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見えない日常 #5 木戸孝子(写真家)

 家族の親密な関係性を収めたシリーズ「Skinship」が、このところ欧米の数々の写真コンテストで高い評価を受けている写真家の木戸孝子氏。同作のテーマに至るきっかけとなったのは、彼女がニューヨークでの生活で思いがけず遭遇した〝逮捕〟だったーー。

前回〈Chapter4〉はこちら


Chapter5

 私が逮捕された2007年といえば、初代のiPhoneが発売された年。まだ私はiPhoneを手に入れてなかった。家族のスナップ写真を撮るのには、大体は携帯電話のカメラを使っていたけど、まだカラーネガも使っていた。

 今になって考えると不思議なくらいの不注意だ。小学校の送り迎えや、家でひとりで留守番させないことなどは気をつけていたのに、どうして子どもの裸の写真に気をつけなかったのだろう。たぶん一番の理由は〝子どもの裸〟に対する日本とアメリカの捉え方の違いのあまりの大きさを、まったく理解していなかったこと。そしてもうひとつの理由は、疲れていて、よく考えていなかったこと。ドラッグストアにフィルムを現像に出しさえしなければ、問題は起きなかったのだ。子どもが裸でふざけるのは家の中だけだから。

 後になって、いろいろなことを知った。アメリカの多くの家庭では、子どもが3才くらいになると、大人が子どもに裸を見せなくなるらしい。子どもたちは、自分以外の〝裸〟を知らずに育つ。お風呂も一緒に入らない。大人は服を着たまま子どもの体を洗ってあげるのだそうだ。日本では、子どもと一緒にお風呂に入るのは、親の仕事のひとつで、しかも親子の大切なふれあいの時間でもあるのに。

 後になって見つけた日本の外務省のウェブサイトのトラブル集には、こんな話が載っていた。日本からニューヨークに遊びに来たおじいちゃんが孫とお風呂に入って、その楽しい思い出を学校で子どもが作文に書いたか、話したかで、先生が警察に通報した、という話だ。写真を撮って、思わず大きなトラブルになったケースもあるので、気をつけて下さい、という注意が出ていた。

The Ordinary Unseen #18 , 2003

 職場のアメリカ人の同僚・マークは、私のことや日本とアメリカの文化の違いのことをよく理解してくれ、いろいろと相談に乗ってくれた。
 私はマークに「私と子どもが裸でベッドサイドに座ってる写真が一番問題らしい」と話した。それは、子どもがセルフタイマーで、風呂上がりに撮った写真。夜の室内で撮っているので、シャッタースピードが遅く、ぶれていて、赤色の強い写真だった。

 日本の家の照明は蛍光灯が多い。蛍光灯はネガで撮ると緑色に写る。緑色の写真はちょっと冷たいような印象になる。アメリカの家は暗めの黄色がかった暖かい色の照明が多い。この光はネガで撮るとより黄色が強く、プリントの仕方によっては真っ赤に写る。この色味とブレ具合とがあやしい雰囲気をかもし出し、警察のイマジネーションに拍車をかけ、誤解が大きくなったのかもしれない。

 マークは言った。「Takako、大人と子どもが裸でひとつの部屋にいたら、君を逮捕したやつらは、これからこのふたりがいやらしいことをするって自動的に考えるんだ」
 私は、吐きそうな気分になって「変態!」と思ったが、警官たちは私のことを「変態!この犯罪者め!」と思っているのだ。こんなに立ち入った話をしてくれたマークには、とても感謝した。

 マークはさらに言った。「この写真にはふたつの要素が絡んでるよ。ひとつは、Takakoが日本人で、日本では家で子どもと裸でいても自然で、何も悪くないってこと。もうひとつは、Takakoが写真家だってこと。日本の一般の女の人は、自分の裸を写真に撮らないでしょ。でも、Takakoは写真家であり芸術家だから、自分の裸が写真に写っていても、何とも思わない。だから、アメリカ人にも日本人にも理解しがたい要素が含まれてるんだよ」
 いつも冷静なマークならではの鋭い分析。弁護士も顔負けの頭の切れる人だ。

Self-Portrait, 2023

 私は1970年生まれ。子どもの頃はドリフの全盛期。裸の男の子が舞台に走って出てきて、みんな笑ってそれがオチで終わる、というような時代に育った。〝男の子の裸〟は、どこかジョークだった。
 私が育った頃の日本社会には、女と男の育て方に明確な差別があった。「女の子はそんなことするもんじゃありません」と言われることが多く、「女の子はある程度の年齢になると、他人に裸を見せてはいけない」と教わった。
 それでも、小学生の頃は外でおしっこなんてことを平気でしていた。高知の田舎では、車でドライブ中に都合よくトイレが見つかることは少ない。親は広くなっている道端に車を停めて「はい、そこでおしっこしなさい」といった感じだ。もしかして、アメリカと日本の文化の違いに加えて、ど田舎と大都会のギャップも絡んでいるのかもしれない。

 アメリカは人前でハグやキスをしたり、ベタベタしたりすることに大らかだけど、日本はそうではない。ポルノビデオだって、日本はモザイク入り。ヌーディストビーチなんて日本にはないけど、アメリカやヨーロッパにはある。てっきり私は、西洋は日本よりも裸に対して大らかなんだ、と思っていた。

 どうやら、アメリカと日本とでは、裸(特に子どもの裸 )に対する見方に、どう説明すればよいのか見当もつかないような大きなギャップがある。分析しようとすればするほど、私はそのことを理解するようになった。

New Yorker, 2003

 私はきっとアメリカンバッドドリームを見たのだ。考えられないような幸運が訪れたり、素晴らしい善意のおかげで大きな夢が叶ったりするアメリカンドリーム。アメリカにはそんな大きなチャンスが本当にある。努力して素晴らしい結果を出したならば、バックグラウンドや人種にかかわらず、大きな称賛を受け尊敬される。それを夢見て、たくさんの人がこの国にやって来る。

 信じられないような大きなアメリカンドリームがある、ということは、それと同じ数の信じられないような大きなアメリカンバッドドリームがあるのだろう。


〈Chapter 6〉に続く
1月25日(木)公開


木戸孝子(きど・たかこ)
1970年、高知県生まれ。 創価大学経済学部卒業後、プロラボ勤務を経てフリーランスフォトグラファーとして独立。2003年、ニューヨークのInternational Center of Photography卒業。 その後、ニューヨークで、白黒銀塩写真のプリンター、リタッチャー、高知新聞への連載などを行いながら、自身の作品制作、発表を行う。現在、高知県に在住し、国内外で作品を発表する。写真集に東日本大震災の被災地を撮影した『The Unseen』(2021年)。

〈近年の展覧会〉
「Arnold Newman Prize for New Directions in Photographic Portraiture 2023受賞者展」(The Griffin Museum of Photography/アメリカ・マサチューセッツ)
「LensCulture受賞者展」(Photo London・Somerset House/イギリス・ロンドン)
「ZUHAUSE NO.6(VONOVIA Award受賞者展)」(Sprengel Museum Hannover/ドイツ・ハノーファー)
「The Unseen(個展)」(多賀城市立図書館/宮城県、MARUTE ギャラリー/香川県)
「The Exhibition Lab Exhibition 2021(グループ展)」(Foley Gallery/アメリカ・ニューヨーク)

〈近年の受賞歴〉
「2023 Arnold Newman Prize」ファイナリスト
「2023 Daylight Photo Awards」優勝
「LensCulture Summer Open 2022」優勝
「VONOVIA Award fur Fotografie 2022」3位
「Women Photograph Project Grant」グラント受賞
「IMA next」テーマ「Touch」優勝
「Photolucida Critical Mass 2021」トップ50 Photographers


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