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卒論ノート

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卒論を書くために書いたものの吹き溜まり。
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取っ替えっこ

 去年の暮れごろから、論文を書いている間あることに悩まされ続けてきた。
 カタカナで外国人名を打ち込もうとすると、パソコンの自動変換で全く違う単語に置き換わってしまうのだ。例えば・・・

 論文の主人公だったルクーという18世紀フランス人建築家はポリフュリオス(本当はポルフュリオス)という別の20世紀ギリシャ人建築家に変換されてしまう。注意していないと、ルクーについて書いたつもりが勝手にポリフュリ

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ルクーの展覧会へ行ってきた話 Lequeu, bâtisseur de fantasme

ルクーの展覧会へ行ってきた話 Lequeu, bâtisseur de fantasme

を見てきた。今回のパリ滞在はほとんどこのためなのだ。
東京よりもずっと寒い曇り空の下、プチ・パレに10時から並んだ。物好きなお年寄りが20人ほど。開館時間より少し遅れて入り口が開いても、そこはパリ、チケット売り場が整うまでまだ10分ほど要する。こちらのフラストレーションを溜めておいて、やっとの事でスタートラインに立つと仏頂面な係員が迎えてくれる。でも許せる。なんてったって、ルクーの作品を初めて生で

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ルクー その特異な歴史性(の不在)について

 ジャン=ジャック・ルクーの生涯は謎に包まれている。革命で財産を失い、その後ついに日の目を見ることのなかった彼は1825年、書き溜めた図面を図書館に収めて消息を絶った。彼について我々にわかることはあまりに少ない。しかしこの謎を、ルクーの存在と言う最大の謎を、歴史の中の単純な図式に回収してしまっては、ひとりの芸術家による無数の表出から目を背けることになる。だからこそあえてこう問わねばならないだろう。

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0、 卒論の構成

タイトル:ジャン=ジャック・ルクー その肖像画と建築画にみる醜さの裏側(未定)

0、序章 ルクーと18世紀
 ルクーの生涯と作品、18世紀建築家のアイデンティティ、古代文明への志向

1、垂直な動き、抽象化、視える外面 〜Nouvelle méthode等における肖像画の分析
 17世紀後半、王宮第一画家だったル・ブランは人間の情念や性質を形態論的に定着させる、デッサンを発表し、絵画の普遍言語を

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1、 ルクーの生涯

 まずは彼の伝記的事実をまとめてみよう。
 ジャン=ジャック・ルクー(Jean-Jacques Lequeu)は1757年9月14日、ルーアンでフランソワ=ロマン・ルクーの元に生まれた。1766年よりルーアン科学・文学・芸術アカデミーのデッサン・絵画・建築無償学校にて、画家ジャン=バプティスト・デシャンと建築家ル・ブリュマンの教育を受ける。建築の分野でいくつかの賞を得たのち、1779年からはパリの

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2、 DessinateurからIngénieurへ:18世紀における建築家の変貌

 政治的、文化的に大きく変貌を遂げた18世紀のフランスにおいて、もちろん建築家という職業もその影響を免れることはなかった。事の始まりは1747年、王立土木学校(l’École royale des ponts et chausées)の設立である。このことは道路や橋の建設といった土木事業、国土整備が国主体で進められる、すなわち国土行政が始まったことを示しているが、以降土木専門教育によってテクノクラ

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3、 国家装置の自己表現:古代文明への志向を示す歴史的事実たち

 18世紀のフランス建築では新古典主義と呼ばれる様式が流行し、それ以前のロココ調の芸術とは一線を画していた。ルクーも新古典主義時代の建築家として知られているわけだが、エミル・カウフマンによればその理念は「高貴な単純さ」にあり、誇張しない壮大さを表現するためにギリシャやローマの建築に取材することにあり、素材の内面的な特性を重視することにあり、建物の機能を形態に物語らせることにある。しかしその(ルクー

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