見えない日常 #6 木戸孝子(写真家)
Chapter6
拘置所から出てすぐに、世界がカラーになっていることに気がついた。それまで私は長い間、モノクロ写真を撮っていた。周りの景色を、意識しないまま、白から黒までのトーンで見ているほど経験を積んでいた。それが急に、全部カラフルになったのだ。目の前で起こる出来事が、ざわざわしながら視界にカラーで飛び込んで来て落ち着かない。
それだけじゃない。しばらくの間は、自分のするあらゆる行動が間違いじゃないかどうか怖くて、ビクビクしていた。サブウェイに乗っても、周りに危ない人がいないかどうか、ピリピリして見ていた。怖くて写真を撮ることが出来なくなった。
そんな私の精神状態を心配して、私をひとりにしないために、お父さんがニューヨークに来てくれた。会社を休んですぐにニューヨークに駆け付けてくれた妹が、自分と交代するために、お父さんを送りこんでくれたのだった。
当時はまだ65才。もう定年後で、年金生活だった。お母さんは花屋さんで働き、生け花の先生もしていた。妹もお母さんも仕事をしないとお金が入らない。お父さんはいなくても年金が入る。私のことでこんなにお金がかかって、まだこれ以上かかるかもしれない。家族が一丸となって少しでも稼いでおかないといけない。だからお父さんが行くのが1番いい、という妹の判断だった。
お父さんの到着の日、ジョン・F・ケネディ空港に迎えに行った。飛行機が到着して、一番先に出て来た人は、あの坂本龍一さんだった。高校生の時からの大ファンだったけど、それどころじゃなかった。そして二番目に出てきたのが、うちのお父さん。つまり、ファーストクラス並みの早さで入国審査と税関を通って出て来た。
後で聞いたら、英語がまったくわからなくて、いつものようにニコニコしていたら、キャビンアテンダントのお姉さんが、ジュニアパイロットを面倒みるようにエスコートしてくれて、早々と出て来られたというわけだった。
どうやら、うちのお父さんには、説明のつかないコミュニケーション能力があるらしい。
それから観光ビザが切れるギリギリまでの3ヵ月、お父さんはニューヨークにいてくれた。高知県育ちのお父さんがニューヨークの冬の寒さに耐えられるだろうか、と心配していたけれど、幸いにも2007年は雪の少ない冬になった。
3ヵ月間、どこにでも一緒に出かけた。刑事弁護士のハワードに会う時もいつも一緒に行った。英語が子守唄になってしまうらしく、ハワードと私が話している時はいつもうとうと船を漕いでいる。それなのにハワードは「僕のfavoriteは君のお父さんだよ」と言う。家庭裁判所の弁護士のテリーは「君が悪いことしてるわけないよ。何かやってたら、お父さんや妹を一緒に連れて来て、家族の前で平気でベラベラいろんなこと、話すはずないだろ。だいたい、このケースには最初から矛盾があるよ。悪いことしてたらドラッグストアにネガを現像に出さないよ」と言っていた。
住んでいたディトマス・ブルバードの駅前には韓国人のおばちゃんがやっている八百屋があった。そこに行ったら、「これお父さんにプレゼントだよ」と、大きなみかんの箱を一箱、ただでくれた。
極め付けは、ボーイフレンドの面会にライカーズアイランドに一緒に行った時、あの意地悪な看守までが、お父さんの笑顔を見て驚いた表情をした後、優しい顔になり、私に向かって ”God Bless Him!” と言うのだ。思わず神に幸せを祈りたくなるほどのものがあるらしい。
ライカーズアイランドの収容者に面会するには、長い時間がかかる。ひとりひとり荷物を全部チェックされ、ボディチェックされ、他にもいろんなチェックがあり、その間ずっと列に並ばされて、ものすごく待たされる。どれだけ待っている人がいても、特に急いで仕事をする様子もないし、お待たせしてすみません、なんて思ってもいないし、そんな言葉も当然ない。実際の面会までに、3、4時間はあたりまえにかかるし、帰りもチェックがあるので時間がかかる。面会に行くだけで1日が終わってしまう。日本には、“お役所仕事”という言葉があるけれど、そんなもの比べ物にならない。
これでは、収容されている人への思いが相当強い人じゃないと、繰り返し面会に行くことは当然なくなる。仮に思いが強くても、体が健康じゃないと、こんなしんどい思いをして会いに行くことはできなくなってしまう。まるで面会に行くのをわざと難しくしている、としか思えなかった。
妹が、私に面会に来てくれた時、彼女の化粧ポーチの中には、シャネルなどの高い化粧品がいろいろ入っていたそうだ。すると持ち物をチェックしていた女性の看守が、これは預かっておくから、と言って持って行ってしまった。そして、面会が終わって帰る時には、予想通り返してくれなかった。
東京でOLとしてちゃきちゃき仕事をこなしている妹は、「あの人たちに仕事のやり方を教えてやりたかったちや!」と、今でもたまに思い出しては文句を言っている。
弁護士との話を重ねるうちに、ニューヨークにもういられなくなるかもしれないということがわかった。その時の心情では、愛用していた二眼レフのローライフレックスでは撮れそうになかったから、私はパノラマのピンホールカメラを手に入れた。
ピンホールカメラは、針で開けたほどの小さな穴から光を取り入れて写真を撮る、レンズのない原始的なカメラだ。小さな穴がレンズの代わりになるので、それはつまり絞りがものすごく絞られている状態で、露光時間がとても長くかかる。平気で20分、30分、場合によってはそれよりもっとかかったりする。
ただの箱にしか見えないピンホールカメラを、どこかに置くか、三脚にセットして、その間は皿洗いしたり、エクササイズしたり、景色を見たりして待つだけ。撮っている感じがしなかった。このカメラで、大好きなニューヨークにさよならするための撮影を少しずつ始めた。
〈Chapter 7〉に続く
2月5日(月)公開
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