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よそはよそ。うちはうち。そう割り切れたらどんなに楽だろうか…【短編】

ご高覧いただきありがとうございます。

私は昔から他人の感情を敏感に察知してしまう傾向があります。

もちろん気持ちを察するなど、完ぺきにはできません。
人の考えや感情を完全に把握することは不可能ですから。

けれど、相手の表情や仕草でなんとなく読み取れます。
それはきっと邪推なのかもしれません。でも、ついやってしまいます。

この行いの問題は、その結果、自分を追い込んでまうことです。

分かりやすく表現するならば、

『相手に気を使い、相手を優先して自分の気持ちを無視する』

これが1番正しい表現でしょう。



なぜ、こんなことをしてしまうのか?

それは「そうしないとアナタが生きていけなかった」からです。

大げさに聞こえるかもしれませんが、幼少期を思い出すと当てはまるかも?

例えば、
親が感情の起伏が激しく、一緒にいると警戒してた。
大人に気を使う行動をしたら、常に良い子だと褒められた。
怒られないように頑張っていた生きていた。
いつでも見捨てられるような事をほのめかされた

このようなことに覚えはありませんか?
幼少期というのがポイントです。

つまり、
気持ちに蓋をし、周囲に気を使う事で自分の身が守れた

もしくは、
気を使うことで自分の周りがとても上手くいった成功経験

そんな事があると、人はそれが正しい生き方だと感じます。

それは『アナタの安心と安全を得る為の行動』だったのです。



そもそも『生き方』は、本能、感性、理性の試行錯誤で得るものです。

この生き方はけして悪い物ではありません。しかし、苦しいのです。

なにせ自分を後回しにする生き方ですからね。

しかし、基本は積み重なっていくものがストレスや苦痛です。

知性と理性を持つが、人は動物です。
動物は自分勝手で当たり前です。

動物である人間も、根本は自分を優先する前提で生きるものなのです。

逆を返せば、
アナタが他人の感情に敏感なのは、生存戦略から生まれたモノ。

そして、生存戦略はあくまで戦略。
本意ではないから他人と一緒にいると疲れてしまいます。



自分優先の心得こそ「よそはよそ。うちはうち」です。

もちろん簡単じゃないんです。
「それができたらどんなに楽か」という話でもあります。

しかし、文字で読むことで、アナタは気づいたかもしれません。

「それができたらどんなに楽か」とは「今の生き方は苦しい」。

そう認めているのです。
だからこそ、自分を優先する基準を用意しましょう

文面にする分かると思います。

己の都合しか考えず、己の意見を押し通し、他人の気持ちを無視する。
そんな人であっても罪悪感を感じるのが、アナタの生存戦略だった。
でも、そんな人は自分を差し置いてまで優先するべき人間ではありません。
これは明白です。

でも生き方を変えるのは難しい。
それは劇的かつ急激に変えようとするからです。

変化を嫌うのが人間です。なので、少しずつ変えましょう。

そうするといつかアナタの望む生き方ができるかもしれません。

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