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いきをとめる

四月、ベランダから見える桜の木がいつのまにか緑に染まっていく様をみていた。とても静かに春の終わりは告げられ、気づけば五月、夕暮れの空が綺麗な季節がやってきていた。    

春頃から文章を書くことができなくなった。
自分の世界を表現するすべを失ったことでまたどうしようもなく静かになってしまった。
ずっと夢の中にいるときの、歩いている感覚がないような、足がやたらと重いような感じがした。

進むことも戻ることもできずにずっと同じところに立っている。でもそれはずっと前からだ。スタートラインに立たされた瞬間から私は負けを確信していて、言われるがままに走ってみたりもしたが、前の走者を追い抜かそうとは思えない。
自分の人生に確信が持てないからと誰かからの肯定を欲しがるその弱さに毎日絶望する。
喉から手が出るほど欲しいナニカの正体がずっと掴めずにいる。

笑って過ごす。負けないようにと食らいつく。
怠慢さえ受け入れたフリをする。まるで達観しているかの如く世界を語る。
時々、本心を隠して黒く染まった自分の姿が時折目の端に映る。


ただ生きているだけのこの人生にいつかの私は意味を持たせようとするのだろうか。

人生の意味も生きることの意味も人の価値も人ごときが定められるものではないのに。
人生の全ての過程や涙に意味がなくてはいけないかのように洗脳される。
この世界はきっとなんでもない。ただそこにあるだけだ。
そして私も私の周りの人もただ心臓が止まらない限りそこに存在する。
この世界の全てに安っぽい言葉をつけて感動的にさせようとする人の思惑が目に見えるたび心の中で軽蔑する。

人なんて、ただ生まれただけだ。
そこに意味や価値を見出そうとすることは誰かの存在も自分の存在も否定する理由になる。


毎晩同じ夢を見る。
薄暗く、狭い部屋の中で私はただ座っている。
その時がくれば端にある古びた扉を誰かがノックする。ノックは少しずつ大きくなって私は目を瞑って耳を塞ぐ。
音が聞こえなくなった時、ノックをしていた誰かはすでに私の隣にいて、そして私には分からない言葉で私を罵倒する。
ただそこでおわるだけの何の意味もない夢。

ひどく生ぬるい風の吹く正午、目が覚めた時点ですでに憂鬱で、どうしようもなく自分が恨めしい。今年も、またあの夏に帰るのだろうか。







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