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「見えない日常」木戸孝子

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家族の親密な関係性を収めたシリーズ「Skinship」が、このところ欧米の数々の写真コンテストで高い評価を受けている写真家の木戸孝子氏。同作のテーマに至るきっかけとなったのは、彼…
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見えない日常 #13 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #13 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 12〉はこちら

Chapter 13

「国境がなかったら、移民局のジェイルなんて存在しないのにね」――私がそう言うと、マーバは「そんなこと考えたこともなかったけど、その通りだよ。そんな世界だったら素晴らしいね」と答えた。マーバは、トリニダード・トバゴ出身。優しい目をした、長髪のドレッドヘアーがかっこいい黒人のおばちゃんだ。ブルックリンに35年も住んでいた。

 彼女いわく

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見えない日常 #12 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #12 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 11〉はこちら

Chapter 12

 移民局の法廷から帰って来た日の夜、南米出身の囚人が私のもとに来た。彼女は、「アイネスがTakakoの悪口言ってるよ」と教えてくれた。

 アイネスはエクアドル出身のおばちゃんで、盗みで軽犯罪になったことがあり、その後、飲酒運転で2度目の軽犯罪となり、移民局に逮捕された。もう7ヵ月もここにいる。アメリカ国内に留まりたくて闘っていたが、

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見えない日常 #11 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #11 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 10〉はこちら

Chapter 11

 ハドソン・カウンティーで、私に最初に話しかけてくれたのは、中国人と韓国人だった。同じ国の人かもしれないと思ったのだろう。やっぱり同じアジア人。こんな場所で会うと、とても仲間意識を感じた。アメリカ人の中には、日本人、中国人、韓国人は、それぞれの国の言葉で話してもコミュニケーションができると勘違いしている人も少なくない。

 韓国系中国

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見えない日常 #10 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #10 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 9〉はこちら

Chapter 10

 私たちを乗せた車は、マンハッタンの移民局のオフィスに着いた。指紋の採取や、様々な手続きの後、そこからそれぞれ別の移民局拘置所に連れて行かれた。別れる前に見たボーイフレンドは、重罪犯になってしまったせいで、危険な囚人が着せられる赤色の囚人服に着替えさせられていた。明るい色が妙に似合っていて、思わず笑顔になって手を振った。

 私が連れて

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見えない日常 #9 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #9 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 8〉はこちら

Chapter 9

 ボーイフレンドがベイルアウトして職場に戻ると、彼の給料は2倍に増えていた。ボスは、彼の大切さを身にしみて感じたらしい。「君にはずっとここで働いてほしい」と言ってきた。いられるものならいたいのだけど……。

 アメリカの裁判のシステムは日本とはだいぶ違う。まず弁護士が、刑を軽くするために、検事と何度も交渉をする。交渉が終わると、弁護士が電

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見えない日常 #8 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #8 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 7〉はこちら

Chapter 8

 ボーイフレンドはまだ保釈金を払えず、ライカーズアイランドにいた。何人もの囚人から、「外に出て戦わないと刑期が長くなるよ」と教わっていたので、私も彼も必死で知恵を絞った。彼は、友人、知人ひとりひとりに事情を話し、お金を貸してくれるようお願いすることを決意した。

 ライカーズからは、決められた時間に外に電話をすることができた。それぞれの収

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見えない日常 #7 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #7 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 6〉はこちら

Chapter 7

 保釈金を払って拘置所から出てきたーーというのは仮釈放の状態で、いろんな容疑が足し算されて、私とボーイフレンドには7年ほどの刑期になる罪状が付けられたままだった。

 文化の違いに起因する誤解や言いがかりのようなものばかりで、思わず笑ってしまったものもあった。例えば、「子どもがTakakoのお尻の穴に指を突っ込んだ」と書かれているのだ。警

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見えない日常 #6 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #6 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter5〉はこちら

Chapter6

 拘置所から出てすぐに、世界がカラーになっていることに気がついた。それまで私は長い間、モノクロ写真を撮っていた。周りの景色を、意識しないまま、白から黒までのトーンで見ているほど経験を積んでいた。それが急に、全部カラフルになったのだ。目の前で起こる出来事が、ざわざわしながら視界にカラーで飛び込んで来て落ち着かない。

 それだけじゃない。しばら

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見えない日常 #5 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #5 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter4〉はこちら

Chapter5

 私が逮捕された2007年といえば、初代のiPhoneが発売された年。まだ私はiPhoneを手に入れてなかった。家族のスナップ写真を撮るのには、大体は携帯電話のカメラを使っていたけど、まだカラーネガも使っていた。

 今になって考えると不思議なくらいの不注意だ。小学校の送り迎えや、家でひとりで留守番させないことなどは気をつけていたのに、どうし

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見えない日常 #4 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #4 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 3〉はこちら

Chapter 4

 まるで落とし穴に落ちた感覚だった。

 もうちょっと気をつけた方がいいんじゃない、と馬鹿にして笑う人もいるだろう。軽蔑する人もいるだろう。でも、気をつけていられる時は、落とし穴に落ちない。
 落ちるのは、疲れていたり、時間がなかったりで、よく考えていない時。誰の人生の道にも、大なり小なりの落とし穴がぽっかりと口を開けているかもしれない。

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見えない日常 #3 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #3 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 2〉はこちら

Chapter 3

 ライカーズアイランドで、私に1番危険を感じさせた存在は看守だった。
 ナプキンが必要でもらいに行っても、聞こえないのか聞こえてないふりをしているのか、看守はまったく知らんぷり。見かねた黒人の囚人が大声で怒鳴ってくれ、やっと手に入れることができた。

 アメリカの拘置所で、リンチや殺人や自殺が起こるのは、看守がちゃんと仕事をしていないから

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見えない日常 #2 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #2 木戸孝子(写真家)

前回〈Chapter 1〉はこちら

Chapter 2

「You are in a pickle」私の話を聞いた囚人が言った。

「どういう意味?」と聞くと、「You are in trouble だよ」と教えてくれた。こんな状況なのに「また新しい英語を覚えた!」とどこかで思っている自分がいた。そうか、ピクルスのビンの中に閉じ込められて、身動きできない状態なのか。確かにそんな感じだ。

 私た

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見えない日常 #1 木戸孝子(写真家)

見えない日常 #1 木戸孝子(写真家)

Chapter 1

 ライカーズアイランドの拘置所の廊下に立った時、混乱する頭に一つの冷静な考えが浮かんだ。

 私はここに連れてこられることを知っていたのかもしれないーー。

 その廊下は私が撮った写真にそっくりだった。当時の私が撮っていたのは「The Ordinary Unseen」と名付けた作品。それは孤独な日常の中で美しい光を見つけるプロジェクトだった。闇が深ければ深いほど小さな光はより

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