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幸せのカタチ

昔読んだ佐藤愛子のエッセイに「財布」の話があった。
実際の文章は忘れているので、全然違うかもしれないけれど、私の印象で雰囲気だけを書く。
佐藤氏の友人の話だったか、例として創作したものか記憶はない。

専業主婦の妻は、夫の給料で生活費のやりくりをしていた。
生活に必要なもの、夫のもの、子供のものが優先。
自分のものを買いたいと思っても、「それを買うならこっちが先」と子供のものを買ってしまう。
自分のものはなかなか買えない。
だって、私だけが我慢すればいいのだもの。
でも。
「自分の裁量で使える自由なお金があれば」とときどき思う。

とはいえ、まだ子供に手がかかるし、かけたいという思いもある。
「外で働きたい」と言い出せないのは、自分でもどうしたらいいのか迷っているから。

あるとき、家族で買い物に行ったら、財布を取り出したはずみに、小銭がパラパラとこぼれた。
古くなった財布はあちこちが傷んで、気を付けて出し入れしないとこういうことが起こる。

数日して、出がけに夫がお札の入った封筒を寄越した。

「生活費に入れるな。財布の金だ。」

佐藤氏は書いていたと思う。
「自分は夫と離婚し、自分の力で財布を買える幸せを得たいと思った。そして、それを得た。
しかし、それは同時に『夫に財布を買ってもらう幸せ』を失った」というようなこと。

これは金銭的なことだけでなく、何も言わなくても、夫が自分を見ていて、不足しているものや欲しいものを汲み取って、対応してくれるということ。
誰かが自分のことを見ていてくれるという幸せだ。

どちらがどう、という話ではない。
そういう幸せもあるということ。

子供のころ、母はサンタと聞けば、「三太」で、どこかの農家の三男坊のことか、と思うような人だった。
家でクリスマスを祝ったことはない。
さすがに私は名前や行事として知っていたけれど、サンタの存在そのものを否定し、かつ嘲笑していた。
内心で、サンタクロースを信じているような同年代の子供を「バカじゃないの」と思っていた。
いじめられると困るから、言わなかったけれど。

恋人ができるまで誰かと「クリスマスプレゼント」をやり取りしたこともない。
そのときにわかった。
欲しかったのはプレゼントの中身じゃないってこと。
この人(私)は、何が欲しいとか、何が似合うとか、何を贈ったら喜んでもらえるかとあれこれ想像してもらうこと。
その時間は、相手の心の中には確実に私がいる。
そのことが嬉しいんだって。

結果として、それらは私の思い出の中だけに存在するものになった。
元夫は、私を見ず、私の心も想像しなかったから、私は佐藤氏のように「自分で財布を買える幸せ」を選んだ。
実際のお金の出どころだけではなく、「これを買ってもいいですか」という許可を求めないでいい幸せだ。
後悔はないし、良かったと思う。

私の中に「サンタクロース」というものは永遠に存在しない。
キリスト教は、文化や美術の素地としてとても好きな世界なのだが、日本や世界で行われている「サンタがトナカイに乗って子供たちにプレゼントを配る」という行事には、幼い頃から正直うへっと思っている。
夢のない子供が夢のない大人になっただけなのかもしれないが。

そもそも、親たちが、
「いい子にしていないとサンタさんからプレゼントをもらえないよ」
というのが好きじゃない。
なんか脅迫っぽいじゃないか。
こういうご褒美主義が私は好きじゃない。
子供時代の私は小遣いがなく、家の内職によってきっちり計算された報酬を得ていたので、「いい子にしていたら」みたいな漠然とした言いように抵抗を覚えるのかもしれない。
「いい子」って、誰にとって?何が基準?

私は誰よりも親や周囲の大人たちの忖度をし、家族の仲たがいの調整をし、家事や介護を実践し、自分の思いを深く沈めてきた。
不登校の部分を除けば、私は誰に聞いても「いい子」だったと思う。
けれどもそのストレスは自律神経や繊細な臓器を冒すほどだった。
でも、そういう私にサンタさんがプレゼントをくれたことはない。

ただ、クリスマスの雰囲気は好きだ。
だからこそ、子供にとっての「ほしいものをもらう日」、恋人たちにとっての「sexの大義名分」でなく、大切な誰かの心を想像したり、ともに過ごすことの安らぎを感じる日であってほしい。

私が「自分で買える幸せ」を実践したトップ5

1.食洗機 
食べたあとゆっくりできるのと、「洗わなければならない」という呪縛からの解放。時間の使い方と精神にとってものすごくプラス。

2.ドリップポット
珈琲を飲むだけでなく、入れるという過程を楽しめる。それと香り。

3.焼き網
トーストがめっちゃ美味しい。

4.サウンドバー
Spotifyで集めたお気に入りの音楽をBluetoothで飛ばして聴く。テレビの音も聴きやすい。もっと大きいやつを買えば良かった。

5.一人用電気鍋
温かいものが温かく食べられる。家族団欒という演出だけに心を砕き、自分は冷めたころにしか食べられなかった過去の自分に「ざまぁみろ」という感じ。

昨日の夕空。
天涯孤独が淋しくないと言ったら嘘になる。
でも、引き換えに得たものもたくさんある。
離婚した人を「バツ1」とか「バツ2」とか言うけれど、「×」ではないよ、実際は。
幸せのカタチが違うだけ。

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