり、録音された説法は文字におこされ校正されていた。
オウムの編集・デザイン・印刷・製本部門は事件とはまったく関係がなく、人材も大型機械も強制捜査の影響を受けなかったので、驚異的ともいえる早さで説法の合本ができあがってきた。

『尊師ファイナルスピーチ』というタイトルの総ページ数三七一二、小さな文字でびっしり二段組の分厚い四分冊の教典を手にしたとき、私は編集担当者に尋ねた。

「このタイトル、いったいだれがつけたの?」

「尊師にお伺いをあげたらそういう答えだったんだよ。編集部であげたのは『パーフェクトスピーチ』というタイトルだったんだけどね」

という答えだった。
最初の頃は、逮捕・勾留されていた教祖に、私選弁護人を通じていろいろな「お伺い」をあげることができた。説法集のタイトルをどうするか教祖にきいて、返ってきた答えが「尊師ファイナルスピーチ」だったという。

私は不審に思った。
ファイナルスピーチ(最終説法)とはどういうことだろうか?
文字通り受け取れば、今後もう説法はないということだ。私は教祖がこのまま勾留されても、長く続くだろう公判の法廷でなんらかのかたちで法を説くと思っていた。いや、この状況は、日本のみならず世界中の注目を集めて真理を説くために用意されたのではないか、とさえ空想していた。

教祖は当然教団に帰ってくる、私はそう思っていた。しかし、過去の説法集を「尊師ファイナルスピーチ」と名づけた教祖は、もう帰ることはないと知っていたのだろう。

実際には、逮捕・勾留後もしばらくは弁護士を通じて教祖の講話は送られてきた。高弟の質問に対する答えや修行上のアドバイスのなかで、公開してよいものは各部署のリーダーにメールで送られてきた。サマナはこれを「尊師獄中説法」といってありがたがった。法則を学ぶことは好きだったが、送られてきた教祖の講話には、かつて私が感じたダルマの息吹のようなものはなかったように思う。当時はそういう認識はなく、ただなんとなく獄中説法に興味がもてなかった。説法の内容は「陽身の形成」など高度な内容もあったが、私が知っている教祖の説法は、淡々と法則を説きながらもそのときその場にいる弟子や信徒の心の状態にぴったり合っていて、説法を聴くとすっかり意識が変わったものだ。

獄中説法は、だれも聴くものがいない部屋でただ流れているような、だれに対して教えを説いているのかわからない遠い感じがした。少なくとも、今ここにいる私に語りかけているようには思えなかった。

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