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世界をまるごと抱きしめることはできなくても


『あなたは自分のことが好きですか?』


中学生の頃、学校のアンケートで“私は私のことが好きではない”という項目に丸をつけた私は職員室に呼ばれ、深刻そうな顔をした担任と面談することになる。
その頃世の中は自分のことが好きだという人を称える風潮があり、逆に自分のことが嫌いだという人を批判する風潮があった。
だから担任は私を叱った。自分を愛する努力をしなさいと。そんな薄っぺらい言葉のくせに今も頭にこびりついているのは心のどこかでその言葉が正しいと感じていたからかもしれない。

その日、家に帰るとどうしようもなく涙が溢れて止まらなかったのを覚えている。
自分がとても醜い存在に思えた。人に叱られるほど自分は悪いことをしたように思えなかった。不器用でネガティブで口下手でそんな自分が嫌いだった。
好きになりたかった。でも好きになるための努力をするのが怖かった。


十四歳の私は今よりずっとちゃんと子供で無力で自分と向き合う方法なんてわからなかった。
だから大人に叱られれば自分を責めたし、そうやって自分を殺すことが正解なのだと思っていた。
今は嫌でも毎日自分と向き合わなくてはいけなくて、それは時々拷問のように思えることもあるけれど、何も分からず無力だった十四歳の頃よりは生きているという実感が湧く。
だけど“私は私のことが好きではない”に丸をつけたあの頃の私は今よりも必死に世界と戦っていたかもしれない。

あの頃必死に世界と戦っていた十四歳の私は成人になった。時間だけが進んだ。
今の私はあのアンケート用紙のどこに丸をつけるだろう_。

色んな人と出会って、色んなことが起きて、私は変わった。けれど今も不器用でネガティブで口下手なままだ。
自分という世界をまるごと抱きしめることはできなくても、ただ自分を抱きしめることはできるようになった。
世界はきっと戦うや愛するなんてことだけじゃなくて色んな見方ができるから、どうか自分を愛することに囚われなければいいな、なんて思う。世界は思っているよりずっとシンプルでずっと重たいから。









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