3、 国家装置の自己表現:古代文明への志向を示す歴史的事実たち

 18世紀のフランス建築では新古典主義と呼ばれる様式が流行し、それ以前のロココ調の芸術とは一線を画していた。ルクーも新古典主義時代の建築家として知られているわけだが、エミル・カウフマンによればその理念は「高貴な単純さ」にあり、誇張しない壮大さを表現するためにギリシャやローマの建築に取材することにあり、素材の内面的な特性を重視することにあり、建物の機能を形態に物語らせることにある。しかしその(ルクーが当てはまるとは決して思えない)単なる様式的決まりごとから一旦距離をとり、フランスという国自体が古代を志向した様子を、ルクーについて唯一の単著を出している建築家・美術史家フィリップ・デュボワの論説を参考に見ていこう。
 建築家ピエール・パット(1723-1814)は1765年 « Monument érigés en France à la gloire de Louis XV » の中で、ルイ15世時代に建てられた建物群に « le vrai goût de l’architecture antique » があると表現し、そのカタログを著作に組み入れた。彼によればエコール・ミリテールやルイ15世広場は最も « magnifique » であり、 スフロのサント=ジュヌヴィエーヴ教会は « la beauté, la légèreté et la noblesse » で特徴付けられている。MagnifiqueやMagnificenceという言葉は、ディドロとダランベールの百科全書によればお金を使うという行為と不可分である。前者は « Un homme est magnifique, lorsqu’il nous offre … un spectacle de dépense, de libéralité & de richesse » 、後者は « dépense des choses qui sont de grande utilité au public » 、すなわちこれらの語は「豊富な資金を用いて豪奢であること」を示すのである。Magnificenceの説明は以下のように続く。 « les dépenses que l’on fait pour de grandes & belles choses, comme sont les présens offerts aux dieux, la construction d’un temple, ce que l’on donne pour le service de l’état » 、つまり国家による寺院の建設など「偉大で美しいものたち」にお金を使うことこそがMagnifiqueなのだ。ルイ15世時代のあらゆる文化を席巻していたのは、マルキーズ・ド・ポンパドゥールのとても象徴的な趣味だったとパットは続ける。すなわち、amour、luxe、capitalismeである。この時代の建物は、そのまさに国家の威信を示す新古典主義かつ豪奢な性格がパットの評価の軸となっている。
 彼は同じ著作の中で、多数のフランス人建築家がヨーロッパ中に出向いて各地の都市で仕事をしていることを強調している。フィリップ・デュボワは次のようにいう。「1720年より、あらゆるエネルギーが政治的で文化的な明確なプログラムを実行に移すことに向けられた。すなわち古代を全ての芸術的企図の基礎かつインスピレーションとして、フランスの芸術的ヘゲモニーを打ち立てるという明確な目標である。」
 1753年ロージエが『建築試論』を発表し、翌年にはブロンデルが『建築を学ぶ必要性についての論考』を出版、さらに翌年には有名な「始原の小屋」を含む『建築試論』第二版が執筆される。これ以降新古典主義の建築論が影響力を強めていく。ロージエは60年にサント=ジュヌヴィエーヴ教会を « le véritable chef-d'œuvre de l'architecture française » と絶賛した。スフロは1734年から4年間ローマ・フランス・アカデミーで研鑽を積み、1749年にはマルキ・ド・マリニーのグラン・ツールに同行する形で再度イタリアを訪問している。サント=ジュヌヴィエーヴ教会が着工されたのはその後1758年のことであった。
 1761年、イタリア人建築家・考古学者ピラネージがDella Magnificenza e d’Architettura de’Romaniを出版した。ローマのマニフィサンスと建築と名付けられたこの書物はフランスでも多大な影響力を持ったようだ。1797年、ガスパール・モンジュは自ら創設したエコール・ポリテクニークの図書館、国立図書館、学士院図書館に計3組のピラネージ著作集を登録した。その2年後、建築家ルグランはピラネージを称賛し、彼の作品に描かれた古代ローマ建築のようにまで新古典主義建築の堅固さを高めるため、そこに隠された理論を導き出さなければならないとした。ルグランらの企図は非常に野心的で政治的であり、ヨーロッパの芸術全体の進歩に芸術国家フランスとして寄与することが目標となったのであった。
 このように新古典主義建築の勃興の一つの側面には、フランスという国家の古代芸術を援用した自己称揚という意図が見出せる。ブロンデルやスフロなど伝統的な王宮の建築家たちだけでなく、革命後のモンジュなど技術者の側も古代文明への傾倒を伺わせる点は注目に値する。新古典主義が単に王権の威光を示すだけに役立ったわけではなかったことを示しているからだ。そのMagnificenceは威厳とともに経済的な豪奢を示しており、すでに芽生えつつあった資本主義社会の本格的な到来を告げていた。最後にカール・マルクスが当時のフランスを評した言葉を引用しよう。


 « C’est ainsi que, de 1789 à 1814, la Révolution se drapa successivement dans les oripeaux de la République romaine et de l'Empire romain. ( … ) la vieille Révolution française réalisèrent, sous le costume romain et avec des phrases romaine, la tâche imposée par leur époque, c’est-à-dire l’affranchissement et l’établissement de la société bourgeoise moderne.»

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