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見えない日常 #13 木戸孝子(写真家)

 家族の親密な関係性を収めたシリーズ「Skinship」が、このところ欧米の数々の写真コンテストで高い評価を受けている写真家の木戸きど孝子たかこ氏。同作のテーマに至るきっかけとなったのは、彼女がニューヨークでの生活で思いがけず遭遇した〝逮捕〟だったーー。

前回〈Chapter 12〉はこちら


Chapter 13

「国境がなかったら、移民局のジェイルなんて存在しないのにね」――私がそう言うと、マーバは「そんなこと考えたこともなかったけど、その通りだよ。そんな世界だったら素晴らしいね」と答えた。マーバは、トリニダード・トバゴ出身。優しい目をした、長髪のドレッドヘアーがかっこいい黒人のおばちゃんだ。ブルックリンに35年も住んでいた。

 彼女いわく、無実の罪でドラッグ所持の罪状を認める羽目になったそうだ。ライカーズアイランドに7日間ぶち込まれた後、法廷で7日間の刑期という判決になり、そこで移民局に逮捕された。グリーンカードは持っていたけど、アメリカの市民権は持っていなかった。市民権があれば、ライカーズでの7日間の留置と刑期の7日間は相殺され、そこで釈放となったはずだ。ここにもう7ヵ月もいる。なんとかアメリカに留まれるように、弁護士とアメリカ生まれの娘とが要請しているが、その結果がわかるのにまだ3ヵ月はかかるらしい。

〝善と悪〟って立て分けられるのだろうか。ここにいる人たちの身の上話を聞いたり、ここで起こっていることを見たりしていると、境界線がぼやけていく。そもそも善と悪の明確な境界線なんて存在しないのでは……。戦争が起きている社会では、人をたくさん殺した人は英雄になり、平和な社会では、人殺しは最大の罪だ。その社会によって、時代によって、善と悪の概念は、ひっくり返る。何が善で、何が悪なのか。本当に悪いヤツは誰なんだろう。どこにいるんだろう。そんなことをあれこれと考えた。

Moon and Stars, 2006

 ある晩、エクアドル出身のアイネスが、コロンビア出身のエリザベスとケンカした。言い争いになってどちらかがビンタした、という程度のケンカだった。すると、入り口から看守が次々と入ってきて、一列に並び始めた。あっという間に10人、20人……どんどん増えてまだ止まらない。おばちゃんとおねえちゃんのちょっとしたケンカにいったい何人の看守が来るのか。

 その光景に私は、映画『マトリックス』3部作で、黒いスーツのエージェント・スミスが力を持ち、人間を自分のコピーに変え、それがどんどん増えていく場面を思い出した。ここにいる看守たちひとりひとりは、個性のある人間のはずなのに、制服を着て、命令のままに動き始めると、まるでエージェント・スミスのコピーのようだった。

NYPD, 2003

 弁護士のジョナサンから「あと1週間で帰れるよ」と電話で言われた時、移民局のジェイルに入れられて、もう1ヵ月が経っていた。うれしさのあまり大声で叫びたかったけど、あえて平静を装った。私は神経質になっていた。ポルトガルに強制送還の予定だったマリッサが、予定の日に帰れなかったのを見ていたからだ。

 ジョナサンと電話で話す前のこと。落ち込んだマリッサは、私のところにやって来て、予定の日に帰れなかった理由を話してくれた。
「家族に電話して聞いたら、移民局が私のフライトをキャンセルしたんだって。私が出発の日を知っていたからかもしれない」
 彼女は、国に帰れるうれしさのあまり、囚人のみんながわかるくらい、出発の日がいつかをオープンに話していた。クリントン刑務所に18歳から5年間いたそうだ。刑期を終えた後、強制送還のために移民局ジェイルに連れて来られた。ポルトガルに帰れる日を待ち望んでいたのだろうけど、またいつになるかわからなくなってしまった。

 ボーイフレンドが無事日本に着いているのかどうかも心配だった。拘置所に来た移民局職員が、私の顔を見るなり、「君は今週中に帰れるよ。君のボーイフレンドは、先週日本に帰ったよ」と言った。領事館のハワードもそう言っていた。でも、電話でお母さんと話すと「まだ帰ってないで」と言う。彼は今いったいどこにいるのだろう。

 大きくなり続ける私の不安を晴らしてくれたのは、天使のような黒人女性の職員だった。「私のボーイフレンドに会わなかった? 日本人なんだけど」と尋ねた途端、彼女は明るい笑顔でこう答えてくれた。
「ああ! 彼があなたより早い便で日本に帰ることになっているのを見つけたから、キャンセルして同じ日に帰れるようにしたわよ! 今は、マンハッタンのヴァリック・ストリート拘置所にいるから、あなたに会ったこと、伝えておくね」
 移民局に逮捕された後、「一緒に逮捕されたからといって、一緒には帰れないよ」と意地悪く言われたから、同じ便で帰国することは到底無理だと思っていた。それなのに、こんなにも優しい移民局職員がいたなんて!

 私は、信頼できる友達にだけ強制送還の日を知らせ、お礼とお別れを伝えた。その中には、今も時々連絡をとる友達もいる。マーバは、「あなたは息子と同い年だし、本当に私の娘みたい。私よりずっと若いのに、いろいろなことを教えてくれたよ。一生友達だからね」なんて言って涙を流してくれるから、思わず私も一緒に泣いてしまった。彼女は、トイレットペーパーのカバーの紙を紐のように折って編みあげた、手作りのバッグをプレゼントしてくれた。それは、自由に物が手に入らない拘置所の中での、精一杯の真心の品だった。

2007, Stars and Stripes

ハドソン・カウンティー拘置所に来て40日目の4月18日――ようやく強制送還の日が来た。いつものように朝の3時頃に起こされ、車でマンハッタンのヴァリック・ストリート拘置所に連れて行かれた。そこでボーイフレンドと再会した。

 移民局の法廷で「20年間はアメリカに入るな」という判決を出されたにもかかわらず、そこを出発する前にサインさせられた書類には「私は2度とアメリカに入らないことに同意します」と書かれていた。私たちは顔を見合わせたけれど、何も言わずに書類にサインした。ここで文句を言い始めると、強制送還が延期になるかもしれない、とお互いわかっていたからだ。いったい何のための法廷だったのか。この組織のガバナンスはどうなっているのか。疑問だらけだったけど考えても無駄だった。

 移民局は、妹が預けておいてくれた衣類こそ返してくれたけれど、現金とクレジットカードは返してくれなかった。ボーイフレンドには、免許証を返してくれなかった。嫌がらせなのか、うっかりしていたのかはわからない。でも、ここではルールなどあってないようなもの。私たちは、あきらめるしかなかった。問題には目をつむり、淡々とことを進めて日本に帰ることが最優先だった。

 私たちは、4人の移民局職員に付き添われてアメリカン航空の飛行機に乗り、JFK空港から飛び立った。でも、アメリカン航空の機内では、何かが起こればアメリカの法律が適用されるのだ。本当に日本に帰り着くまでは気が抜けない。移民局職員は、硬い表情のまま、私たちを挟んで横一列に座った。彼らは彼らで、「気が抜けない」と思って警戒しているのがありありとわかった。職員の隣で、私は「とにかく生きて日本に帰ろう」と思い続けていた。

 成田空港に到着した後、職員は、事務所のような場所に私たちを連れて行き、何も言わないままになんとなく離れていなくなってしまった。彼らなりの気遣いなのか、そういう決まりなのか、それとも「強制送還者にあいさつなんかしねぇよ」と思っているのかわからなかったけれど。

 手続きが終わっても彼らは現れない。それなのに私たちは、長い間拘束されていたせいか、自分たちだけで行動してかまわないのか悩んでしまった。しばらくして「まあ、いいか」と税関へ向かった。私もボーイフレンドも、荷物は肩からかけるカバンひとつ。私は化粧もしていない。何かあったと察した税関係員の女性の「大変でしたね」との言葉に、ようやく自分の国に帰ってきたうれしさを感じることができた。

 ゲートを出ると、迎えに来てくれた妹とお母さんがいた。お母さんは泣いていた。やっと帰れて、やっと会えて、何か言いたいけれど、感情が大き過ぎて、顔を見合わせるだけで、みんなあまり言葉が出ない。「とにかく帰ろう」と歩いていたら、土産物の店に移民局の職員たちがいた。お母さんに「あの人たちが一緒に日本まで来た人たち」と言うと、私が帰ってきたうれしさから、満面の笑みで「Thank you. Thank you」と言って職員ひとりひとりと握手し始めた。お母さんには事前に電話で「職員が4人も日本まで一緒に来るみたい。なんか怖い」と伝えていた。しかし、娘が帰ってきたうれしさのあまり、思わずフレンドリーに接してしまったのだろう。

 彼らは、予想外の感謝を受け、面食らいながらも笑顔でお母さんと握手した。そして、13時間のフライトの間にはまったく見せなかった柔らかい表情になって「どこに行ったら日本の物を買えるかな?」と私たちに聞いてきた。「成田エクスプレスで新宿まで行ってもいいと思うし、空港の中でも買い物はできるよ」などと教えてあげて、「じゃあ、気をつけてニューヨークに帰ってね。良い旅を!」と、みんな笑顔で気持ち良く別れたのだった。


〈Chapter 14〉に続く
9月2日(月)公開


木戸孝子(きど・たかこ)
1970年、高知県生まれ。 創価大学経済学部卒業後、プロラボ勤務を経てフリーランスフォトグラファーとして独立。2003年、ニューヨークのInternational Center of Photography卒業。 その後、ニューヨークで、白黒銀塩写真のプリンター、リタッチャー、高知新聞への連載などを行いながら、自身の作品制作、発表を行う。現在、高知県に在住し、国内外で作品を発表する。写真集に東日本大震災の被災地を撮影した『The Unseen』(2021年)。
公式WEBサイト:https://www.takakokido.com/

〈近年の展覧会〉
「Arnold Newman Prize for New Directions in Photographic Portraiture 2023受賞者展」(The Griffin Museum of Photography/アメリカ・マサチューセッツ)
「LensCulture受賞者展」(Photo London・Somerset House/イギリス・ロンドン)
「ZUHAUSE NO.6(VONOVIA Award受賞者展)」(Sprengel Museum Hannover/ドイツ・ハノーファー)
「The Unseen(個展)」(多賀城市立図書館/宮城県、MARUTE ギャラリー/香川県)
「The Exhibition Lab Exhibition 2021(グループ展)」(Foley Gallery/アメリカ・ニューヨーク)

〈近年の受賞歴〉
「2023 Arnold Newman Prize」ファイナリスト
「2023 Daylight Photo Awards」優勝
「LensCulture Summer Open 2022」優勝
「VONOVIA Award fur Fotografie 2022」3位
「Women Photograph Project Grant」グラント受賞
「IMA next」テーマ「Touch」優勝
「Photolucida Critical Mass 2021」トップ50 Photographers

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