0、 卒論の構成

タイトル:ジャン=ジャック・ルクー その肖像画と建築画にみる醜さの裏側(未定)

0、序章 ルクーと18世紀
 ルクーの生涯と作品、18世紀建築家のアイデンティティ、古代文明への志向

1、垂直な動き、抽象化、視える外面 〜Nouvelle méthode等における肖像画の分析
 17世紀後半、王宮第一画家だったル・ブランは人間の情念や性質を形態論的に定着させる、デッサンを発表し、絵画の普遍言語を謳った。そこにはすでに、人の移り変わる感情の表現と、人の生得的な内面的性質との、そう反する表象の相克が存在していた。18世紀の観相学者ラファーターやカンペールは、ル・ブランの問題提起のうち内面的性質の探求を引き継ぎ、身体を解剖学的に切り分け抽象化していくことで、非物質的な魂を映し出す極度に単純化された人間像を打ち出した。ルクーが著した"Nouvelle méthode"は幾何学的な方法で人間の顔を描くための理論書であり、上述の三人の影響がそれぞれ見られる。彼は顔の各部分を切り分けてそれぞれの理想的形態を探ったのち、それを再び貼り合わせ全体を描くという作業を記述した。各要素の切断と、皮膚・筋肉・骨という垂直的な動きにより顔面が捉えられ、そのような内を外へ晒しだす、内外の区別を無効化する動きは、まさに観相学的な手法であった。ところがルクーが恐らく後年描いた自画像群は、自らの理論における禁欲的で透明な美とはかけ離れ、演劇的な不透明さを持っていた。

2、水平な動き、畸形、視えない内面 〜Architecture civileにおける建築画の分析
 18世紀当時の建築理論は、ブロンデルのものが多く読まれており、ルクーも彼の著作を所有していた。ブロンデルは、建築の表面にその内的性格が表出しなおかつ読み取られることをキャラクテールという語を用いて要求しており、それは建築の内外の一貫性・透明性の希求でもあった。ブロンデルの後継者たちはそれぞれに彼の理論を発展させたが、同じ潮流にあってデュランは、極度に抽象化された建築の立面図を多数描き、構造の合理化と建築の分類学を推し進めた。一方でル・カミュ・ド・メジエールはより演劇的なキャラクテールを標榜し、感覚主義美学を建築へと敷衍していった。彼らの同時代人であるルクーが"Architecture civile"にまとめた建築図面たちは、建築のファサード=顔だけを一貫して描くのだが、そこには古今東西様々な様式の引用が折り重ねられており、奇怪な様相を呈している。ブロンデルならばmonstreuxという言葉で批判したであろう、あらゆる規範を逸脱した建築物たちだが、ここではその開口部がほとんど黒く塗りつぶされていることに着目する。ルクーの怪物的な建築群は外面においては過剰な装飾を帯びており、デッサンを見る目は水平に表面を滑っていくようであるが、黒い開口部がその視線をとどめ、遠近法の通じない無限の内へと誘う。ブロンデルやデュランが観相学的に内外の問題を無効化することへと向かっていたとすれば、ルクーは対蹠的に内外の隔絶を強調していったようにみえる。

3、重ね合わせ、演劇、ル・クー 〜自画像と建築画における内外の問題の分析
 前二章で見たように、ルクーの作品には内/外のパラドックスが認められる。それは単純に内であり外であるというような矛盾ではなく、内/外の問題をどのように操作するかにおいての、すなわち二項対立を無効化するのか、あるいは深化させるのかという緊張関係である。それが最も現れているのが、女装を含め様々に扮し多彩な表情をした自画像のシリーズや、女性器のシリーズ、そしていくつかの建築画である。そこには見るものを内へと誘う、あるいは内なるものを外へと解いてゆく垂直の欲望がありながら、反対に真なる内面を隠すかのような、演劇的に変貌する表面の水平な動きが見られる。それは、ラファーターの観相学やデュランの合理主義建築のネオプラトニズム的倫理に通ずる美学と、ル・カミュ・ド・メジエールやディドロの説いた感覚主義的な美学との相克である。この点に、社会的にはアウトサイダーだった偽名使いル・クーの奔放な想像力をみることが出来る。

4、結論 醜さのゆくえ、窓の奥
 一体何がルクーをして醜い絵の数々を遺させたのか。彼の構想した演劇的建築たちの奥では、彼の仕事場におけると同じように、様々な怪物が日夜生まれては変貌していった。同時代的にはネオプラトニズム的な、垂直な動き、ロゴセントリスム、透明性が是とされるようになっていく中、彼がその建築の黒々とした開口部のうちに、肖像の大きく開けた口腔の奥に、守っていたものは一体何だったのか。両性具有の怪物と、こちらを正視するバラが、鍵を握っているように思われる。

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