今入 麻(いまいり あさ)

小説を書きます。一杯のお茶のように、ほっと一息つきたい時に、さりげなくも香りのある潤い…

今入 麻(いまいり あさ)

小説を書きます。一杯のお茶のように、ほっと一息つきたい時に、さりげなくも香りのある潤いとして読んでいただけたら本望です。

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碧い港のファンタジア(連作短編 第八話)

《8》まどろむホームの夢、春のお茶会 風が甘い。 潮風に花と土の香りが溶け込んでいる。それはそれはほのかな香りだけれど、船で旅をする者なら決して見逃すことはない。久しぶりの「陸」の香りだからだ。 私は陸ならではの「春」の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。それから軋みを立てる桟橋を渡り、地面に足を下ろした。しっかりと頼もしい、同時に心和む柔らかさも備えた土の感触が足裏に伝わった。 船乗りとして故郷を発った日から長い歳月が過ぎた。だが、初めての港に降り立って土を踏みしめるときは

    • 碧い港のファンタジア(連作短編 第七話)

      《7》オートマタ ―その瞳は、天を映す。影と少年のものがたり― *** 《プリマヴェーラの日》で賑わう広場の華やぎをよそに、人々から忘れ去られたようにひっそりとした一角があった。 小舟ばかりが繋がれている港のはずれで、穏やかな波が寄せるにつれ、舟をつなぐ鎖がきしむ音だけが繰り返し聞こえている。 アスファルトには白い砂が浮き、ひび割れからは雑草が勢いよく葉を伸ばしている。薄みどりの蔓が伸びた先に灰色の建物がぽつりと建っていた。その佇まいはがっしりとしてはいるが、建てら

      • 碧い港のファンタジア(連作短編 第六話)

        《6》花波 ―その瞳は、海を宿す。光と少女のものがたり― *** 波間に薔薇の花びらが舞い散る。周囲を圧し、紺碧に渦巻く海面を割って、巨大な船体が入港する。 岸壁で迎える楽隊の音、人の波。リボンをたなびかせた花束が次々と海に投げ込まれる。楽隊の音がひときわ高くなった。   今日は《プリマヴェーラの日》と呼ばれる春祭りだ。プリマヴェーラとは春の女神の名前だが、彼女はまた海の守りも司っている。海を生活の場とする船乗りたちは、春になると彼女の加護を求めて海に花を捧げてきた。そ

        • 碧い港のファンタジア(連作短編 第五話)

          《5》雨の日曜、回転木馬の客 アンテの住む街では、月は海から昇る。沖合まで出ていた船たちが一日の仕事を終え、港に戻ってくるのを待つようにして、輝く月が波間から顔を出す。ゆるゆると昇った月の光は、揺らめく銀色の道を海面に伸ばした。光の道は街並みを超え、教会の十字架を照らし、アンテの部屋まで届く。カーテンのない窓から射し込んだ月光は部屋の中を真っ直ぐに伸び、寝台の上に白い道をつくる。  アンテは月の光に包まれて眠るのが好きだ。特に満月の夜、窓から身を乗り出して外を見渡すと、月

        碧い港のファンタジア(連作短編 第八話)

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          碧い港のファンタジア(連作短編 第四話)

          《4》書店と天使 青空の下に黄色い傘が開いた。傘は満開の花のようにくるくると回ったかと思うと、その陰から小さな女の子の顔が覗いた。 「きれい!この傘、ひまわりみたい!」 女の子の頬が薄桃色に上気している。 アンテは親方のおつかいで、仕上がった傘を注文主の家まで届けに行ったのだった。女の子とよく面差しの似た母親がアンテに微笑みかけた。 「いつも素敵な傘をありがとう。親方によろしくね。」 「ありがとうございます。確かに申し伝えます。きっと親方も喜びます」 今日の仕事を終え、

          碧い港のファンタジア(連作短編 第四話)

          碧い港のファンタジア(連作短編 第三話)

          《3》晴れの日は、かもめと古いトランクと 桟橋の先端に古いトランクが置き忘れられていた。ぽつんとひとつ、海風に吹かれて。 *** アンテは港が好きだ。外洋に向かって開けたこの場所。とくに良く晴れた日には、海と空に包まれて世界が青に溶け込み、両腕を開いて深呼吸すると、胸の中が青い空気でいっぱいになる。 アンテがトランクを見つけたのも、そんな気持ちのいい晴天の正午だった。海に突き出した桟橋の先に革張りのトランクが置き忘れられていたのだ。 見たところかなりの年代もののよう

          碧い港のファンタジア(連作短編 第三話)

          碧い港のファンタジア(連作短編 第二話)

          《2》アンテの部屋 Ⅰ.パズルの街、ハンプティ・ダンプティの赤い月 高台にあるアンテの部屋の窓からは町が遠くまで見渡せた。くすんだ灰茶色から赤茶、キャラメルのような金茶色や焦げ茶色と、濃淡さまざまの屋根が並んでいるさまはまるで茶色いジグソーパズルのようだ。パズルのところどころには煉瓦造りの塔や白い教会が突き出ていて、陽差しを眩しく反射している。その奥に、青いピースを嵌め込んだように光っているのが海だ。窓から身を乗り出すと、朝陽に洗われた新鮮な汐風がアンテの頬を撫でいく。

          碧い港のファンタジア(連作短編 第二話)

          碧い港のファンタジア(連作短編 第一話)

          《1》三日月酒場  きのうで夏至は終わった。 すでに陽は傾きかけ、窓から見上げれば水色の空に淡い三日月が引っ掛かっている。微風が心地よくそよぎ、眼下の街には照り映えた西陽の色が淡い。 アンテは傘職人見習いである。親方と二人だけの工房はそれなりに忙しく、今日は久しぶりの休日だった。 アンテの部屋は高台にある。ここまでたどり着くまでの坂はきついが、窓から身を乗り出せば、遠くに小さく海の切れ端と観覧車が見える。 アンテがこの部屋に越して来たのはちょうど一年ほど前になる。それまで住

          碧い港のファンタジア(連作短編 第一話)

          山猫と郵便局            ー幻想酒楼 三層目ー

          雨の郵便局緑の匂いが濃い。秋に入った雨は冷たく、色づきかけた葉の上を雨粒が銀色に光って転がり落ちていく。うっそうと葉を茂らせた樹々の下を私は早足で歩いていた。 このあたりはいまどきには珍しいほど家々の区画が大きく、庭木にも松や椎の大木が目立つ。もとは古い避暑地だったと聞けばそれも頷ける。崩れかけた大門や、長く続く塀の奥には古くとも立派な邸宅があるのだろう。 台風でも近いのか、強い風に樹々が揺れるたび肩に雫が滴って私は首筋をすくませる。やがて行く手にぽつんと、オレンジ色の灯り

          山猫と郵便局            ー幻想酒楼 三層目ー

          幻想酒楼主人御挨拶         ー幻想酒楼 零層目ー

          主人口上さてもさても、今宵は本楼へようこそお越しくださいました。お初にお目に掛かります幻想酒楼主人に御座います。月明かりばかりの道中にてお足元は如何でしたか。初めてお越しのお方には、ちつとお判りにくい迷い道、不埒な酒妖どもが悪戯などの御厄介をお掛けしておらねば幸いで御座います。 辿りつかれての隠れ家の本楼にてお出ししているものは、甘い酒、辛い酒、不思議な酒となんでも揃えてございます。さらりと一杯で抜ければ好いものを、酒の甘さに脚を取られて梯子酒、一層二層と楼を彷徨い高みに登

          幻想酒楼主人御挨拶         ー幻想酒楼 零層目ー