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ルクーの展覧会へ行ってきた話 Lequeu, bâtisseur de fantasme

を見てきた。今回のパリ滞在はほとんどこのためなのだ。
東京よりもずっと寒い曇り空の下、プチ・パレに10時から並んだ。物好きなお年寄りが20人ほど。開館時間より少し遅れて入り口が開いても、そこはパリ、チケット売り場が整うまでまだ10分ほど要する。こちらのフラストレーションを溜めておいて、やっとの事でスタートラインに立つと仏頂面な係員が迎えてくれる。でも許せる。なんてったって、ルクーの作品を初めて生で拝める日なのだから。

ホームページには美術史専攻の学生は無料と書いてあったので、その旨を説明して、英文の証明書などみせようとしたが、それはパリの学生に限るんだと仏頂面おばさんに拒否される。なんでも、この学生割引制度は今日が運用初日らしく(!)、働いている人もよくわかっていないのである。でも許す。僕はフランス人の厳しい女の人が苦手で、ここで一戦交えるようなことは避けたいし、というかなんてったって、ルクーの初めての展覧会初日なのだから。

中に入って、いきなり肖像画群が僕を迎えてくれる、もう見知った顔たちだ。そうそう、そんな変顔たくさんしてさ、なんか必死に隠そうとしたり、逆に見せびらかしたり、そんなことばかりするんだからあなたは。
でもあなたたちが入ってすぐにのところにいるって、なかなか攻めた展示順だ。ルクーの一番面白い部分の一つなのに。でもこれらについて展示側があまり言えることがないのが理由の一つだろう。適度に謎に満ちた導入ってわけ。

若い頃に実際にルクーが手がけた建築や装飾のドローイングたち、偏執的なまでに細かいアクアティントとキャプションたちは実現しなかった夢想の建築たちとあまり変わらない。本当に、素晴らしい水彩画家なのだあなたは、小さい方向に、内側に、向かっていくことにかけては右出るものはいないのだから。

『市民建築』の中身が始まる。主題別に並べられていて、こういうのは一人ではできないので本当にありがたい。本の中では離れていても、並べたらこんなに似ていたって発見がたくさんある。それに、ルクーが細かく引用している文学的なレファレンスが読み解かれていて、新たな知識もたくさん得られた、冷や汗が出るほどに。
ヴォルテールや旅行文学や、神秘主義的な小説や、あらゆる神話、あなたがこうして強調するアトリビュートたち。
この凝り性に拍車をかけるのは、周りに認められたいという、あなたの虚栄心だったのだ。
革命が起こればそのエンブレム体系を何とかして図面に導いき入れる、ナポレオンが実権を握れば鷹をたくさん連れてきて、その後にはルイ18世のモニュメントだ。


「ギロチンから私を救ったデッサン」なんて書いてあるけれど、あなたには処刑されるほどに政治的な存在感があったのかしら、不思議だ。
でもあなたが見苦しいほどに数々の設計競技に送り続けた建築図面たちは、本当に素晴らしい。なぜならアトリビュートの数々が着せ替えられていっても、あなたがあなたであることには変わりがないから。あなたは最初からル・クーだったので、本当のルクーなんてどこにも存在しない。

その核に、あなたが最も自らの変態性を明らかにするところの、性的な絵たちがある。どんなリアルな性器描写よりもあなたのものが病的に見えるのは、ルクーの描く人体が奇妙にも建築的だから。石で作られたように滑らかで動きのない聖女、正面を実測的に向き続けるバラの花、性の象徴。やはり、あの着せ替え可能な建築たちの、真っ黒な窓の向こうに、真に自由なあなたの本性が現れる。それを見て僕も嬉しい。人間がこんな風に自由を手に入れられること。社会に見向きもされず、建築家としての職能を去勢され、せっかくの技術をしがない役人仕事にしか活かせない、あなたの最後の砦は黒い窓の向こうに置かれた鏡、自分自身と遊び尽くす事だった。
そこではあなたは何にだってなれた。建築家にだって、女にだって、果ては両性具有の怪物にだって。

70歳を目の前にして、本当に去勢されてしまったのかもしれないあなたは、あとは自分を残すだけ。世に出たいという性欲だけは、衰えることが決してなかったみたい。
まとめて図書館位寄贈してしまう。インターネットなんか想像もできない時代に、あなたは最後の最後で「正しい」選択をした。そして、僕の元に、全てが届いたんだ。

3時間もいたら疲れてきて、外に出た。カタログを買った。それからレーベンシュテインやゲドロンなんかの研究書も。全部近いうちに読み切るのは無理そうだけれど、少しくらい引用の足しになるだろう。
カタログを売ってくれたお姉さんとおばさんはどちらも本当に感じが良くて、僕のフランス語を我慢して聞いてくれた。コミュニケーションが上手いタイミングではまると、気持ちが良い。それを相手と共有できたときはもっと。

ルクーが見つけてくれた自由を、何とかしてもっと理解しないといけない。それは頭でなんかではなくて、身体で。踊りを見ていてダンサーといつの間にか一緒に踊っているように、彼の絵と彼の変装に、いつの間にか同化するように。

刺すような寒さの中、早足で帰り道を行きながら、これが美しさかと思って、涙が出そうになる。今こんな美しさが書かれた小説を読んだら、一撃でやられちゃうだろう。早いところ見つけたい。なかったら自分で書けばいいんだ。
幸い時差ぼけがあまりない鈍感な体に生まれたので、パリでいとも簡単に暮らすことができている。明日はレーベンシュテインの家に行って、明後日は大好きな先輩と会って、明後日はまたルクーを見に来よう。


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