天涯孤独

オチのない日記を書いています

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言葉を魔法と言うには軽すぎて

言葉は魔法のように万能ではないが、言葉は何より大きな力をもっていることは確かである。 誰かの綴る言葉に心を掴まれるのはきっと綴られた言葉にその人の想いがのるからであって言葉そのものに大きな力があるかと言われればないと思う。 誰がどう伝えるかで言葉は変わる。 同じ意味合いの言葉でさえ全く違うものに変わることができる。言葉とはそういうものだ。 先日友人と話していた。 友人は今受験で毎日勉強と試験に追われ、とても疲れた様子だった。だから最後じゃあねの後「頑張れ」のひとことをかける

    • 宇宙をあげる

      時刻は丁度3時30分になった頃、風呂から上がって猫を撫でていた。猫はすみれという名前で、うちに来てもう8年にもなる。どうやら食べるのが好きらしく気づけば握りつぶせそうだったガリガリの子猫がふくふくとした丸っこい猫になっていた。 すみれという可憐な名前には似つかわしくないほど逞しい。 そんな猫を愛おしいと思う。愛とは案外浅いのかもしれない。 特別なことのように人は愛を語る。 知ったように、まるで全てを見てきた先人みたいな口調で_ くだらないと思った。 小学生の頃、図書室で初め

      • いきをとめる

        四月、ベランダから見える桜の木がいつのまにか緑に染まっていく様をみていた。とても静かに春の終わりは告げられ、気づけば五月、夕暮れの空が綺麗な季節がやってきていた。     春頃から文章を書くことができなくなった。 自分の世界を表現するすべを失ったことでまたどうしようもなく静かになってしまった。 ずっと夢の中にいるときの、歩いている感覚がないような、足がやたらと重いような感じがした。 進むことも戻ることもできずにずっと同じところに立っている。でもそれはずっと前からだ。スター

        • 消費期限切れてた、愛。

          聴きたくもない歌を聴きながら目を瞑った。 頭の中は満たされても心は空っぽのままだ。 愛されたいと思うと同時に殺してよと祈るのは、歪んだ人格がそうさせるのかそういう癖なのか自分でもわからないままだ。 愛され方間違えると愛し方も間違える。当然のことだ。 「愛してるなら全部教えられるよね」という言葉が頭の中に浮かぶのは同じ言葉を言われてきたからだ。気づけば私の言葉になっているのがまた、どうしようもなく愛だ。 最近、愛されたいと嘆いてばかりだ。 春はきっと出会いと別れの季節だから

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        言葉を魔法と言うには軽すぎて

          日記

          「春になったらまた来ようね」と私に語りかける優しい声の懐かしさに少し泣きそうになった。 心というのは恐ろしいもので、黒い感情に飲まれたとき、本当に大切なものを蔑ろにしてしまう。 今でこそ私はとても環境や人に恵まれていると感じるのだけれど、昔は本気で自分が世界一不幸な人間だと思っていたし周りの人達を憎んだり恨んだりしていた。 憎んで、恨んでそれで自分が報われるような救われるような気がした。 昔の自分を表す言葉を探せば、怒りや憎悪といった決して明るいとは言えないそんな言葉達で

          まだ静寂と孤独を愛していたくて

          平日の昼下がりの公園、誰もいない路地裏に深夜のコンビニ、早朝の静けさ、その全てが美しく孤独である。 死にたくて眠れなかった日だ。気がつけば朝5時で濁った青空がゆっくりと橙色に染められていく様をただぼんやりと眺めていた。 辺りは静かで、自分の鼓動しか聞こえなかった。ずっとここに居たいと思った。 世界が騒がしくなる頃、私は眠った。 この世のすべてが煩わしく思えた。鳥の鳴き声さえも鬱陶しく思えた。 美しいものだけを見ていたかったんだ。私にとって美しいものは常に孤独が付きまとう。

          まだ静寂と孤独を愛していたくて

          世界をまるごと抱きしめることはできなくても

          『あなたは自分のことが好きですか?』 中学生の頃、学校のアンケートで“私は私のことが好きではない”という項目に丸をつけた私は職員室に呼ばれ、深刻そうな顔をした担任と面談することになる。 その頃世の中は自分のことが好きだという人を称える風潮があり、逆に自分のことが嫌いだという人を批判する風潮があった。 だから担任は私を叱った。自分を愛する努力をしなさいと。そんな薄っぺらい言葉のくせに今も頭にこびりついているのは心のどこかでその言葉が正しいと感じていたからかもしれない。 その

          世界をまるごと抱きしめることはできなくても

          幸せの基準、まちがえたくない

          今日は早起きができて朝ごはんを食べれて、家族と少しお話もしてアルバイトの電話もできた。今日もまた少し進めた気がする。 とてもゆっくりだけどそれでも私にとっては全部大きな進歩で、少し心が温かくなるのを感じる。 私はずっとまちがえていたみたいだ。 もっと勉強しなきゃ、可愛くならなきゃ、痩せなきゃ、普通にならなきゃ_ ずっと何かに追われていたから、下ばかり見ていて本当に見るべきものが何ひとつ見えていなかったんだ。 すぐ近くにある細やかな幸せを大切にすべきだったのにそれを蔑ろにして

          幸せの基準、まちがえたくない

          いつまで経っても優しくなれない私

          見事にダイエットを挫折して、ここ数日は暴飲暴食の日々だ 自分の為に頑張る難しさを知る、これがきっと自分に対して失望するという感覚だろうなんて思う 私は私のために頑張ることができない その方法を知らずに大人になってしまったものだから、ろくな人間ではない 自発的に何かをすることも出来ないから何も生まれず何も失わずそうやってただ流されるままの生涯である 最近長い文章を書くのが苦手になってしまった きっと新しい経験や新しい感情を知って、頭の中が整理整頓できていないんだ 引き出しも

          いつまで経っても優しくなれない私

          日記

          今日は久しぶりにギターをしていた。 独り言で「今が1番楽しい」と呟いた途端、いつもの考えるターンに入り今に至る。 「今が1番楽しい」 私の人生はいつだって最低で最悪だったからこういう言葉を言ったことがなかった。 今だって正直言えば最低な毎日で最低な日だだけど、どうしてかその言葉が浮かんだ。 最低な毎日を過ごした。 ただ寝て、食べて、また寝て、病んで泣いてまた食べて寝る、みたいな_。 そんな生活をしていても頭はいつも忙しかった。色々な考えや感情で埋め尽くされてそれを整理した

          救われる方法など無いと知りながらそれでも救われることを望んでいる

          目の前の今はすぐなくなってしまうのに、私自身と苦い思い出だけはずっとそこにある それがなによりも苦痛である 毎日自分の不甲斐なさと醜さに向き合わなければならない 反省して泣いてこんなことに何の意味があるのか、私も分からない ただそうしなければいけないような気になる 生きていることが罪だと感じる 全てを終わらせてしまいたいと思う 最初から心は死んでいたみたいだ 生きていたことなんてないと思う 可笑しくて笑う日があっても悲しくて涙を流してもムカついて自分の感情を抑えられなくな

          救われる方法など無いと知りながらそれでも救われることを望んでいる

          お腹空いた

          眠れずにただ携帯を眺め初めてもう二時間は経っただろう。 最近どうも眠りが浅いのを感じていたが、今日はとうとう眠ることすら出来なくなってしまった。毎日動いていないとはいえなんとなく身体は疲れるもので眠れないのはつらい。そしてなにより眠れない夜は余計なことばかり考えるのでそれがまた疲れる。焦燥感と喪失感、そして自殺念慮。もうずっとこの感情に支配されているのでむしろ元気なときというのはなくて当たり前ですらある。 最近思う。自分はとても醜いのだと。 昔からそうだったかもしれないが自

          お腹空いた

          親に甘えて環境に甘えて、惰性で、そうやって生きてきた 子供の頃はそんな生き方さえも子供だからという理由で許容される でもわたしは大人になった そんな生き方を許されず、許せなくなった 甘えられるうちは甘えればいいだなんてまわりは言う、でもダメなんだ 私は甘えて甘やかされて生きてきた、そんな生き方しか知らない無知で恥ずかしいおとなになってしまった 生きることさえも許されない、私自身も許さない もうはやく死んでしまいたい 毎日自分を責める なんでこうなったんだって、なんでこんな