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Personal diplomacy(一人ひとりが外交官)

ことし2月にロシアがウクライナに侵攻した。もちろんショックだったし、SUでも米国でも大きな話題になった。

翌日、留学生同士の交流イベント「MixItUp」(簡単なディナーを食べながら気軽なテーマに沿っておしゃべりしたり、ゲームしたりする)が開かれた。2週間に1回ほど、定期的に開催され、いろんな人と知り合えるので時々顔を出す。

今回もいつものごとくふらっと参加すると、たまたま目の前にはロシア人のRoman、そして隣にはイラク人のAhmedが座っていた。世の中はロシアによるウクライナ侵攻の話題で持ち切り。部屋にある大画面のTVも、ずっとこのニュースが流れっぱなし。この話、持ち出したいけどいいのかしら…Romanにも聞いてみたいけど、どう切り出そう…
 
タイミングと切り出し方を考えあぐねていたら、突然、RomanがAhmedにこんな質問をした。

「イラクの人たちはサダム・フセインのことをどう思っているの?」

Ahmedは「世代で分かれているね。年配者は今でも支持する人がいる。彼の軍隊にいたりして、恩恵を受けていた人たちだ。でも、若い世代は違う。ソーシャルメディアでいろんな情報を得ているからそう思う人はほぼいない」と答える。

それを聞いて、Romanは「僕の国も同じだ」と応じる。
「Putinを支持するのは年配者だ。でも若い人は西側も含めて幅広い情報を入手してるから、違う考え方をする人が増えている。問題は、異なる意見を持っていても国内で声を上げられないことなんだ」

私:「声を上げるとどうなるの?ウクライナ侵攻後、反戦デモに参加した市民が次々とつかまっているよね」
Roman:「人物や立場によるよ。政権にとっての危険人物とみなされれば、逮捕されたり他国にいても攻撃されたりする。今回のように一般市民もつかまり、おそらく2-3日勾留後には解放されるのだろうけど、でもそんな経験をしたらみんな恐怖心から誰も声を上げなくなる。それが問題なんだ…」

Romanは「ずっとこの(ロシアのウクライナ侵攻)ニュースをチェックしている。見るのはつらいけど、見ざるを得ない」と顔をゆがめながら話していた。普段は感情をあらわにすることが少ないRomanだけに、その一言だけでも彼が感じている苦しさが伝わってくる。


いろいろな国の友人たちと一同に会する

キャンパスにはロシアを始め、ウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、タジキスタンなど今回のニュースで名前が上がる国から来た留学生も多くいる。

別のロシア人の女子学生は、毎日インスタグラムでつらい心情を吐露している。「戦争なんてしたくないのに母国が戦争を始めてしまった」「ウクライナ人の友人たちと毎日連絡を取り合っている」。ロシアが侵攻した翌日には、一人で反戦ストライキをした、とも書いていた。ウクライナ支援の寄付金を集っている団体を自分で調べ、信頼できる寄付先のリストを作って投稿もしている。

ベラルーシ人の友人は、複雑な胸の内を明かしていた。ベラルーシは親ロシアで国内にロシア軍も駐留している。もし戦争となれば、ベラルーシの男子は徴兵される。友人は、母国にいる兄弟や家族が心配だ、と話していた。彼自身、ロシア語も話し、ここ米国ではロシアや東欧の友人にもたくさん囲まれていつもとても楽しそうに過ごしているのに。

戦争で被害を受けるのは、いつだって普通の”個人”だ。ウクライナで生命の危機に直面している人たちを始め、ロシア内にだって平和に暮らしたい人はたくさんいる。そして世界中で今回のロシアの暴走に胸を痛め、先行きを案じる人たちがいる。権力者の暴走で、つらい思いや過酷な生活、耐えがたい犠牲を強いられるのは常に一般市民だ。

私たちは歴史の中で何度もその過ちを繰り返し、学んできたはずなのに、なぜまた同じような過ちを繰り返してしまうのだろう。

そして、今この米国のキャンパスにいて、これだけ多様な人たちが集まる場では私も含め一人ひとりがそれぞれの出身地を代表する外交官なのだ、と痛感する。いやがおうでも、世界の中で日本がどう見られているのか、どんな位置づけにあるのかを意識せざるを得ない。それが、実情やこちらの思惑と異なるものであれば違うとしっかりと伝えたいと思うし、世界がまだ知らない日本の姿をもっと知ってほしい、と思う。

「日本ではこんな時どうするの?」「どんな風に考えているの?」。。政治、経済、文化、慣習、歴史…ジャンルも問わず、次々と質問が飛んでくる。知識や経験をフル動員して、できるだけ正確に、大事に返すようにする。私の母国、日本のことをわかってもらいたいから。そして、この小さな場でのささやかな交流でさえも、いつかは大きな流れとなって何かを変えるきっかけになるかもしれないとの願いも込めて。

日々が、日常がまさにPersonal Diplomacy(個人間の外交)だ。

イラク人のAhmedは、サッカーワールドカップでのモロッコの快進撃も大喜びしていた。

日本にいると、なかなか「世界の中の日本」や、他の国同士の関係を実感するのは難しい。だからこそ時には外に飛び出して、あらゆる利害を取っ払ってぐちゃぐちゃに交じり合ったり、たまには自分たちのプライドをかけてぶつかったり、という体験を目の当たりにするのも重要だと痛感する。nationalismや宗教問題などいろいろあるが、言葉や文化、人種が違っても自分たちは同じ「人間」なんだ、と腑に落ちる体験があれば、何かの時に自分を正気に引き戻す「錨」となってくれるかもしれない。甘いかもしれないが、私はそう信じている。

RomanとAhmedと話し続けていたら、最後に「日本も武装したほうがいいよ」と何度も念を押された。今回の事例を見ていると、自分の身を自分で守ることの重要さも痛感させられた。

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