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バルコの航海日誌 Ⅰ◆真珠の島《2》

Ⅰ◆真珠の島《2》

――老婆は低い声で語り始めた。
昔むかし、この島をまだ王がおさめていた時分のこと。今となっては訪れる者もいなくなった岩山の奥に、かつては王宮があったのだ。王には美貌の妃があった。老いた王は若い妃に甘く、妃もまた己の美をたのんで我儘のかぎりをつくしていた。

美と贅沢を好んだ王妃によって、島では美しく着飾ることがことさら重要視され、人々は競って高価な装飾品を求めた。珍しい花や美しい貝、貴重な羽根などはもちろん高い値が付いたが、最も珍重されたのは真珠だった。真珠採りたちによって集められた真珠は、鮫の歯で作られた錐で慎重にあな孔をうが穿たれ、金銀の糸で綴られて女たちの身を飾る。特別に美しい真珠は宮殿にも献上され、優れた真珠採りの家は一族ごと引き立てられた。

こうして、あらかたの真珠は採りつくされてしまった頃、人々がそれまで目にしたことがないほど大きい真珠がひっそりと出回り始めた。大きいだけではなくて、いつでも不思議に濡れたような輝きを帯びているのだ。余りに高価なので、手にできる者は限られていたが、その真珠を一目見たものは吸い込まれるように惹きつけられてしまう。身分の高い女たちは、熱に浮かされたように競ってこれを買い求めた。

この真珠にはひとつの噂があった。

真珠の名が高まるにつれ、その出処に関する噂も人々の間に囁かれ始めた。最初はひっそりと、だが次第に広まった噂は抑えきれなくなり、いつしか公然の秘密となった。

噂曰く、
海底の岩場の陰には急流うずまく谷があるという。谷の海流と水温は、上質の真珠が育つにうってつけで、島の真珠採りたちの間だけに秘密で伝えられる場所だ。高値のつく真珠を求めて腕に覚えのある真珠採りたちが集まってくる。

だが、水底から還ってくる者はほんのわずかだという。月の満ち引きによって、思いもかけない急激さで海流が変化すると、ほとんどの真珠採りたちは身を翻すこともかなわず水底深くに引き込まれる。しなやかで褐色の、美しいからだをもつ真珠採りが、波に巻かれて命を落とすと、やがて冷たい海流にあおられて、されこうべからは眼球がこぼれ落ちる。眼球たちがさらさらと流れ落ちていった先では、真珠母貝たちが待ち構えており、貝の口を開いては転がり落ちてきた眼球をしっとりと包み込む。

こうして白砂の海底では、無数の眼球たちが、やさしいまぶたのかわりにごつごつとした貝殻の奥に、一粒ずつその瞳を閉じている。ひとり、またひとり…そして美しい真珠は数を増やしてゆくのだった。

真珠の層に包まれた眼球は不思議と腐ることなく、眼球の主が生きていた時そのままの潤いを保つ。ときには、真珠の層が育つ過程で成長が止まり、虹を宿した乳白色の層越しに、未だ眼球の光彩をうっすらと透かせている珠もある。これはことに珍重された。

もとの眼球の持ち主が若く美しいほど、真珠もまたまばゆく輝く。真珠採りの青年が陸に残した許嫁が流した涙が多いほど、真珠のひかりはうるうると輝く。この特別な真珠はいつしか「涙の真珠」と呼ばれるようになっていた。

(続く)


【バルコの航海日誌】

■プロローグ:ルダドの波
https://note.com/asa0001/n/n15ad1dc6f46b

■真珠の島
【1】 https://note.com/asa0001/n/n4c9f53aeec25
【2】 https://note.com/asa0001/n/n57088a79ba66 ☆この話
【3】 https://note.com/asa0001/n/n89cc5ee7ba64
【4】 https://note.com/asa0001/n/n9a69538e3442
【5】 https://note.com/asa0001/n/n253c0330b123
【6】 https://note.com/asa0001/n/n734b91415288
【7】 https://note.com/asa0001/n/nfe035fc320cb
【8】 https://note.com/asa0001/n/n81f208f06e46
【9】 https://note.com/asa0001/n/n6f71e59a9855

■銀沙の薔薇
【1】水の輿 https://note.com/asa0001/n/nedac659fe190
【2】銀沙の薔薇 https://note.com/asa0001/n/n6a319a6567ea 
【3】オアシス https://note.com/asa0001/n/n3b222977da7a 
【4】異族 https://note.com/asa0001/n/n224a90ae0c28 
【5】銀の来歴 https://note.com/asa0001/n/n2a6fb07291ae 
【6】海へ https://note.com/asa0001/n/n1a026f8d4987 
【7】眠り https://note.com/asa0001/n/ne00f09acf1b7 
【8】目覚め https://note.com/asa0001/n/ncbb835a8bc34 
【9】海の時間 https://note.com/asa0001/n/nb186a196ed9d
【10】歌声 https://note.com/asa0001/n/ne9670d64e0fb 
【11】覚醒/感応 https://note.com/asa0001/n/n983c9b7293f2 
【12】帰還 https://note.com/asa0001/n/n53923c721e56 

■香料図書館
【1】図書館のある街 https://note.com/asa0001/n/na39ca72fe3ad
【2】第一の壜 https://note.com/asa0001/n/n146c5d37bc00
【3】第二、第三の壜 https://note.com/asa0001/n/na587d850c894
【4】第四の壜 https://note.com/asa0001/n/n0875c02285a6
【5】最後の壜 https://note.com/asa0001/n/n98c007303bdd
【6】翌日の図書館 https://note.com/asa0001/n/na6bef05c6392
【7】銀の匙 https://note.com/asa0001/n/n90272e9da841

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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