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見えない日常 #4 木戸孝子(写真家)

 家族の親密な関係性を収めたシリーズ「Skinship」が、このところ欧米の数々の写真コンテストで高い評価を受けている写真家の木戸孝子氏。同作のテーマに至るきっかけとなったのは、彼女がニューヨークでの生活で思いがけず遭遇した〝逮捕〟だったーー。

前回〈Chapter 3〉はこちら


Chapter 4

 まるで落とし穴に落ちた感覚だった。

 もうちょっと気をつけた方がいいんじゃない、と馬鹿にして笑う人もいるだろう。軽蔑する人もいるだろう。でも、気をつけていられる時は、落とし穴に落ちない。
 落ちるのは、疲れていたり、時間がなかったりで、よく考えていない時。誰の人生の道にも、大なり小なりの落とし穴がぽっかりと口を開けているかもしれない。
 それは、事故だったり、災害だったり、病気だったり、盗難だったり、道を誤ったり、よりによってなんで自分が、と思うような出来事。

 ボーイフレンドの息子との新しい生活は楽しかった。日本の10才の男の子は、無邪気で子どもらしく、かわいかった。パパっ子の彼は、3才からパパと離れて暮らしていた。一番パパに甘えたかった時期に甘えられなかったのだろう。お風呂上がりに裸で2人で楽しそうに遊んだ。足りていなかったパパとのスキンシップをいっぱいして、会えなかった日々の埋め合わせをしてるのだ、と思った。

The Ordinary Unseen #23, 2007

 同時に、大変な毎日だった。アメリカでは、小学生の子どもを1人で外出させることは違法である。ネグレクト(育児放棄)として保護者が逮捕される。朝、数ブロック離れた小学校まで子どもと一緒に歩いて行き、それからサブウェイでマンハッタンに行き、さらにメトロノースに乗ってマウント・バーノンまで仕事に行くと、どうしても30分遅くなってしまう。ボスに了解は取ったけれど、それにいつまでも甘えて、30分遅れて行くわけにはいかない。

 小学校が終わる時間に、ボーイフレンドがマンハッタンの仕事場からディトマスまで子どもを迎えに行き、仕事場に連れて行く。家で1人で留守番させるのもネグレクトである。私は仕事を終えると彼の仕事場に子どもを迎えに行き、帰宅してから夕食の準備をする。子どもは「お風呂に一人で入るのは怖い」と言って嫌がるが、父親の仕事の帰りを待っていたら夜10時や11時になってしまう。次の日の学校に差し支えるので、平日は私と一緒に入ることにした。
 とにかく、子どもを置いて何か用事をする、ということができないのだ。アメリカで子どもを育てる大変さを実感していた。

 ニューヨークに住む日本人のあいだで有名なアメリカ人弁護士がいた。彼の奥さんは日本人。奥さんは、子どもを車の中で1人で寝かせたまま、スーパーで買い物していた。そうしたら誰かに通報されて、逮捕されてしまった。彼は自ら奥さんの弁護をし、日本とアメリカの違いなどを説明して何とか事なきを得た、という話を後になって聞いた。

Astoria, 2003

 ボーイフレンドと2人で好き勝手に暮らし、それぞれの好きなことに打ち込んでいた生活は一変した。急にやらなければいけないこと、守らなければいけない時間が増えた。
 日本の一軒家で育った子どもは、古いニューヨークのアパートメントの中で、「走っちゃだめ」「そこから飛び降りちゃだめ」「下の人からうるさく言われるよ」と言われても、すぐにその習慣が身につくはずもなかった。案の定、下の階の人が苦情を言ってくるようになった。

 パパっ子だった彼の息子がNYにやって来たのは2007年の8月。夏休みを私たちと一緒に過ごして、彼は私たちと一緒に暮らすことを望んだ。彼の母親も、私たちもOKして、3人の生活が始まった。10月に入り、まだ新しい生活に適応しきれていなかった私たちは、かなり疲れていた。

Ditmars, 2003

 撮り終わったカラーフィルムを現像に出していなかった。「そういえば、撮って撮ってーって言うから、子どもがふざけてお尻出してるのとか撮ったなぁ。他に何撮ったっけ?」と考えた。

 彼がカメラに興味を示すので、私は、「このカメラなら使っていいよ」と言って、コンパクトカメラを貸してあげた。彼は、三脚に立ててセルフタイマーを使うことも覚えて、あれこれ撮っていた。私の生活にはカメラがあるのが普通だったので、家で何を撮っていようと、ほとんど気にしていなかった。そんな感じだったので、そのフィルムの中の一コマ一コマ何を撮ったのか、全部覚えていたわけではなかった。

 私が日本のプロラボで働いていた頃、通常の現像所で現像してくれないのは、大人の裸が写った写真だった。子どもの裸は特に問題なし。なので、大人の裸を撮った人たちは、アマチュアもプロも、プロラボに現像に出していた。プロラボは、プロ向けに現像・プリントする場所なので、仕事と捉えて、大人の裸も現像してくれるのだ。無意識のうちにそれも頭の中にあったのだろう。

「3人で出かけた時に撮った写真もあったし、あれ見たいなぁ」くらいの気持ちで、ドラッグストアにカラーフィルムを現像に出した。

 当時は、二眼レフのローライフレックスを使っていて、白黒フィルムで作品を撮っていた。白黒フィルムは自分で現像していたけど、カラーフィルムを自分で現像する環境は整えていなかった。そのため、カラーフィルムはプロラボに現像に出していた。しかもこれはただの家族のスナップ写真。考えずにパチパチ撮った写真。ドラッグストアの現像でいいか、という流れだった。

 まさかこれが私にとっての落とし穴だったとは……。


〈Chapter 5〉に続く
12月28日(木)公開


木戸孝子(きど・たかこ)
1970年、高知県生まれ。 創価大学経済学部卒業後、プロラボ勤務を経てフリーランスフォトグラファーとして独立。2003年、ニューヨークのInternational Center of Photography卒業。 その後、ニューヨークで、白黒銀塩写真のプリンター、リタッチャー、高知新聞への連載などを行いながら、自身の作品制作、発表を行う。現在、高知県に在住し、国内外で作品を発表する。写真集に東日本大震災の被災地を撮影した『The Unseen』(2021年)。

〈近年の展覧会〉
「Arnold Newman Prize for New Directions in Photographic Portraiture 2023受賞者展」(The Griffin Museum of Photography/アメリカ・マサチューセッツ)
「LensCulture受賞者展」(Photo London・Somerset House/イギリス・ロンドン)
「ZUHAUSE NO.6(VONOVIA Award受賞者展)」(Sprengel Museum Hannover/ドイツ・ハノーファー)
「The Unseen(個展)」(多賀城市立図書館/宮城県、MARUTE ギャラリー/香川県)
「The Exhibition Lab Exhibition 2021(グループ展)」(Foley Gallery/アメリカ・ニューヨーク)

〈近年の受賞歴〉
「2023 Arnold Newman Prize」ファイナリスト
「2023 Daylight Photo Awards」優勝
「LensCulture Summer Open 2022」優勝
「VONOVIA Award fur Fotografie 2022」3位
「Women Photograph Project Grant」グラント受賞
「IMA next」テーマ「Touch」優勝
「Photolucida Critical Mass 2021」トップ50 Photographers


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